第一話
慶喜公との会談を終えて、次郎長宅に戻ってきた俺たちは、土間に面した帳場に車座になった。
次郎長一家は、駿府に戻る慶喜公の護衛に就いているため、家のなかはもぬけの殻だ。密談をするにはもってこいの状況だった。
「なにやら策を思いついたように見受けたが……?」
中根が、永岡に問いかけた。
「策がないわけではありませぬ。けれども、それを実現するのはかなり困難だと言えましょう」
永岡が浮かぬ顔で応えた。
「いいから、話してみてくれ」
中根の言葉に促されて、永岡が重い口を開いて話し始めた。
「そもそもいまの帝はいったい何者なのか?
長州藩の切り札であった大室寅之祐が殺された直後に、王政復古の武力政変のどさくさのなかですり替わった帝は、おそらくは薩摩から京に戻ってきた西郷が、一緒に連れてきた人物に違いありませぬ。けれども、薩摩藩が、長州藩のように南朝帝の末裔を囲っていたとは考えにくい。もし、そうであれば、始めから長州藩と組んで大室寅之祐を担ごうとはせぬはずです。
大室寅之祐が新撰組に斬殺されたのが、十月二十九日。その報せは、直ちに薩摩に戻っていた西郷の許に届けられたはずです。けれども、西郷が再び京に戻ってきたのは、十一月の下旬。僅か一ヶ月足らずの猶予しかなかったわけです。その間に、新たに別の南朝帝の末裔を探し出せたとはとても思えませぬ。帝が誰なのかは判りませぬ。けれども、それは、急場を凌ぐために用意された、大室寅之祐の身代わりに過ぎぬと私は睨んでいます。
「つまりは、帝の血は引いておらぬと言いたいのだな」
中根が問いかける。
「おそらくはそうでしょう」
永岡が肯いた。
「まだ水戸藩が囲っていた泰雅親王や長州の大室寅之祐のほかにも、全国には南朝帝の末裔がいるはずです。そのお方を探し出し、新たに帝に押し立てる。その下で、慶喜公と西郷を中心とした挙国一致の新政府をつくる。そういう企てであれば、南朝帝の末裔を弑逆したことを悔いている西郷ならば、きっと贖罪の思いに駆られて協力してくれるに違いありませぬ。けれど、残念ながら、我らだけの手で短い期間に新たな南朝帝の末裔を探し出すことは、甚だ難しいと言わざるを得ません」
そう言うと、永岡は思わず俯いた。
その様子を見た俺は、思わず声をあげていた。
「いや。任せてください。俺に策があります」
俺の頭のなかには、ひとりの人物の顔が浮かんでいた。
翌日、俺は永岡を連れて駿府に向かった。
街道沿いの一軒の茶屋に腰を落ち着ける。すでに次郎長の子分を遣って書状を送り届けてある。目当ての人は必ず逢いに来てくれるはずだ。そう確信していた。
陽が西に傾きかけた頃、ひとりの女性が暖簾をくぐって入ってきた。
「わざわざご足労頂き、有り難うございました」
そう言って、対面の席に誘った。
慶喜公の奥女中をしている須賀であった。
「私にいったい何のご用でしょうか?」
俺は、須賀の顔をまじまじと見詰めると、言葉を継いだ。
「すっかり雰囲気が変わって仕舞われたので、すぐには気がつきませんでした。あなたとは、たしかに幕末にお逢いしたことがあった。そのときは、御庭番衆の歌女と名乗っておられた。そうでしたよね?」
「ようやく思い出して頂けましたか。いまは本物の須賀さまと入れ替わり、慶喜公の間近で身辺警護を務めております」
須賀が、顔を綻ばせた。
俺は、単刀直入に要件を切り出した。
「実は、あなた方、御庭番衆にお頼みしたいことがあります。それ故、是非にも御庭番衆の棟梁をご紹介頂けぬでしょうか?」
「御庭番衆もすでに一枚岩ではありませぬ。私のようにいまだに徳川家と運命を共にしようとしている者もいれば、いち早く新政府に寝返った者、すでにその職を捨ててしまった者、様々でございます。棟梁はすでに……」
そう言って、須賀が顔を曇らせた。
「ならば、いまのあなたのお頭をご紹介願いたい」
「いったい何を頼まれるおつもりなのでしょうか?」
「いまだ全国には、泰雅親王のほかにも南朝帝の血を引いておられるお方がいるはずです。急ぎそのお方を探し出して頂きたいのです」
「なるほど。主人から少しお話を伺っております。そのお方を武力政変の神輿に据えるおつもりなのですね」
「さすがは、慶喜公に長く仕える御庭番衆だけのことはある」
俺は、須賀の言葉に大きく肯いた。
「ならば、いまさら我らの頭を紹介する必要もございますまい。実は、斎藤さまはすでに頭とお逢いしておりますぞ」
「なんですって……!」
「近藤勇さまのお墓をお守りしている寿徳寺の住職、宮木和尚こそが、いまの我らの束ねでございます」
須賀はそう言って、微笑みを浮かべた。
◆
俺は、永岡を伴って板橋に向かった。
数日前に、寿徳寺の宮木和尚に南朝帝の末裔を捜し出すように依頼していた。その宮木和尚から有力な情報を手に入れたとの報せが届いたのである。
宮木和尚は、裏の顔を微塵も感じさせぬ柔和な態度で俺たちを出迎えた。
「こんなに早くご連絡頂けるとは思ってもみませんでした。いきなりご無理をお願いして申し訳ありませんでした」
「何を仰られる。きっと近藤勇さまの御霊が私どもを引き合わせてくれたのでしょう。務めを果たせることは、拙僧にとっては喜びでしかありませぬ」
俺たちを庫裏に誘った宮木和尚が、穏やかな口調で語り始めた。
「実は、徳川時代に御庭番衆が担っていた遠国御用、つまりは、朝廷や諸藩に対する諜報活動ですな。その対象のなかには、南朝帝の末裔たちの動向も含まれておりました。いまは職を捨てておりますが、かつてその任に就いていた者と連絡がつき、話を聞いて参りました」
「これほど確かな情報はありますまい。それで、いたのですか?」
永岡が、身を乗り出すようにして尋ねる。
宮木和尚が小さく肯いた。
「水戸藩が囲っていた熊沢王の血統には傍流が存在します。おそらくは危険を分散するためだったのでしょう。その傍流の血統は、徳川時代の初めに同じく御三家のひとつである尾張国に移り住み、いまでも時之島の地に根を張っております。いまの当主の熊沢繁左衛門さまは、すでに五十の坂を越えるほどの高齢ではありますが、その後継ぎの文太郎さまは、嘉永元年(一八四八)の生まれと申しますから、睦仁親王や泰雅親王より少し上という年恰好にございます」
「ならば、尾張の時之島に行けば、その熊沢文太郎さまという南朝帝の末裔にお目に掛かることができるのですね?」
永岡が、思わず弾んだ声をあげた。
「その者の話はあくまで徳川時代のものです。維新からすでに六年が経っております故、その者が申していることを今一度、確かめてみる必要がありましょう。すぐに土地勘を持った御庭番衆を時之島に差し向けます」
「ならば、我らの仲間も同行させましょう」
永岡の提案に、俺は思わず口を挟んだ。
「乗り掛かった船です。その役目は、俺に任せてください」
だが、永岡は一瞬思案を巡らせると、首を横に振った。
「いや。人選は後で考えるが、おぬしには私と行動を共にしてもらいたいのだ」
「何をするのですか?」
「鹿児島までは蒸気船を使っても日にちが掛かる。徒に刻を無駄にしたくないのだ。神輿に担ぐべき南朝帝の末裔が存在することが判ったからには、私はすぐにも西郷との談判に向かいたい。二手に分かれて平行して事を進めていきたいのだ」
「なるほど。いよいよ、西郷と逢うのですね」
俺は、思わず拳を握りしめていた。
その夜、妙光院の本堂で打ち合わせが行われた。
永岡が、車座になった一同に寿徳寺でのいきさつを話して聞かせる。
「それ故、私と藤田くんで西郷の許を訪ねたい。ほかの三人のうちのどなたかに、熊沢さまを捜す手伝いをお願いしたいのだ」
「ちょっと待ってくれぬか」
中根が慌てて異議を唱えた。
「何でしょう?」
「儂もいろいろと考えてみた。おぬしは、武力政変を成功させることばかりに気を取られているようだが、たとえ武力政変が上手く行ったとしても、それですんなりと事が収まるとは限らぬぞ。その後に再び合戦が起きることも想定しておかねばならぬ」
「……それは、たしかに」
「西郷が起てば、薩摩はふたつに割れるであろう。板垣や後藤が野に下ったいま、土佐がどう動くかは読み切れぬ。だが、向こうにはまだ長州がいる。我らも合戦に備えて、できるだけ早く同志を糾合すべきだ。佐賀では反政府運動が高まり、政情不安に陥っているという。これに上手く下野した江藤新平を巻き込めれば、一大勢力となり得るぞ。幸い人手は余っておる。儂を佐賀へ行かせてくれぬか?」
「それは面白い。是非、儂もお供させてもらおう」
高津が目を輝かせた。
「佐賀に行って戻ってくるには時間が掛かるぞ。幸を置いていって大丈夫なのか?」
俺は、高津に問いかけた。
高津が振り返り、御堂の隅で丸まって皆を見守っていた幸に声をかける。
「儂はしばらく留守にするが、おとなしく留守番をしておれるよな?」
幸が、臆した様子で小さく肯いた。
「判りました。中根殿が仰ることも尤もです。では、中根殿と高津殿には佐賀に向かってもらいましょう。但し、武力政変の決行前には戻ってきてもらいたい。あまり刻は掛けられませぬぞ」
「承知しておる」
永岡の言葉に中根が応えた。
そのやり取りを聞いていた清水が、思わず舌打ちした。
「てことは、人捜しは俺の役目ってことか」
「何を申しておる。熊沢文太郎さまこそ、此度の武力政変の肝となるお方だ。最も大事な務めではないか」
俺は、清水を叱咤した。
「判っていますよ」
清水の釈然としない口調に、永岡が応じた。
「藤田くんの言う通りだ。よし、書生の井口をつけよう。いっそのこと、ふたりで熊沢さまを密かに東京にお連れしてくれぬか」
「そして、その後は俺が新しい帝の侍従を務めるってわけだ」
清水がそう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。




