第二話
あの頃、俺は、精鋭隊の頭をしておった。務めは、将軍慶喜公の身辺警護だ。
寒さが緩んできた慶応四年二月十二日。
夜明けとともに、慶喜公は、江戸城西の丸から上野に建つ東叡山寛永寺の大慈院に移り、謹慎生活に入った。精鋭隊は、京から戻った見廻組とともに将軍御一行の警固に当たり、そのまま寛永寺の警備に就いた。
その直前に、勝海舟殿を軍事取扱に任じて官軍との和平交渉役に指名した慶喜公だったが、決して大慈院の一室で大人しくしていたわけではない。自らも和平に向けて積極的な動きを見せていたのだ。
境内の桜がほころび始めた三月の初め、俺は、義兄の高橋泥舟に呼ばれて、ともに慶喜公の御前に向かうことになった。
泥舟は、俺が養子に入った槍術の名門・山岡家の二男で、若くして母方の高橋家に養子に入っている。二十二歳で講武所の教授に任じられ、槍一本で従五位伊勢守を授けられたほどの槍の達人だ。その頃、泥舟は遊撃隊を率いていたが、恭順を決めた幕府にあってはもはや仕事もなく、慶喜公の護衛に加わっていたのだ。
大慈院の一室に籠もっていた慶喜公は、相変わらず仙台平の袴を粋に着こなしていたが、その顔はすっかりやつれていた。
「そちが、山岡鉄舟か。たしかに頼りになりそうだ」
慶喜公がそう言って、隣に座った泥舟を見遣ると、泥舟は満足そうに肯いた。
「そちに折り入って頼みがある。駿府にいる西郷の許に行ってもらいたい」
聞くところによれば、西郷への使者として真っ先に慶喜公の頭に浮かんだのは、高橋泥舟だった。泥舟は、慶喜公から絶大な信頼を寄せられており、大目付上席遊撃精鋭両隊惣括兼奥勤という仰々しい役職を賜っていたほどだった。けれど、頼りの泥舟を使者に送れば、自身の警固が心許なくなる。悩んだ挙げ句に泥舟に相談した処、泥舟が自分の代わりに使者に推したのが、義弟の俺だったのだ。
「某に和平の談判を行えとの仰せですか? 畏れながら、某はどちらかと言えば口下手で、相手を言葉巧みに説き伏せることなどできませぬ。某では役者不足にございます」
けれど、慶喜公から返ってきた言葉は予想外のものだった。
「そちに談判など求めておらぬ。官軍の先陣はすでに箱根の山を越え、江戸の近くにまで迫ってきていると聞く。駿府への道中は極めて過酷なものとなろう。そちの役目は、官軍の軍勢の網を掻い潜って、無事に駿府にいる西郷の許にたどり着くことよ。予が求めていたのは、腕が立って肝の据わった男なのだ」
「では、某は西郷と会って何をすればよろしいのですか?」
「予の言葉を伝えるだけでよい。それならば、そちにもできよう」
慶喜公は、俺を手が届く距離にまで招き寄せ、耳許で伝言の言葉を囁いた。そして、護身用にと仏蘭西製の短筒を授けてくれた。
俺は、慶喜公の指示に従い、道中の路銀を求めるために、勝海舟殿の邸に赴いた。
俺の顔を見た海舟殿は、露骨に顔をしかめたよ。
「おぬしなどに交渉役など務まるものか」
海舟殿の顔には、はっきりとそう書かれておった。けれど、いや、だからこそと言った方がよいのかな。駿府に向かう俺のために、わざわざ西郷に宛てて書簡を認めてくださったのだ。
海舟殿が書状を書き終わるのを待っていると、襖が開き、奥からひとりの男が現れた。
「山岡、久しいのう。話は聞かせて貰った。道中の案内は俺に任せてくれ」
薩摩藩士の益満休之助だった。
まだ血気に逸っていた頃、俺は、庄内藩出身の尊皇攘夷の煽動家・清河八郎らとともに『虎尾の会』という名の結社を作った。そこに加わっていたのが、益満休之助だったのだ。
益満こそが、鳥羽伏見の戦いの引き金となった薩摩藩による江戸騒乱の首謀者のひとりだった。幕府による薩摩藩邸焼き討ちの際、逃げ遅れた益満は幕軍に拿捕されて、勝邸に囚われていたのだ。薩摩藩士の益満が同行すれば、途中で官軍の陣地を通過する際に役立つに違いない。渡りに船の申し出だった。
俺は、益満とともに小石川にあった自宅に戻ると、旅支度を整え、腹一杯飯を喰らった後に、駿府に向けて出立した。
すでに夜の四ツ(午後十時)を過ぎ、満天の星が煌めいていた。
六郷川を渡り、しばらく歩くと川崎宿に至る。官軍の先鋒隊は、すでに川崎にまで達しており、そこに陣を張っていた。だが、益満が発する独特の薩摩弁が通行手形になった。誰何されることもなく、無事に関門を突破することができた。その後も神奈川宿、戸塚宿、藤沢宿と宿場ごとに置かれた官軍の屯所を難なく通過していく。
事態が急変したのは、箱根の山道に入ってからだった。同行していた益満が突然、腹を抱えて蹲ったのだ。
「すまぬ。癪を起こしたようだ。ここから先は、付き合えそうもない」
先を急ぐ旅だ。とても益満の身体の回復を待っている暇はない。
「ここに置いていくことになるが、悪く思うな。ゆっくりと休んでくれ」
益満と別れた俺は、官軍が往き来する街道を避け、山の中を歩き、浜辺を進んだ。お蔭で随分と時間を喰ってしまった。富士川を渡ったときには、もう二日目の夕刻になっていた。
しばらく歩くと、由比倉澤の薩垂峠に差し掛かった。ここは、山が海までせり出した、東海道のなかでも最大の難所だった。このとき、海岸沿いの道は、潮が満ちて通れなくなっており、もう一方の切り立った崖に沿って曲がりくねった峠越えの細い山道を進むしかなかった。
俺は、暗闇のなか急ぎ足で峠を登り出した。頂上近くに差しかかったとき、その先に煌々と焚かれた官軍の篝火が目に映った。その周囲には、大勢の兵士たちの気配が漂っている。さすがにこのまま官軍のなかを突破することはできない。さて、どうすればいいのか? 俺が思わず立ち止まった、まさにそのとき、前方から兵士たちの声が聞こえてきた。
「いたぞ!」
「六尺を超える大男だ。間違いない」
俺は慌てて踵を返し、もと来た山道を走り出した。
待ち伏せされていたのは、明らかだ。俺は、瞬時に理解した。益満に裏切られたのだ。囚われていた益満が薩摩に戻るためには、俺に同行するというのは格好の口実ではないか。江戸騒乱を引き起こした益満が、幕府と官軍との和平工作に容易く協力するはずがないと最初に気づくべきだったのだ。
背後で銃声が轟き、すぐ傍の樹木が火花を散らした。
この暗闇のなかでは、そう簡単に当たるわけがない。頭ではそう判っていても、気が急いて仕方がない。俺は、懐に忍ばせていた十連発の短筒で応戦しながら、懸命に山道を駆け下り、追ってきた兵士たちを振り切った。
峠の麓まで戻ると、目の前に大きな屋敷が建っていた。後で知ったことだが、それは網元や駕籠屋を兼ねた望嶽亭藤屋という大茶屋であり、江戸時代には脇本陣をも務めるほどの格式だった。藁をも掴む思いで、玄関の表戸を叩き、押し殺した小さな声で助けを求めた。
しばらくすると大戸が僅かに開き、隙間から女が目を覗かせた。俺は力一杯戸を押し広げると、なかに飛び込んだ。
「某は幕臣の山岡鉄舟と申す者。いまは官軍に追われておるが、将軍慶喜公の名代として駿府の大総督府に行かねばならぬ大事な身でござる。しばらく匿ってもらえまいか」
なかにいた主人の松永七郎平にそう訴えると、何も問わずに屋敷の奥へと案内してくれた。そこは、分厚い漆喰作りの扉で母屋と切り離された十五畳ほどの蔵座敷だった。
俺が、七郎平に改めて事の次第を説明していると、屋敷の外が騒がしくなった。
「どうやら官軍の御用改めのようです。急いでお逃げください。ここから裏の浜辺に抜けられるのです。すぐに舟を用意致します」
蔵座敷の左隅にある半畳の置床を外し、引き戸を開くと、外へと繋がる隠し階段が現れた。
俺は、主人が手配した漁師の着物に着替えると、階段を降りて浜辺へ出た。すでにお抱え漁師の栄兵衛が櫓舟の支度を済ませていた。
「清水の次郎長親分をお頼りなされ。悪いようにはなさらぬはずです」
「何から何まで相済まぬ」
俺は、深々と頭を下げた。
「なに。我ら御庭番衆は、大樹のために汗をかくのが務めです故」
そう言って、七郎平は白い歯を見せた。




