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第九話 風神演武-急-

 胡蝶の夢という説話がある。中国の戦国時代において活動していた思想家である荘子が考えたとされるこの説話は、端的に解説すれば一人の男が蝶の夢を見て目が覚めたものの、それは男が蝶になっていたのか、自分は既に蝶が見ている夢なのか、その境界線が曖昧になってしまう物語を指す。


 この現象は現実でも起床時の酩酊感や脱力した際の朦朧とした意識に発生しやすく、視界を含めた五感が蝕まれていく感覚は不快を通り越して、自らの死を幻視させ、自分の感性の一切が疑わしくなってしまう。カイトは正にその状態に陥りかけていた。


 衝撃の残滓が脳内に混在している。I・フィルターによって酔いや麻痺の概念は殆どがシャットダウンされ、風神による攻撃も実体のない虚像だとしても、痛覚やそれによる反動は限りなく本物に近く、その後の状況が変貌したことも相まって、カイトの意識は完全に前後不覚を強いられていた。正確にはそれを錯覚するほどに追い詰められていた。


 HPは先の一撃で四割減少。陽光脈の耐久値に問題はないものの、MPが魔法の連続使用によって六割以上消耗している。魔法の習得にかまけすぎた結果だろう。

 MP上昇のスキルも会得はしたが、それで賄える量をとうにオーバーしていたことをこの段階で気づかされた。

 (やばい・・・何がやばいって・・・この状況下で俺だけが蚊帳の外にいる・・・!それだけは駄目だ・・・一人なら恥も外聞も知ったことじゃないが・・・ここで下手に死ぬわけにはいかねぇ・・・!)


 そうだ。ここではどのような要因があっても死ねない。死んだら最後、リスポーンの先に待っているのは奢らされた挙句、それを心底爽やかな笑顔で食する一樹とキリカの姿であり、後に残されるのは絞りかすとなった残金を握りしめて帰路に着く哀れな男のみとなってしまう。


 奮い立たす。それが如何に下賤な事柄であったとしても、あの馬鹿にだけは遅れるわけには行かない。何故なら、特製つけ麺をトッピング増し増しで食するのはカイトを除いて他にいないのだから。



 生物の恐怖の根源は死をおいて他にない。生命活動の停止は本能に刻まれた繁殖行動の放棄を意味し、それらの要因が何処から訪れるのか判別できない以上、生命は己の遺伝子に様々な変化を加えていく。

 しかし、それでも天災に抗える動物は極めて少なく、その中でも大気がもたらす災害は二次的被害に直結することから人間社会の中でも特に畏怖されている。


 ぬかった。完全に相手を侮っていた。属性不利ならばまだしも、単純な力量と魔力量をここまで前面に押し出して使用してくる戦法はキリカがこれまでに経験していない未知の戦法に他ならなかった。


 震動が迸る。第二形態によって活性化した魔力が、辛うじて在留していたアルバードとキリカを翻弄し、勢い尽きぬままアルバードの左半身は噛み砕かれ瀕死となり、キリカも防戦一方までに追い込まれている。

 何とか《黒刺の鉄塊》の二刀使用よって死亡は避けられているも、巨体から放たれる剛拳の連続をいつまでカバーしきれるかは、明らかな天運任せとなっていた。


 「な、めやがって・・・!」


 小人が巨人に猛追するには並々ならぬ努力と知識、そして偶然という名の必然を要する。

 だが、巨人が小人と相対して必要な武装は己の肉体と油断なき精神のみであり、その二つを有する虚駆魔神は迷宮に構築された模造品という仕様も相まって、無敵に近い存在だった。


 防護結界を剥がしつつ、体躯故に対応できない左肩に接近して、そのまま顔面を蹴り殴る。

 大きく弛んだ左頬とそれによって崩れた顔面は宴会の席で見せれば大ウケだっただろうが、闇属性の脚力強化込みでも一向に崩れない憤怒の形相は、キリカの神経をザワつかせ、それを読んだ右の拳圧がキリカに掠る刹那に、身を捻って躱しつつその顔面に鉄塊の雨を叩き込んだ。


 「はぁ・・・これでちっとはマシになったろ・・・」


 この攻防を少なくとも数十分は継続している気分になる。実際は精々が数刻の抗いなのだろうが、それでも体感が長期戦だと訴えている。でなければこの疲労に説明がつかない。

 そして同時に、突如として脳内を侵食した言語を瞬時に理解するには、それが一番の理屈として適していた。


 『摂理に足掻き、信仰の具現に尚も屈服を宣言しない愚かな蛮勇に問う』


 威風を漂わせた男の声。壮年さは感じられるが、叱るでもなく、責めるでもない誰かの問いかけはキリカの判断を硬直させ、ただ問い返すことしか許さない。


 「あ・・・?」


 『ここは白理迷宮第四統括区。我らが祖に挑みし愚者が築いた王城の成れの果て。憎悪も憐憫も全てがここで朽ち、幾重の愚物が淘汰された』


 妙に荘厳で、尚且つ何処か哀れみを帯びた声色は先ほどまで怒りに駆られていた怪物が発するにはあまりにも乖離しており、キリカの背筋を震わせる。


 『しかし、異邦は純粋無垢。死せども復活する魂魄には一切の純白なし。宝物に誘えば欲に呑まれ、強者と邂逅すれば闘争に歪む。我の理解の埒外なり。穢れのみを盲愛する獣が解明不能なり』


 恐らくこれは虚駆魔神に設定された選択シナリオの類なのだろうが、いくら何でも急すぎる。しかもこんな情報は攻略サイトでさえ記述がなかった。つまりキリカ一行が初出となるイベントだ。


 風神の左目がキリカを見据える。それは標的へのそれではなく、未知を探求したいと望む好奇に近いものだった。


 『問う。異邦の民に問う。狂気と理性を含有させた思考と思想で以て、そなたらは何を望む。討伐も殺戮も平等に管轄する異邦は何故に我の討伐を望む』


 ∀ROの迷宮は必ずしも攻略が求められる空間ではない。あくまでもフィールドでは飽き足らず、より強靱な武器や防具、戦闘経験を獲得したい人間に提供されるコンテンツの一種である。

 設定上は邪神の肉塊が自立稼動して成立させたのだとしても、それはゲーム内の都合に過ぎない。異邦人であるキリカ達は本質的には放棄してもいい案件なのだ。


 その上で、何故挑むのか。ある種、メタフィクションの要素を内包している問答は異邦人の狂気性を浮き彫りにし、言葉を詰まらせるに至った。


 「ん、な、もんは・・・・・・」


 『予測不能。予想不能。我の回路では解析不能。我は白理迷宮の虚駆魔神。この迷宮を守衛するが務め。人間は封印護符によって我らを縛り、我らは邪神復活時に完全消失を約束されている。

 しかし、異邦は挑戦する。強弱を隔てず、欲望に逆らわず、善悪に躊躇せず。その機微の根源を問う。根幹を問う。異邦の意思を問う』


 「い、しなんざ・・・」


 返答はできない。この問答はある種のタブーだ。ゲームという虚構によって曝け出される人間性と獣性、それは至極当然のもので、誰もその自由な領域に倫理を持ち込む奴はいない。だからこそ、風神の問いかけはキリカの喉元を抉るかのような感覚を与えていた。


 「・・・・・・お、れは、俺たちは」


 「――そんなもん、決まってんだろ」


 唐突に遮られ、思わず発声者へと視線を向ける。深く息を吐き、されど核心を得ていると表明するかのように問答に参戦した少年は先ほど無様に跳ね飛ばされた異邦人であり、風神も想定していなかったのか、その表情は唖然としたまま、キリカと同様の方向を捉えていた。


 「俺はな、そこで干からびてる馬鹿と賭けをしてんだよ、どちらかがくたばれば、その瞬間につけ麺奢りってな。だから負けらんねぇんだよ。あそこの店旨ぇけど・・・特製とか頼まれると俺の小遣いが自刃を迫られるんだ・・・それだけは阻止しなくちゃいけねぇ」


 『不理解。異邦の民は食事で生殺与奪を管理するのか』


 「んなこた知らねぇよ。俺らが戦う理由はそんだけって話だ。意味もクソも関係ねぇ。これはゲームだぜ。お前らの大義とかを持ち込まれても萎えるだけなんだよ。

 だからとっととぶっ潰して、有り金と財宝の類全部パクってやるから覚悟しとけよコノヤロォがぁ!!」


 完全にチンピラ崩れである。理屈も道理も無視して金品だけ寄越せと眼前の少年は回答している。

 今時、海賊でももう少しマシな脅し文句を使う。というか、主義主張が全開過ぎて風神の汎用AIが対応しきれていない。


 「・・・クッ」


 ふと、キリカの口から笑いが漏れる。それが何に煽られたものかは把握できなかったが、それでも心底馬鹿らしい答えに妙な納得感を覚えたのは確かだった。

 そしてそれは風神も同様であり、異邦の民としては異質な在り方に感心でもしたのか、最早、その形相に憤怒は宿っていなかった。


 『興味を示す。関心を示す。賭博と食を戦闘意義とする異邦の民の心理を例外規定としてここに歓迎する』


 「あ、レーガイキテイ・・・?」


 「特殊会話成功時の形態変化だ!通常と異なる意匠に変形するぞ!今すぐそこから離れろッ!」


 「マジでかッ!?ヤベェ、下手に喧嘩売っちまったじゃねぇかぁッ!?」


 暴風が顕現する。自然災害とは比較さえままならない集約された魔力は風神の権能そのものであり、虚駆魔神という統括者の権限は、風神を化物の規格から超越させ、怪物の枠外へと昇華させていく。その余波は尋常ではなく、カイトどころかキリカさえ強制的に滞空させた。


 「コ、イツは・・・!」


 桜色の柱が常駐する改札まで移動させられ、遅れて落下してきたカイトを右腕で掴んで放り投げる。その際に轢き殺されたヒキガエルと同質の呻き声を上げた気がしたが、キリカにとっては今正に完成体へと到達した風神の方が遙かに重要だった。


 月光を彷彿とさせる白色の肉体。右脳と右掌の再生はなく、防護結界が取り払われようと、背後の光輪と左腕にびっしりと刻まれた独自の魔術言語による術式がそのハンデを奪い去っている。


 何よりも微笑を浮かべた表情は煩悩を振り切った賢者に等しく、キリカとカイトは自身が相対している魔神の正確な底力さえ、見極められなくなっていた。


 『真理は虚ろなる生命の大脳より生じる。故に我らは王城の知恵を望んだ。それらは我々に白き知識として吸収され、黒き論理となって抽出される。経験、精神、狂気、恐怖、勇敢。それらは全て邪神の新世界創造に必要な叡知の糧』


 迷宮には明確に名前の意図が設定されている。上野に設けられた《混寧迷宮》の場合は、空間魔法による古代生物の跳梁跋扈と独自の生態系によって混沌とした安寧が築かれているからこそ命名されたのであり、そこに適当なスタッフの悪ふざけは介在しない。


 『白き世の理から黒き理を演算して導き出す。それこそが《白理迷宮》の意義にして大義。虚駆魔神はその礎にして補完を表す。異邦の民の思想回収及び殲滅継続。以降の戦闘を風神より《迅駆風神》に変更。掃討を再開する』


 第三段階解放。それはカイトの∀ROデビュー初日を彩る最大の花火にして、今日の最終決戦を象徴するレイドボスの宣戦布告であった。





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