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歴史人物浅評  作者: 張任
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悪徳王

世に恐れられる生物はごまんと存在する。

強靭な身体と爪牙を持つ熊、海の恐怖として映画にもなった鮫、その生態から怪物が想起された蝙蝠。

各地で食物を喰い荒らし災厄の象徴となった蝗、天然の注射針を持ち様々な伝染病を齎す蚊、その見た目と能力から無条件に恐怖の対象と化した蜚蠊など。

種類も理由も様々に、恐れられる物は在る物だ。

そしてそれは同じ種族である筈の、人間とて同じ事。


アッティラ。


今回は蛮族の王として各国から畏怖され、神の災いと称された彼について記そうと想う。


 ________________


1.

アッティラは五世紀頃、主に欧州で悪名を轟かした遊牧民、蛮族の主と忌み嫌われた大王の一人である。

この民族は『フン族』と呼ばれており、記録に残されている限りでは四世紀の時点で欧州に侵攻。

以降半世紀もの長きに渡り、周辺国家…特にローマ帝国を脅かし続けた。戦乱、略奪、虐殺。

彼等の登場は何れかの災厄到来を意味し、その度に人命なり財産なりを浪費するのが確されたからだ。

中にはフン族が来たとの情報を聞いただけで狼狽し、居住地から逃げ出す者まで現れる程。

とは云え国家の存亡を左右する勢力までは持っておらず、鬱陶しい頭痛の種ではあっても忌み嫌われる仇敵とは思われていなかった。


神鞭、そう謳われたアッティラが現れるまでは。


彼が登場する前のフン族は精強では在れど、どうにも纏まりを欠く集団だった。

一塊では無く複数の者達に別れ、主義主張・利益云々で内輪揉めも屡々。

中には傭兵として敵である帝国に与し、戦場で刃を交える連中も存在したと云う。

そんな訳でフン族は決定的な力を持つには至らず、どうにかローマは国家の体を成していたのだが、先代が死去しアッティラ(ともう一人の甥)が次の統率者に任命されると一気に情勢は急変していく。

彼等は任命後すぐに自身の勢力を用いて暴れ回り、ローマに打撃を与えると講和の場を設けた。いや、講和と云うのは些か生温い、脅迫とするべきだろう。


極めて多額の上納金。フン族捕虜の無条件解放。

交易の規制撤廃。自分達に敵対する勢力と同盟禁止。


その他諸々、ローマ帝国には屈辱としか形容出来ない約束を交わし、アッティラは講和を為したのだった。

そして、この講和から彼の覇道が始まっていく。


2.

こうも舐め腐った態度を取られて反抗出来ない程、フン族とローマ帝国には圧倒的な戦力差が存在した。

フン族の強みは騎馬による優れた機動力と、数種の素材を用いる事で飛距離と強度を増した複合弓。

相手の攻撃範囲外から強烈な矢弾を撃ち続ける、この単純ながらも故に打開策が存在しない戦術、索敵能力の高さにローマは苦しめられていたのだ。

それでも一つに纏まった部族で無かったのが不幸中の幸いだったのだが、アッティラの登場によりそれが崩壊。フン族は急速に中央集権の態勢を整えていく。


捕虜となったフン族兵士、その中に居た敵対集団の権力者を『敵に魂を売った下衆』として処刑。

共同の統率者として存在した一族の甥も、事故に見せ掛けて暗殺。名実共に唯一の権力者となる。

そして手にした権力を活用して騎馬弓術の集団訓練を行い、個々及び集団戦での殲滅力を格段に上げた。


アッティラの支配方法は『恐怖』だった。

同胞であろうと敵対するならば粛清も厭わず、必要ならば一族の者で在ろうとお構い無しに牙を剥く。

そうして部族を纏め上げると地力強化に勤しみ、他国が太刀打ち出来ない軍隊を創り上げる。

強力無比な軍事力を背景に各地で騒乱を起こし、恐怖に慄く為政者に対して圧倒的に不利な講和を持ち掛けていく…これがアッティラの基本戦略と云えよう。

味方をも戮す頭領にフン族の者は畏敬の念を抱き、恭順の意を示して一丸となる事が出来た。

纏まりが無い事で如何にか対抗していた諸国は彼の手腕に驚き、何時訪れるとも知れぬ騎馬軍団の影に脅え、戦わずして降伏する者まで現れる始末。

彼の戦略は内外共に高い成果を挙げたのである。


それだけでは無い。アッティラには意志が存在した。

征服。己が力を天に示す、覇王の意志が。


彼の攻撃は苛烈を極めた。一度手向かえば兵士は皆殺しにされ、都市に住む女子供とて蹂躙され尽くす。

国家運営が行き届かなくなる程の攻勢は他の統治者を大いに脅かし、彼が突き付ける不平等な講和を次々と成立させていく。

この講和で手にした資源を元に戦費を調達、更に他国へ攻め込み、再度講和を成立。その資源を元に…と云う構造を作り上げ、自勢力の拡大と敵性国の弱体を同時に行う事に成功した。

これを幾度も幾度も何度となく続けた結果、フン族は過去最大の隆盛を築き上げ、対して諸外国は度重なる賠償金や敗北による国威衰退により、もはや抵抗する力すら持てなくなったのである。


3.

アッティラの征服が優れていた点は暴力を伴う侵攻だけで無く、心理面をも同時に攻めていた所だ。

彼は抵抗の意志を見せれば非戦闘民すらも殺戮する惨虐性を発揮しつつも、恭順や友好の意志を示す者には礼を以て遇す、相手を尊重する態度を取っていた。

上記の方策の様に飴と鞭を使い分ける事で、フン族は次第に味方を増やして敵の意気を削いでいく。

それに加え、手にした賠償金を自らの為には決して使わなかった。食器等は木製の質素な物に限り、生活は清貧に徹する。

黄金塗れの宮殿を造れる程には賠償金を絞り取っていたにも関わらず、豪奢の欠片も存在しない日々を送っていた事で懐柔の手立ても見当たらない。

外部の者はただ狼狽える事しか出来ず、アッティラの台頭を歯痒い思いで見送るしか無かった。


軈て大国として名を馳せたローマも過去の遺物と化し、従属させていた者にも叛乱を起こされていく。

反してフン族は欧州全域を支配するかの如き勢いで、自身の勢力を拡大しつつあった。


時にして450年。遂に両国は雌雄を決す事となる。

弱体著しいローマ内部にて王族の一人が権力を握るべく、アッティラと婚姻を結んで現政権を打倒しようと画策したのだ。

この陰謀は寸前で阻止されて書状のみが届かれる程度で済んだのだが、抜け目の無い彼が大義名分を得る好機をみすみす見逃す筈も無い。

寧ろ婚約は成立しているにも関わらず、花嫁が不当な扱いを受けていると難癖を付けて侵攻を開始。

自らが育て上げた軍勢を率いて次々と拠点を陥し、民衆を恐怖で染め上げた。無論、皇帝も同様にだ。


だがローマとて長年支配者として君臨した強者。


頑強な防衛線を敷き、フン族に抵抗をし続けた。

一進一退を繰り広げ、時には勝利を収める事も。

されど地力の差は如何ともし難く、じりじりと本拠地へと追い詰められていくローマ。

最早これまでか…そう誰もが思った時、意外な事が起こった。攻め落とす寸前にまで来ていたアッティラが踵を返し、やにわに撤退を始めたのである。

何故___この問いに答えられる者はローマの中に一人とて存在しない。ただ彼等は窮地から逃れて生を拾い『神の奇跡』と喜ぶ事しか出来なかった。

後年の453年、アッティラは自らの宮殿にて死去。

病死とも暗殺とも云われる英雄の死は部族全体にも暗い影を落とし、絶大な勢力を誇ったフン族は彼の死後、急速に衰退。


十数年も経つと昔話の存在に姿を変えていたと云う。


_________________


アッティラは悪徳の極み、外道の象徴として当時の欧州では忌み嫌われていた。

非戦闘民の殺戮を行い、各国に戦闘を仕掛けては全戦全勝、莫大な賠償金を奪っていったのだから、これで良い評判が立つ方が土台無理な話というもの。

増してフン族が彼の死後、急速に衰えて歴史の表舞台から消えたのだから悪評を覆す者とて存在しない。

そんな訳で長らくの間、アッティラは悪党を代表する者として欧州の歴史に悪名を轟かせてきた。


しかし実際に彼の半生を振り返ると、悪人と云うよりかは覇王の方が異名として正しい気がしてくる。


抵抗の意志を示す相手に生半可な対応は寧ろ悪手。

それならば徹底的に殲滅する事で内外に強さを見せつけ、威容の向上と敵方への牽制をする方が良い。

上記の様な彼の残虐行為はその実、利害を現実的に考慮した上での、極めて冷静な判断だった。

現地での逸話の中にはアッティラが人徳溢れる名君と説明される者も数多く、その点を踏まえると清濁を使い分け、悪名を厭わない…と云うか悪名すらも利用しようとする強かな人物像が浮かび上がってくる。

アッティラは蛮族の悪人などでは無く、悪を為せる器を持つ人、それが答えなのだろう。


ところで彼と同じ性質を持ち、同じ様な人生を送った者が存在する事を御存知だろうか。

その者の名はチンギス・カン。歴史上最大の帝国を築いた騎馬民族の長、蒼き眼の狼がそうである。


彼とアッティラの人生は驚く程に似通っている。

出自から勢力の隆盛、戦術から没落まで何もかも。

資料ではフン族は騎乗に特化した服装と筋肉をしており、黒髪に低い鼻で細い目の…所謂、蒙古人種に似た風貌をしていたと記されている。

もしかしたらフン族はモンゴル民族に類する者達だったのやも。と、なれば彼等は衰退したのでは無く、新天地を求めて旅に出た可能性も僅かに有る。


アッティラがローマの喉元まで辿り着いておきながら撤退した理由、それは神の奇跡でも長期戦による物資不足でも無く、新たな楽園を求めて己が身体に流れる血が沸き立った、そんな衝動から来る物だったのかも知れない。

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