噛ませ犬
物語で主役が華々しい活躍をする時、割りを食うのは脇役の者達である。
特に一番損な役回りが敵役、主役の強さを存分に見せつける為に散々な目に遭わされる事も屡々。
基本的に彼等は箔を付けさせるべく雑に扱われ易く、実在の人物を使うと後々面倒臭い事になる可能性も有るので一から創作される者も数多い。
そんな訳で設定も雑、記述も雑、入退場も雑と、碌でも無い扱いを受ける彼等だが、それ故に人々の記憶に残る…一瞬の煌めきの如き活躍を見せる者も居る。
三国志の噛ませ犬。
今回は英傑剛雄が刀の錆と化し、英雄物語の踏台とされる彼等について記そうと想う。
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1.
三国志とは2世紀から3世紀に渡り続いた争乱の時代、所謂『三国時代』についてを纏めた史書の事だ。
今更内容をとやかく記すのは説明が過ぎるので、ざっくり一言で表現すると英雄譚、これに尽きる。
この三国志を民間伝承を織り交ぜ、物語として再編したのが『三国志演義』と呼ばれ、今回紹介する人物達が活躍をした主要の場となっている。
やられ役なのに活躍とはこれ如何に、と云う感じだが彼等にとっては敗北が仕事なので不問としたい。
と、結論付けた所で早速最初の者達を紹介しよう。
方悦、穆順、武安国。三国志序盤、最大の山場。
虎牢関の戦いにて呂布の噛ませとなった方々である。
順に説明をしていこう、先ず方悦。
彼は無頼の頭領に従う配下の一人で、槍を扱わせれば右に出る者は居ないと謳われた名将だった。
そも腕自慢で無ければ呂布に向かわせる筈も無く、物語上の衝撃度も薄い。道理的にも作劇的にも先鋒として優秀な、生贄として使い易い設定と云えよう。
ともかく方悦は勇んで一騎討ちに向かうが、数回刃を交えた後に呆気なく討ち取られてしまう。
強そうな武人が敵役に容易く倒されて衝撃を呼ぶ、一番手としては理想的な流れではなかろうか。
続いて出たのが武安国。名前からして既に強い。
先鋒の方悦が衝撃を与えるのが仕事ならば、次鋒で在る彼の仕事はズバリ恐怖の伝播。
鉄槌を振るい敵を薙ぎ倒す、武で国を安んじる名に恥じぬ勇将…そんな猛者でさえ呂布にとっては赤子同然だと知らしめる為の存在に過ぎない。
実際、武安国は方悦と比べれば善戦はするものの終始力負けし、最終的には片腕を斬り飛ばされて命からがら逃げ帰る事になってしまう。
見た目、名前、設定からして『強者』と分かる人物を敢えて用意し敗北させる事で、如何に相手が規格外の存在かを示す。巧妙な手法に思わず唸るばかり。
さて、最後に出て来るは穆順なる男である。
彼について語る事は少ない。なにせ出てきたと思ったら一撃で殺されてしまい、そのまま退場したからだ。
説明も何某の領主に仕える武将で〜位の物しか無く、先の二名と比べると個性がどうにも薄い。
にも関わらず穆順が噛ませ犬と出された理由、それは衝撃・恐怖と来ての次段階、絶望の底に読者を引き摺り下ろす為の最後の一押しなのだろう。
彼が出てきて即座に命を落とす事で対抗する術は最早存在しない、こんな化物に勝てる訳が無いと考えさせておいて、満を辞して主役が登場。
それまでの鬱屈とした気分を晴らす大活躍を魅せ観客を沸かせる、とまぁそんな訳だ。
呂布は彼等三人を倒した後、関羽・張飛・劉備の三兄弟と熾烈な争いを繰り広げ、武神に抗う英雄という名場面を産み出すに至った。
それは勿論華形たる主役の力が凄まじかったのもあるだろうが、縁の下の力持ち…華の魅力を最大限に活かす噛ませ犬が存在してこその物だとも云えるだろう。
2.
噛ませ犬とは何も戦争だけに存在する物では無い。
文官、特に軍師にも該当する人物はごろごろ居る。
所謂『舌戦』という奴だ。早い話が口喧嘩である。
この舌戦にて噛ませ犬を演じた者達、その中でも代表的なのはやはり呉の文官、呉蜀同盟の契機となった諸葛亮に言い負かされた連中だろう。
それまでは臥龍と呼ばれ、三顧の礼という故事まで出来上がる程に勿体振られる特別待遇を受けた孔明。
曹仁の陣を崩し、撤退戦で智略を披露したとは云えど表には余り出て来なかった彼の初めての晴れ舞台。
それが赤壁に繋がる、呉での舌戦であった。
この舌戦で呉の文官に課せられた物は唯一つ。
主人公を立たせる、やられ役。それだけである。
宿臣たる張昭は諸葛亮を嘲るも、事も無げに反論されて閉口して格の違いを見せ付けられ。
続いての虞翻は現実の不利を説くも、世の正道を逆に説かれて人道の御旗を与えていく。
次の文官は彼が口先で人を動かし意のままにしようとしていると謗るも、途端に喝破されて諸葛亮が正義の為に此処に居ると印象付ける。
最後には宿敵たる曹操に謙るような発言まで放ち、名実共に主役達にぶっ飛ばされる散々たる始末。
如何に諸葛亮を後半の主人公として扱いたいとは云え、流石に気の毒になる扱いと言わざるを得ない。
しかし逆を言えばこうまでしないと主役交代は上手くいかない、そんな作者側からの魂の叫びを感じる。
何時の世も人気を継続させるのは難しい、そういう事なのだろう。例えば劉備と孔明、彼等の関係の様に。
3.
武力・智力の噛ませと来て、最後に来るのは統率力…即ち主君の噛ませ犬達である。
孫策の進軍で蹴散らされた木端、曹操の覇道で踏み潰された群雄など種類は多岐に渡るが、噛ませ犬の意味で彼等を越える存在はそうは居まい。
荊州四英傑。金旋、韓玄、劉度、趙範の四名をだ。
軽く説明をすれば、彼等四名はいよいよ本格的に天下取りに動き始めた劉備軍が最初に相手した者達。
ようは本番前の練習…チュートリアル的存在であり、その設定・強さ・性分何れもが小物という、点数で言えば百点満点花丸の噛ませ犬界の大物である。
さて、そんな雑魚の彼等が仕事は何だろうか。
虎牢関の三将は『物語』を盛り上げる為に、呉の文官は主役の『魅力』を引き出す為に踏み台となった。
荊州四英傑の仕事…それは『紹介』である。
先に記したが彼等が登場するのは劉備軍に役者が揃い、領地獲得に向けて活動を開始し始めた頃。
謂わば第二部の序盤も序盤、序文の辺り位の話だ。
山場を乗り越え、一回り成長した主人公達の人となりを紹介する為の敵役…それが荊州四英傑なのである。
では今回も順に紹介しよう。先ずは金旋。
彼の特徴…それは紛れも無く無謀であろう。
金旋は劉備軍が現れた際、戦力差から降伏を勧める部下を叱責。たかが農民上がりに負けるものかと華麗に死亡フラグを立てつつ、自ら軍を率いて出撃。
不遜な態度で劉備軍と相対するも、此処での相手がまさかの万夫不当の豪傑、張飛。
彼の並外れた武勇の餌食となり散々に打ち負かされ、撤退した所を部下に射殺されて出番を終えると云う、教本に載せたい位の小物振りを魅せてくれた。
分かり易い人物には、分かり易い悪役を。
金旋は見事、張飛を説明する大役を果たしたのだ。
次の韓玄はどうだろうか。彼の相手は関羽だった。
軍神と彼が対比された物…それは人の器であろう。
韓玄の許には相手に引けを取らない猛将、黄忠が存在したが彼への対処は双方真逆の代物。
敵である関羽が黄忠の武勇を讃え、礼を以て相対したのに対し、味方である筈の韓玄は彼の進言を碌に聞かず年寄りの冷や水扱い。
最終的には黄忠が関羽と通じていると疑心暗鬼に陥り、防衛の要たる彼の処刑を決定する暴挙を行う。
結果、韓玄は配下の魏延に主君の器に在らずと叛旗を翻され殺害され、拠点は呆気なく陥落。
黄忠が仕えるべき真の主君に出逢うという、新たな登場人物を迎える為の舞台装置として立派に働いた。
さてさて今度は趙範である。力に器と来て、次に義。
即ち竜胆の護衛兵、趙雲の紹介役と言う訳だ。
武勇面についてはさくっと虎殺しだの、山を引き抜く力持ちだのを謳う敵将を討ち取って証明。
これは敵わぬと見た趙範は直ぐ様に降伏し、御機嫌取りに奔走する事となる。自らの安泰の為、あわよくば趙雲を抱き込み甘い汁を吸おうとして。
しかし件の若者は堅物で賄賂には見向きもしない。
困り果てた趙範は亡き兄の妻…見目麗しいと評判の彼女を趙雲と結婚させる事を思い付く。
で、当然ながら計画は失敗。勝手に話を進めたばかりか、兄嫁を道具の様に扱った卑しい気性に憤った趙雲は彼を打ちのめし、女性に謝罪したと云う。
常人が持ち合わせぬ高潔さを、自身の俗悪さで殊更輝かせてみせる…趙範もまた己の仕事を全うしたと言えるだろう。でも正直、可哀想な気もする。
最後に登場するのは劉度。勿論相手は残った一人、諸葛亮その人である。或る意味、この人が一番割を喰ったのではなかろうか。
彼を語る上で欠かせない物。それはやはり配下の猛将、刑道栄を置いて他に有るまい。
彼は大斧を担ぎ、劉度配下の中では随一の武勇を誇る荒武者。関羽、張飛、趙雲の三将の活躍を聞いても物怖じせず、寧ろ挑発をかます剛の者と描かれる。
見た目、発言、設定諸々込みで既に死臭が漂う逸材。
金旋と組めばさぞや華々しい小物ムーブを魅せてくれたろうに、それが残念でならない。
まぁ仮定の話をしても仕方無い。刑道栄は劉備軍に舐めた態度を取ったばかりか、諸葛亮に対して計略を仕掛けようと目論んでもいる。もう一度言うが諸葛亮に対して、脳筋同然の刑道栄がだ。
当たり前だが彼の計略は失敗。それどころか作者や読者の怨念が筆に乗り移ったのか散々な目に遭う。
先ず諸葛亮に無謀にも舌戦を仕掛けて惨敗。
逆に挑発されて頭に血が昇り、突っ込んできた所で張飛と相対。最初こそ威勢が良いものの、数回刃を交えた程度で持ち堪える事が出来ず、敗走。
しかし逃げた先には趙雲が居り、敢えなく捕縛。
演技で誤魔化して騙し討ちを喰らわしてやろうと下衆な考えを巡らせていると、性分を見抜いた劉備によって『獣にも悖る』と断ぜられ、処刑された。
何故。刑道栄が何をしたと云うのか。
確かに反撃をするにはしたが、こんなオールスター総出で無慈悲に扱われると勘繰ってしまう物だ。
彼は創作された人物の為、現世で不幸になる人間は居ないのだが、故にぞんざいに扱われたのだろうか。
今となっては全て闇の中。
ただ分かるのは彼等四英傑の活躍によって荊州統一は瞬く間に進んだ事で、物語が牛歩にならず次の舞台へと進めた結果だけである。
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物語に於いて敵役は主役と同等、時には主役以上に大事な存在だと云われている。
海外の玩具製作の逸話にこんな物が有る。善玉の人形だけを注力し造り上げ、納得いく品質の物が完成。
ヒット間違い無しと意気揚々と玩具店に売り込みに行くと、担当が皆一様に難色を示し買ってくれない。
理由を聞くと、これまた一様に同じ答が返ってきた。
『この人形は何処で、誰と戦うのですか?』
如何な偉丈夫も活躍する場や相手が用意されなければ意味が無い。英雄譚は彼に歯向かう存在が居て、初めて紡がれる物なのだ。
となれば悪役を適当に扱って良い訳が無い。彼等の動向次第で主役は生きるか死ぬかが決まるのだから。
そういう意味では三国志の噛ませ犬達は皆が皆、全力で様々な役割を全うし、物語に深みを与えている。
例えば黄巾党の隊長達は序盤の敵役として相応しい力量で相対しつつ、主役の活躍や混沌とした世界の説明を言葉のみならず行動で示してくれた。
董卓率いる北方の荒くれ者は団結する原動力を産み出し、連合と云う夢の軍団を創り出す快挙を成す。
三英傑に武神、軍神。臥龍、鳳雛、司馬一族と三国志には魅力溢れる登場人物がごまんと存在する。
しかし彼等が魅力を発揮するには、それ以上の無数に存在する噛ませ犬が必要となる物だ。
決して表舞台に立たず、燻し銀の様な活躍で場を盛り上げる名脇役。三国志を思い浮かべる時に、ふと彼等の事を思い出すのも時には良いのではなかろうか。




