第二話
その夜、俺は、勝海舟が住む赤坂の旗本屋敷跡を再び訪れた。
「いったいどうしたんだい?」
あの日と同じ六畳ほどの書斎で俺を出迎えた勝に向かって、俺は率直に話を切り出した。
「実は、折り入ってお話があって参りました」
俺は、これまでの経緯を包み隠さず勝に語って聞かせた。
「ちッ、やっぱりそんなつまんねえことを考えていやがったのか……」
俺が話し終えると、勝は露骨に呆れた表情を浮かべた。
「まあ、思いつきとしてはなかなか面白えが、何と言っても南北朝の時代からすでに四百年以上も経っているんだ。水戸藩や長州藩のように藩が囲っていたのならともかく、そうそう都合良く本物の南朝帝の末裔なんぞ見つかるもんかよ」
「面目ありませぬ」
俺は、素直に頭を下げた。
「しかし、俺を頼れとは、あのお方らしいや。俺のことを心底嫌っているくせに、困ったときにだけは、俺を当てにしやがるんだ。困ったお人だぜ」
勝が、苦々しく言い放った。
「申し訳ありませぬ。勝さまは旧幕臣とは言え、いまや新政府の参議にまで昇られているお方。俺も筋が違うとは思ったのですが……」
「まったくよ。おまえさんたちが倒そうとしている新政府の中枢にいる人間に助勢を頼むなんざ、料簡違いも甚だしいぜ」
そう言うと、勝はこれ見よがしに大きくため息をついた。
「……と言いながらも、しょうがねえなと思い始めてんだから、俺もとことんお人好しだぜ。いいか。俺が参議を引き受けたのは、西郷が抜けた後の政府のお目付役を務めるためだ。別に岩倉や大久保と連んだつもりはねえ」
勝はそう言って、表情を引き締めた。
「では、引き受けて頂けるのですね?」
俺は思わず前のめりになった。
「要は、西郷を止めに鹿児島に行きゃあいいだけのことだろ。こう見えても、俺もいまや天下の海軍卿さまよ。俺の一存で海軍の艦隊を動かせる。お易い御用さ」
「ただ、できれば、隠密に事を運びたいのです」
「案ずるな。もし、艦隊を動かした事実が露見しても、士族の反乱に備えて海上演習を行っていたとか何とか、幾らでも言い訳はできる」
「くれぐれも後で西郷や慶喜公に咎が及ばぬようにご配慮をお願いいたします」
俺は、勝に向かって頭を下げた。
「判ってらあ。いま、大久保が政府の実権を握り、有司専制を始めようとしているようだが、よおく見ていな。いまの政府は、近い将来必ず行き詰まる。そのときこそ西郷の出番なのさ。この日本国を変えるためには、西郷の力がどうしても必要なんだ。それ故、いま、おまえさんたちの火遊びのために、西郷に火傷を負わせるわけにはいかねえのさ」
「ありがとうございます」
「荘村っていう密偵なんぞどうってことあるまいが、問題は川路利良だな……」
勝はそう言って顔を曇らせた。
「ええ。あの男の口を封じておかねば、事が露見してしまいます」
「……権力欲が旺盛なあの男のことだ。大警視の坂元を退かせるように仕向けてやれば、何とか収められるか。まあ、俺に任せておきな」
勝が、不敵な笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします」
「それよりも、問題はおまえさんたちの方だぜ」
そう言って、勝は俺を睨めつけた。
「…………」
「これに懲りて、もう火遊びはやめておくことだな。いまの政府に不満があるのは、俺だって変わりねえ。だが、もう武力で事を決する時代は終わったんだ」
「しかし……」
「西郷とともに野に下った板垣や後藤は、政治結社を立ち上げて、民撰議院の設立に動き出すみたいだぜ」
「その民撰議院というのは、いったい……?」
「おまえさんだって五箇条の御誓文くらいは知ってるだろう。『広く会議を興し、万機公論に決すべし』。その精神に立ち返ろうってわけだ。要は、入れ札によって庶民に選ばれた議員たちが、議会で国の方針を決めていくのさ。庶民に選ばれさえすれば、たとえ旧幕臣だって政事に参加することができるってわけだ。そうすりゃ、いまの薩長による専制を打破することができる。画期的なことだとは思わねえか?」
突然の話題で、とても頭がついていけなかった。
「……けれど、そんなことをいまの政府が認めるとはとても思えませんが」
「そりゃ、一筋縄ではいくまいよ。だがな、一刻も早く列強諸国に追いつくためには、再び合戦でこの日の本を焦土にしている暇なんてないのさ。たとえ茨の道でも、これを成し遂げなきゃ、この国に未来はねえんだ」
「…………」
「別におまえさんにその運動に加われなんて言うつもりはねえよ。だが、世の中にはもう次の風が吹き始めているってことよ。そのことをよおく覚えておくんだな」
勝がそう言って、自信に満ちた笑みを浮かべた。
◆
桜島を右手に見ながら、錦江湾を奥深く進むと、鹿児島の街並みが見えてきた。
「ようやくたどり着いたか。しかし、またも薩摩くんだりまでやってくることになろうとはな」
旗艦船・龍驤の甲板に立ち、俺と並んでその景色を眺めていた勝が、そうつぶやいた。
勝は、この年の三月にも上京を渋る島津久光を説得するために、政府の勅使としてこの鹿児島を訪れていたのだ。
「なんとか間に合ったようですね」
港には、一隻の軍艦が停泊しており、すでに煙突から黒煙を噴きあげていた。
二千五百トンの排水量を誇る大型船の龍驤よりも二回りほど小さな艦船だ。あれが、西郷と兵士たちを東京に運ぶために用意された軍艦なのだろう。
勝は、俺と逢った翌日にはさっそく、新政府が所有する十四隻の軍艦のなかから、龍驤のほかに東や筑波などの主力艦六隻を選抜して艦隊を編成すると、品川沖からわずか五日の航海で鹿児島までやって来たのだ。
勝が命を下すと、六隻の艦隊は係留している軍艦を取り囲むように四方に展開していく。龍驤は、水飛沫を上げながらそのまま真っ直ぐに軍艦めがけて突き進む。軍艦が次第に近づいてきて、船が減速を始めると、勝が俺に向かって声を掛けてきた。
「さて、行くとするか」
俺は、勝に促されて甲板を後にした。
小舟に乗り換え、西郷たちの軍艦へと向かう。
軍艦の甲板に集まってきた薩摩兵たちが身を乗り出すようにして、俺たちを乗せた舟を訝しげな眼差しで見下ろしている。
その群衆を掻き分けて、桐野利秋が姿を現した。
「これは、いったい何のつもりか!」
頭上から桐野の叫び声が降ってきた。
「武力政変を止めに来ました」
俺も負けずに怒鳴り返した。
「なんだと?……少し待っておれ」
甲板から縄梯子が下ろされ、桐野が小舟に降りてくる。
「どういうことだ?」
「計画は中止せねばなりませぬ。いまから西郷殿に事情をご説明いたします」
だが、桐野は俺の後方を一瞥すると怒声を上げた。
「そこに控えるのは勝海舟殿ではないか……なるほどな。寝返ったってわけだ」
「待って下さい。誤解です」
桐野が、いきなり腰に刷いた太刀を引き抜いた。
「邪魔立てする奴は、おいが身体を張ってでも阻止してみせる」
「俺は寝返ったわけじゃない。事情が変わったのです」
「問答無用! 刀を抜け」
桐野は南朝帝の末裔に関わる秘密は知らないはずだ。いまの桐野に話が通じるとは思えない。
「どうしてもやる気ですか?」
「くどい!」
桐野が、蜻蛉と呼ばれる刀を天高く構える示現流独特の構えを取った。
「やむを得ませぬ」
俺も太刀を引き抜き、下段に構えた。
示現流は『一の太刀を疑わず』と言われ、初太刀から全てを掛けて斬りつける『先手必勝』が特徴の流儀である。初太刀さえ躱せれば勝機は生まれる。
俺は半歩踏み込むと、刀を薙ぎ払った。刃が桐野の眼前の空を斬り裂く。
「キエエエエエ――!」
次の瞬間、桐野が鋭い猿叫とともに渾身の力で太刀を振り下ろす。
俺は、後方に飛び退き、その斬撃を躱した。
先ほどの一振りは誘いの太刀だったのだ。
桐野の初太刀を躱した俺は、一気に間を詰め、上段から刀を振り下ろす。
桐野が、眼前でその刃を受け止めた。
鍔ぜり合いになり、至近距離で睨み合う。
「可笑しかことよのう。明治のいまになって新撰組の斎藤さァとやり合うことになるとはな」
桐野が愉快そうに笑みを零した。
「ああ。近藤さんに止められていなきゃ、とっくの昔に決闘を終えていただろうな」
俺が返した言葉も踊っていた。
互いに刀身を押し返し、再び間合いを取った。
「そろそろ本気でいくぞ」
桐野が再び襲ってきた。
上段から振り下ろされた一太刀を刀で弾き返すと、続け様に桐野の剣が胴に迫ってきた。俺は咄嗟に後方に飛び退いた。
その瞬間、脇腹に痛みを感じた。刃の鋒先が俺の身体を掠めていたのだ。
「どうした? 怠惰な暮らしで腕が鈍ってしまったか」
桐野が嘲るような声を出した。
「どうやらそのようだな」
そう言うと、俺は太刀を左手に持ち替えた。
桐野が、怪訝な表情を浮かべる。
普段は右手を使っているものの、俺はもともと左利きだ。勝手が違う左利き相手では、桐野といえども存分には力は振るえまい。
俺は一か八かの勝負に賭けた。
「行くぞ!」
俺は一気に踏み込み、太刀を振るった。
案の定、桐野が、青眼に構えた刀でその一振りを弾き返す。
だが、それは誘いの太刀に過ぎなかった。
俺はすかさず腰を落として、腰だめにした太刀の鋒先を突き出した。
桐野が咄嗟に跳ね退き、その突きを躱す。
俺はさらに踏み込み、二の突きを繰り出す。身を退いた桐野めがけて、続け様に三の突きを放った。
後方に大きく跳び退き、俺の突き出した刃を躱した桐野がもんどり打って倒れ込み、尻餅をついた。
俺は、すかさず桐野の眼前に刃を突き出した。
「沖田さんに教わった三段突きを躱すとは、さすがは人斬り半次郎だな。だが、これで勝負ありだ」
俺の言葉に、桐野は悔しそうに唇を噛んだ。
その時だった。
頭上から鋭い怒声が降ってきた。
「おはんら、何をやっちょっど!」
甲板の上から黒い軍服を着込んだ西郷が、ふたりを睨めつけていた。
俺は、勝とともに艦尾にある艦長室に案内された。
どっかりと腰を下ろした西郷の脇に立った永岡が怖い顔を向けている。
「よう。元気そうじゃねえか」
勝が、西郷に対して気安く片手を上げた。
だが、西郷は憮然とした表情のまま口を開かなかった。
重苦しい雰囲気のなか、俺は口火を切った。
「残念ながら、計画は頓挫いたしました」
俺は、永岡が鹿児島に旅立ってからのいきさつを手短に語って聞かせた。
話を聞き終えた永岡が、唸るような声をあげる。
「熊沢さまは男系の血を引いておらぬのか……迂闊であった。私としたことが、御庭番衆の言葉を鵜呑みにしてしまうとはな。焦りは禁物であったわ」
俺は、西郷の様子を窺った。眼を瞑って俺の言葉に聞き入っていた西郷は、そのまま眼を開けることなく、黙然としている。
そんな西郷に、永岡が話しかけた。
「此度は、誠に申し訳ありませんでした。なれど、我らが必ずや本物の南朝帝の末裔を捜し出してみせまする。それまでの間、しばらくお待ち下され」
永岡の言葉に、勝が慌てて割って入った。
「おいおい。冗談じゃねえぜ。折角、此度の件は闇に葬ってやろうって言ってやってんだ。その俺の目の前で、謀叛の算段なんかされてたまるかよ」
「しかしながら……」
勝が、永岡を睨めつけた。
「武士の世は終わったんだ。もう武力で事を決するような時代じゃない。だがな、案ずることはないぜ。全国各地で士族たちの不満は頂点に達しているんだ。このままじゃ、大久保を中心としたいまの政府はそう長くは持たぬ」
そこで、勝は西郷に視線を移した。
「その時こそ、西郷、おまえさんの出る幕なんだ。それまでは、じっと雌伏の刻を過ごしていればいい。いいか、決して出番を違えちゃならねえぞ」
勝の言葉に、西郷が目を見開くと、静かに口を開いた。
「永岡さァから此度の話を持ちかけられたとき、天の声を聞いたて思うたとじゃ。じゃっどん、そいは、おいの勘違いやったごつ。とっくん昔においは天から見放されちょったど。あげん大罪を犯してしもたんじゃっで、仕方がなかじゃろう。こげんおいに出番が来っことなど、未来永劫あっはずがなか」
西郷はそう言うと、立ち上がり、ゆっくりと出口に向かって歩き出した。
戸扉の把手に手を掛けたとき、不意に振り返り、永岡に向かって微笑みかけた。
「少しん間じゃっどん、よか夢を見させてもろうた。永岡さァには感謝しかあいもはん」
そのまま西郷は船室の外へと消えていった。
その後ろ姿がずいぶんと小さく見えた。




