第四話
「大政奉還に対しては必ずしも歓迎一色の雰囲気だったわけではない。
松平春嶽殿を始め、時勢が読めるそれなりに優れた男たちには高く評価されたものの、幕府のなかでは、これを不服として大政の再委任を求める動きまで出たほどだ。なかでも激しく反撥したのが、そなたらがいた会津藩であった。けれども、すでに幕臣に取り立てられた近藤勇は、大政奉還を進めてきた若年寄の永井尚志とは、身辺警護を請け負うほどに昵懇の間柄となっており、大政奉還にも理解を示していた。そのため、安心して新撰組にこの大役を任せることができた。そして、新撰組の沖田総司という剣士が、見事に大室寅之祐を討ち果たしてくれたのだ。
大政奉還の直後に京を離れ、薩摩に戻っていた大久保と西郷が藩主・島津忠義とともに十一月中旬から下旬にかけて相次いで京に戻ってきた。ふたりとともに京から帰国した家老の小松帯刀殿が薩摩に留まり、同行して来なかったことに一抹の不安は感じたものの、このときには、さほどの大事になるとは思っていなかった。小松殿こそが、予とも腹を割って話が出来る薩摩藩随一の指導者だったのだ。
西郷は、艦船四隻で数百の兵を引き連れて戻ってきた。すでに在京している軍勢と合わせれば、一千名を超える兵力となる。だが、予はそのことも意に介さなかった。藩主上洛ともなれば、率兵するのは自然のことだし、なによりも京の周辺に在陣している一万近くの幕府軍に比べれば圧倒的な寡兵に過ぎなかったからだ。
知っての通り十二月九日、王政復古の武力政変が決行された。
薩摩軍により御所が制圧されたなかで、『王政復古の大号令』が発せられ、新三職が設置された。そして、その後の小御所会議で予の官位剥奪と徳川家の領地返上が決定した。政変の首謀者は、恐らくは悪名高き岩倉具視であろう。そして、そこに参加したのが、薩摩、土佐、尾張、越前、広島の五藩だ。むろん未だに朝敵処分が解けていない長州が参加できるわけがない。そのうち、明らかな反幕派と言えるのは、薩摩、広島の二藩に過ぎぬ。
実を申せば、予は政変のことを事前に知っておったのだ。
政変の三日前に、越前の松平春嶽殿が慌ててそのことを予に報せてきた。潰す気になれば、政変など容易く潰すことができたのだ。けれど、予は敢えて動かなかった。すでに薩長の切り札である大室寅之祐はこの世にはいない。帝は、予の息が掛かった元泰雅親王なのだ。武力政変など成就するはずがない。ここはゆっくりとお手並み拝見、そんな心持ちだったのだ。
案の定、松平春嶽殿や徳川慶勝殿の働き掛けにより、武力政変は失敗に終わり、予は議定に就任することが内定した。将来的には、太政大臣に就くことも想定されていたのだ。あのとき、滝川具挙が江戸から兵を引き連れ、江戸の騒動を報せに来なかったならば、予の思惑通りに事は運んだのだ。
滝川の報せを聞き及んだ大坂城中は興奮の坩堝と化した。もはや激昂した将兵たちを止めることは出来なかった。即時開戦を主張する強硬派をなだめすかして、『討薩の表』を朝廷に提出することで折り合いを付けざるを得なかったのだ。
まさか薩摩軍が鳥羽街道に関門を設けて、臨戦態勢を整えているとは夢にも思わなかった。けれど、考えてもみよ。議定に内定していた予には朝廷から上洛命令が下っておったのだ。にも拘わらず、関門が設けられていたと言うことは、始めから少人数で上洛して来る予を鳥羽街道にて暗殺するつもりだったのだろう。何と言っても、敵の知恵袋は、孝明帝を弑逆した悪逆非道の岩倉具視なのだ。そのくらいのことは平気で遣り果せるであろう。そう考えれば、予の判断はいささか甘すぎたのかも知れぬな。
その後は、知っての通り幕府軍は負けるはずがない戦いに負け続けて、遂には大坂城への撤退を余儀なくされた。しかし、予はこの理不尽な合戦に屈するつもりはなかった。大坂城に籠城して、最後まで戦い抜くつもりでいた。一月六日に大坂城の大広間に主だった将士を集め、その思いの丈を伝えたのだ。
事態が急変したのは、その夜のことだった。
御所の様子を探らせていた御庭番衆の歌女が、血相を変えて大坂城に駆け込んできたのだ。
「上様、大変なことが起こっております」
「いったいどうしたと言うのだ?」
「帝は、泰雅親王ではございませぬ。見も知らぬ男に入れ替わっておりました」
「なに……!」
薩摩藩は王政復古の武力政変の真っ只中に帝のすり替えを行っていたのだ。しかし、いったいどういうことなのか? 大室寅之祐は確かに抹殺したはずだ。薩長は予めもうひとり南朝の末裔を用意していたとでもいうのか?
いずれにせよ、帝を薩長に握られてしまった以上、戦いを継続しても幕府に勝ち目は無くなってしまったのだ。そのときの予は、恐慌を来して、まともな判断すら出来なくなってしまっていたのだろう。気がつけば、逃げるようにして大坂城を抜け出していた。
鳥羽伏見の戦いに勝利した官軍は、江戸に向かって東海道を進軍してきた。西郷は、本気で江戸総攻撃を仕掛けて、予を誅殺するつもりだったのだ。和平に向けた万策は尽き果て、予は窮余の策として、山岡鉄舟に西郷に対する脅し文句を授けて駿府に送り込んだ。帝を殺し、すり替えを行ったことは新政府のなかでも一握りの者しか知らぬ極秘事項だったのだろう。その秘密だけは何としてでも秘匿しておかねばならない。ここに至って西郷はようやく翻意したのだ。
その後、江戸における西郷と勝海舟との二日に亘る会談で和平は成立した。
高輪にある薩摩藩邸で行われた一日目の会談では、降伏条件に関する具体的な交渉は一切なされなかった。ただ、静寛院宮さまの処遇についてのやり取りが行われただけで終わった。
実は、その夜遅く、西郷は密かに寛永寺で謹慎していた予の許を訪ねてきたのだ。
不安に駆られていた西郷は、予の口から直接言質を取らねば気が済まなかったのだろう。予は、その場で帝殺しの秘密については決して口外しないことを西郷と約束した。それが、江戸総攻撃を取り止めさせるとともに、予の謹慎を認めさせるための条件なのだからやむを得ない。けれど、彼奴らが行ってきた卑劣極まりない所業の数々を前にして、予の腹の虫はとても収まらなかった。その腹いせに、西郷にこれまでの帝に関わる秘密を洗いざらいぶちまけてやったのだ。
予の話を聞き終えた西郷の面容は蒼白に変わっていた。
「……ならば、おいは南朝帝の末裔ば殺したち申すとな」
そう小さく言葉を漏らした西郷は、ひどく打ちひしがれた様子であった。あの大きな男が随分と小さく見えたものよ。
それ以来、西郷とは逢っておらぬ。その後、西郷は江戸城無血開城を済ませ、上野戦争が終結すると、東北へと転戦することなく、そのまま薩摩に引き籠もってしまったのだ。
さて、この辺でもうよかろう。これが、いままで誰にも話したことがなかった帝にまつわる幕末秘話のすべてよ」
そう言うと、慶喜公は膝元の茶碗に手を伸ばし、すっかり冷めてしまった茶を啜った。
慶喜公の長い長い昔話は終わりを告げた。その想像を絶する内容に、誰しも暫し口を開くことが出来なかった。
その沈黙を破るかのように、高津が畳に両手をついた。
「知らなかったこととは言え、これまで大変ご無礼仕りました」
そう言って、畳に額をこすりつけた。
「よいのだ。気にはしておらぬ。予がひとりで泥を被れば済むことだ。そう覚悟は決めておったからな」
慶喜が穏やかな言葉を返した。
「あのとき、慶喜公が大坂城に居ては、合戦は終わりませなんだ。傷口を広げぬためのご英断だったとは……某は、上様のことをずっと誤解しておりました」
高津の言葉は、涙声に変わっていた。
俺は、以前に海老原穆が語った言葉を思い返していた。
――何があったのかは知らぬが、儂の眼には、その後の西郷はまるで魂が抜けてしまったかのようにすら映る。自らの信念を貫き、ときに藩主をも蔑ろにして強引に突っ走った狂信的な姿はもう何処にも見出すことができぬ。
「西郷にとっては、南朝帝の末裔を弑してしまったということが、それほどまでに衝撃的なことだったのでしょうか?」
俺は、慶喜公に問いかけた。
「もちろんだ。西郷は、南朝の重臣、菊池家の血を引いていることをなによりの誇りにしてきた男だ。事もあろうにその自分が、南朝帝の末裔を殺してしまったのだ。その心に受けた傷の深さは察するに余りある」
「…………」
永岡が、低頭して慇懃な挨拶の言葉を述べた。
「大変に貴重なお話を有り難うございました」
「少しは役に立ったか?」
「はい。慶喜公と西郷の手を結ばせるきっかけが掴めそうな気がしています」
「……だと良いがな」
慶喜公が気のない返事を返す。
「ひとつだけ確認させてください。大室寅之祐ではないとすれば、いまの帝はいったい何者なのでしょうか?」
「さあ、それは予にも判らぬ。西郷に問い質す気にもならなかった故な」
「左様ですか……」
暫し考えを巡らせた永岡が、改めて慶喜公の目を見据えて、真摯な眼差しで問いかけた。
「もし、西郷が慶喜公と組んでもいいと申したときには、本当に武力政変を行うために起って頂けましょうな?」
「ああ。そのときは、そなたらに協力するにやぶさかではない」
慶喜公はそう言って肯いた。




