癌想郷
理想とする世界は誰の中にも存在する。
その内容に関しては各々異なるので一括りに出来る物では無いが、そのいずれもが誰かが幸福となるのを目的とした物で在る事は間違い無い。
自分の為、他人の為、時には世界の為。
しかし幸福を追い求める事が、必ず正解に導くとは限らない。絶対的な幸福なぞ世に存在しないのだから。
ポル・ポト。
今回は全国民の幸福を真摯に願った結果、国家を破壊し人々を虐殺した彼について記そうと想う。
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1.
ポル・ポトは20世紀のカンボジアにて、最悪級の人権蹂躙を行ったとして悪名を轟かせた政治家である。
彼の名前は実の所は『政治の可能性』という意味の渾名で、本名はサロット・サルだと言われている。
ここで言われている等と曖昧な書き方をしているのは、本人がこの名前を終生否定していたからだ。
なぜ自身の名を頑なに拒み、ポル・ポトの名に固執するのか___その疑問を解くには先ず、彼の来歴を知る必要が有るだろう。
1928年。カンボジアの裕福な農家に、7人兄妹の末っ子として彼は生を受けた。
生家は王族とも縁深い関係で、一族も勉学に長け国家を支える人材を幾人も輩出する名門中の名門。
そんな場所に産まれたポル・ポトの少年時代は後の所業を考えると俄かには信じ難いが、非常に優しく穏やかな…誰からも愛される代物だったと云う。
分け隔て無く誰とも接し、その人柄が万人に好まれた彼の人生はどこで捻じ曲がってしまったのか。
それは最初に起きた、一つの躓き。
高校の入試に失敗した事を切掛に、ポル・ポトは人生の坂を転げ落ちる様に闇を深めていく。
能力が足らず、名門を汚したと落ち込む息子の姿、それを見た両親は如何にかしてやらねばと奔走し、培った人脈を用いて海外留学の切符を捥ぎ取る。
人生の展望を見失っていたポル・ポトはこれに感激。
一族の期待を背に、何よりも踏み外しかけた名門へ道を再び歩む為、彼は一路フランスへと渡航した。
希望の門出と喜び勇んで踏み込んだ異国の地。
しかしその地で待っていたのは希望では無く、人種差別と言う名の厳しい現実だった。
当時のフランスはベトナムと戦争状態にあり、国内でアジア人に対して強烈な敵愾心を持っていたからだ。
カンボジアはフランスの植民地と半ば化しており、故にポル・ポトは留学が出来た訳だが、見慣れない人種の国籍なぞ一朝一夜で判別出来る物では無い。
増して戦争中の異常な状況下で冷静な判断が下せる筈も無く、カンボジアから来た純朴な青年は謂れ無き差別を、親も友人も居ない異国の地で受けてしまう。
心身共に追い詰められ、相談する相手を作る事すら出来ない環境は急速に彼の心を蝕んでいく。
逃げ帰ろうにも方法が存在しない。そも逃げる事が出来ない。戻るとはつまり、期待を裏切り一族の名に泥を塗る、恥晒しとして生きる事を意味するからだ。
もはや限界を迎えつつあったポル・ポト。
だが、そんな彼に救いの手を差し伸べる者達が居た。
彼等の名はフランス共産党。
そう。この出逢いを経て、普通の青年は変貌する。
平等の名目で虐殺を行う、規格外の怪物へとだ。
2.
共産党内での活動、これは異国で孤独に踠き苦しんでいたポル・ポトにとって唯一幸福な時間だった。
存在を認められ、友人も存在する。彼等と未来の国家運営について話し合う事は、人と接する機会を不当に奪われていた者には蜜の様な代物だった事だろう。
それが仇となった。彼は手に入れた世界を守ろうと、波風を立てない様に口を噤む様になったのだ。
過激な発言にも反論せず、ただ追随していく内にポル・ポトの思考は彼等の思想に順応していく。
『朱に交われば赤くなる』…その諺の通りに。
共産主義に完全に染まったポル・ポトは、当初の目的だった学校生活を完全に放棄し始める。
それは名門の道を自ら閉ざす行為、つまりは一族が繁栄との訣別をも意味していた。
1952年。試験を三回も失敗した彼は国家からの奨学金を打ち切られ、これを機にカンボジアへと帰国。
両親は残念がりはしたが、ともかく無事帰って来た事を喜んだ。息子が変貌しているとは露程も思わず。
その後のポル・ポトは数年に渡り特段不穏な動きを見せる事も無く、教師として働き結婚に至る極々平凡な日々を過ごす。態とらしい程に、普通な。
しかしその裏では共産主義導入の工作を行い、地下で革命の計画や理想となる政治の事を日々話し合う。
結婚をフランス革命の記念日に行う等、明らかに不穏な動きを見せるも両親含め誰も気にはしなかった。
あの優しく純朴な人物が政府転覆を行う筈が無い、増して一族と縁深い王族に仇なすなんぞ、とても。
彼を識る者はそう言って、疑惑を一笑に伏した。
誰も気に留めなかったのだ。彼の、今現在の姿を。
その日。1975年、4月17日。汚職に塗れ異国に平伏するばかりの弱腰に見切りを付けた国民が団結し、新たな指導者を掲げて現政権を打倒。
新たな政治の始まりに皆が皆、喜び合った。男も女も、子供も老人も。誰も彼もが一人の名を呼ぶ。
ポル・ポト。新しい政治の名を冠す、指導者の名を。
3.
カンボジアの国民は疲弊していた。
内戦が延々と続き、不当な弾圧に怯え、隣国の戦争が原因で爆弾が雨霰と降り注ぐ。国土は荒廃し、膨大な数の人間が住む家を追われたからだ。
明日をも見えない状況下、夜風を防ぐ事すら出来ない日々に苦しんだ彼等は『平等』『平和』を謳うポル・ポトの言に縋り、奪われた幸福と希望を求めて戦いを始める。そして、それは為されたのだ。
そこで物語は終わる。再生を目指す物語は。
後に残されたのは虚無。虚無に至る破壊のみ。
ポル・ポトの一団が実権を握った後、最初に行ったのは首都に住む者達の強制的な農村疎開だった。
疑問を挟む事は許されなかった。反抗的な者は粛清された。老若男女を問わず全ての人間が遠方に駆り出されていく。した事も無い農業をする為に。
灼熱の道を歩かされる内、老人が猛暑で死んだ。
次いで子供が長距離の移動に衰弱して倒れ伏す。
介抱に向かった両親は体制に歯向かう者として、無情に兵士の手で撃ち殺された。
屍だけが積み重なる道を、人々はただ歩いていく。
そんな死の行軍も、地獄の序章に過ぎなかった。
疑う者は殺された。記者も、学者も、政治家も。
知る者は殺された。医者も、教師も、博士とて。
大人は殺された。年齢を重ねている、それだけで。
異分子は徹底的に排除し、外部からの情報は遮断。
自らの行為に異を唱えそうな人物は悉く処刑され、簡単な英単語を呟いた者や、眼鏡を掛けていただけの者すら粛清の対象にされたと云う。
宗教、科学、書物は人心を惑わすとして一切合切を焼き払われ、恋愛も禁止される。結婚相手は政府が勝手に用意、法を破った者は囚人の烙印を押された。
感情を表に出す事は叛意を持つと看做され、喜怒哀楽を示すだけで苛烈な責苦に遭う。故に人々は思考を閉し、無表情で過ごしていく。まるで機械の様に。
そうして無理矢理に農業へ専念させたにも関わらず、生産量で芳しい成果を得る事は出来なかった。
しかし、それも当然の話。
農業は単に地を耕し種を植えれば良い物では無い。
品種改良を始めとして耕作の方法・効果も様々存在し、害獣や害虫対策を実施しなければ、効率の良い方法なぞ実行出来る訳が無い。
理の部分を担う知識層や体力の有る成人層を虐殺し、農耕道具をも没収した結果、国内の農業は質・量共に『原始時代』へと退化。
国力は瞬く間に衰退を遂げ、そんな状況にも関わらず農業商品を『計画』の為に輸出した事で、多数の餓死者を出す深刻な食料不足を招いてしまう。
それでも国民がポル・ポトを非難する事は無かった。
言えば必ず殺される。それを皆が知っていたからだ。
地獄を正に体現したカンボジア、ポル・ポト政権。
この惨劇は約四年もの長きに渡り続いたとされる。
外部の情報を遮断、外国の記者等が取材に来る事も禁止し、国民を徹底的に監視する事で亡命を阻止。
恐怖を煽り、脱走者を見せしめに惨たらしく処刑する事で反抗心を掻き消す戦略が功を奏したのだろう。
偶然にも脱出した者等が事情を説明し、隣国から援助を受け反撃が開始されるまで、これらの情報が外に洩れる事は無かったのだから。
1979年。高官を粛清し尽くし、指揮系統が消滅した事で混乱し続けるカンボジアは隣国の軍隊に惨敗。
ポル・ポトは権力者の座を追われ、1998年に逃亡生活の末に死亡する。69歳だった。
心臓発作と公式には説明されながらも、遺体に不審な点が存在する事から暗殺の可能性を遺して。
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ポル・ポトは何故この様な虐殺を伴う統治を行なったのだろう。こんな理すら存在しない政治を。
机上の空論ばかりを並べ立てるばかりで、現実がまるで見えていなかった事が原因だとされているが、果たしてそれだけが理由なのだろうか。
彼には大人は皆信用出来ないとして子供のみを採用、年端も行かない内に兵士として銃を握らされ、医療知識なぞ微塵も持たない医者擬きの子供に外科手術を行わせた狂気的な逸話が存在する。
この一件に幼少期に於ける周囲の評価、家族には終生優しかったとされる情報を以てポル・ポト自身を純粋な人間だと捉えるは、別段強引な話でも無かろう。
実際、この文章内でもポル・ポトは純朴で優しい青年だったと記し、不幸が重なり狂気に堕ちてしまった様な流れにしている。しては、いる。
だが。彼の人生を省みると、こうも考えられるのだ。
ポル・ポトは幼少期に培った屈辱の記憶を何時迄も持ち続け、それを払拭する為に『自分にとって』理想の世界を創り上げようとしたのではないか、と。
彼は学歴に対して強いコンプレックスを持っていたとされる。地下組織で活動時に自分の扱いが悪いと『俺が馬鹿だから軽んじるのか』と激怒したと云う。
この事柄から浮かび上がるのは劣等感。
底無しに深く、昏く澱んだ負の感情である。
ポル・ポトは受験に失敗して以来、いや、それ以前からこの感情を抱いていたのかも知れない。
名門に値しない能力の自分、異国で迫害される自分、誰からも興味を持たれない自分。自分の存在価値を認識出来ない世界に、彼は酷く苦悩していた。
だから世界そのものを変えようと考えたのだ。
精神的にでは無く、物質的に。
ポル・ポトは過去を知る者を、歴史有る物を徹底的に否定し、完膚無きまでに破壊し尽くした。
それは否定したい自分の過去を闇に葬ろうとする、悪辣な自己満足と捉える事も出来よう。
そも彼が自分の本名を然りに否定し渾名に固執したのも、過去からの訣別だったのではないだろうか。
文字通りに『政治の可能性』を盲信し、新たに自尊心を構築しようとして。どんな歪んだ形だとしても。
もしそうならば、ポル・ポトが子供だけを信じていたのは純真かどうかが理由では無いのだろう。
彼が子供だけを歓迎したのは単純に無知だから。
受け入れ難い本当の自分を知る筈が無い、自分が絶対的に上に立てる人間だと高を括っていたから。
そんな風に考える事も出来るのではないだろうか。




