叫民地治
成り上がり。何時の世も人気の高い題材で在る。
日本では秀吉の立身出世が、中国では桃園の義兄弟が国を興すまで、西洋では民衆派から国王同然の地位にまで登り詰めたカエサルなど、その数を数えれば枚挙に暇が無い。
支配する強者を相手に弱者が打ち勝つのは爽快な物だ。
…しかし、現実はそう上手くも行かない事が多い。秀吉は統一後の諸問題に追われ玉座を固められず、桃園の義兄弟は国を興すも志を達せずに終わり、カエサルは彼の地位を危うんだ者達の手によって暗殺の憂き目に遭う。
そして今回紹介する人物も、同様の経緯を辿る事となる。
陳勝。
国家に対して人民が反旗を翻した最初の例にして、反乱の果てに悲劇の最期を迎えた人物について今回は記そうと想う。
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1.
陳勝は紀元前3世紀頃、中国の地で大規模な反乱を起こした人物である。当時、かの地は秦と言う国が支配していた。
秦の支配方法はそれまでの王朝と異なり、今迄の各国に王を置いて彼等の裁量に任せる封建制から、一国が法律を定めて公布し全国を統治する法治制になっていたとされる。
これは封建の欠点として領地の大部分を他者に任せる事が災いし、何時しか部下と主君との間で力関係が崩れ、上の者そっちのけで下の者が勝手をする事が多かったのが大きい。
事実、秦の前である王朝・周も(色々と理由は有るのだが)力を付ける部下の国に強く出られず、威厳が失墜して御飾りと化している。力無き主君は統率が出来ないのだ。
この惨状を見たが故に、秦の皇帝として名高い始皇帝は法治主義を取り入れた訳だ。法律と言う画一された規格を創る事で、権力の一極集中化を考えたのだろう。
しかし、この法治制には或る大問題が存在した。
誰もした事が無いから最初から創る必要が有ったのだ。
軍事、商売、科学、政治etc…に関する凡ゆる法律を。
しかもだ、この制度は配下に支持されておらず始皇帝は殆ど一人で草案を考えなければならなかった。無論、皇帝としての仕事も行いつつである。誰がどう見ても無理難題だ。
そして実際に始皇帝は無理をやった。日々の多忙な政務に追われつつ、寝食を惜しんで幾つもの法案を捻り出す。
その甲斐も有って法治制度の原型が出来上がり、秦一国に依る統治も夢物語では無くなった。努力は実を結んだのだ。
が…いかんせん一人で総てを背負い込み過ぎた。無理な努力は彼の身体を急速に蝕み、病と言う形で現れてしまう。
老齢からの体力の衰えに加え、度重なる無茶で心身共に限界が来ていた始皇帝に病を跳ね返す気迫は既に無く、理想とする世界の実現を目前にして死を迎える。晩年に不老不死を望んだ事を鑑みるに、彼の無念たるや凄まじい物だったろう。
結果。始皇帝の偉業は未完成のままに遺され、法治に反対気味だった遺臣達は後を引き継ごうとは夢にも思わなかった。
封建制に戻す訳でも無く、前王の政策を無下にするのもと変えもしなかった。それがどんな意味を持つか考えもせず。
法律と言えども情状酌量との言葉が有る通り、人間の感情を蔑ろにする事は無い。あくまでも基本を置いただけの話。
もしも規則を絶対に守らせようとしたら、この世は息の吐き場も失せた地獄と化す。それを始皇帝亡き後の秦は行った。
誰も疑問に思わなかった。誰もが法を軽んじた故に。
2.
陳勝は悩んでいた。自分の進路、生きるべき道について。
彼は高名な家の出でも無く、特別頭が良いとか腕っ節に自信が有る訳でも無く、何の変哲も無い一般人だった。
しかし度胸と自信だけは人並み外れており、何時かは天下に名を轟かせる大物になってやるのだと大言を嘯く。
同じ村の仲間から単なる農民風情では無理な話だと馬鹿にされても、小人に大器が測れようものかと強がりもした。
そんな彼が今、絶対絶命の窮地に立たされていた。
時は始皇帝が死して間も無く、後継者は奸臣の傀儡と化していた頃。政治は急速に乱れ、国内に暗雲が立ち込めていた。
陳勝もまた都の建造物が為の人足として徴収され、一路目的地へと向かっていたが悪天候の為に足止めを喰らう。
秦の法律には納期に遅れた者は問答無く処刑とされている。
無論その法律自体がそも未完成の代物で在り、本来ならば釈明を聞いて罪量を決める手筈だったのだろう。
現代で聞く『最大◯年の懲役』と言う、一種の脅かしだ。
が、奸臣等が仕切った秦ではこれをあろう事か額面通りにそのまま適用した。こう定まっているからと理由も聞かずに罰則を適用し続けたのだ。恐怖政治もいい所である。
当然の事だが民衆は暴虐を尽くす政治に怒りを募らせいく。
その感情は一人の男を通して遂に爆発の刻を迎えた。
紀元前210年。納期遅れに依る処刑が決定された事を知った陳勝は、行こうが逃げようが死ぬならば一矢報いてやると剣を取り、油断していた秦の兵士達を次々と殺害。
その勢いのまま道中を共にしていた人足達に激を飛ばし、暴動に加わる人間を増やし続けて感情のまま暴れ回る。
監視者も居らず暴利を貪るばかりだった秦の将兵に軍団を止める力が備わっている筈も無く、尽く蹴散らされ最終的には都市の一つを奪われるまでに至った。たかだか民衆相手に。
この事件は各地に衝撃を与え、同時に決起の念を促した。
こうして陳勝の一件を切掛とし、人類史上初となる民衆による大反乱が勃発。中国全土を巻き込む嵐が吹き荒んでいく。
3.
陳勝が起こし、全国に拡がった憤怒の炎は凄まじい勢いで燃え拡がり続けた。圧政に耐え兼ねた民衆は勿論、秦に滅ぼされた亡国の遺臣が恨みを果たさんと参加し、更には情勢を見て寝返った官吏・将軍が多く、瞬く間に勢力を増幅させたからである。その規模は大国と比較しても遜色無い程。
圧政からの解放と言う大義も勢いを後押しし、反乱軍は秦の城砦を次々と陥落させ、遂には『張楚』と国号を掲げて首謀者たる陳勝を王として担ぎ上げた。
一介の農民が好機を掴み、人民の信望を得て玉座に座る…なんとも壮大な話だ。成り上がりでも最上の者と云えよう。
しかし。大いなる力には、それに見合う大いなる能が必要となる。陳勝には人を焚き付け大国にも怯まない胆力は有れど、国を治めるに足る政才も、将兵を統率する軍才も、権力者として人を扱う器も、何もかもを持ち合わせてなかった。
張楚が成立してから幾許か経ち、秦の各領地へと反乱軍を差し向けていた頃に異変は起きた。軍を率いていた将軍の一人が農民に過ぎない陳勝如きが王になるならばと、自らが占領した地域で自分が王を名乗る事件が頻発。
自らを馬鹿にしている行動を取られた陳勝は怒り狂い、王を称する彼等に対して秩序を乱したとして処刑を断行。
この処断行為が呼水となり反乱軍内部では権力闘争が勃発し、本来の敵である秦が未だ残存しているにも関わらず内部抗争の様相を濃くしていく。
それだけならば未だ如何にかなった。しかし時同じくして、秦では亡国となるのを喰い止めんと一人の将軍が決死の覚悟で献策を行い、賭けに勝利して首都の軍権を得ていた。
この軍隊は囚人(当時の横暴を極めた法でだが)を基本の兵士とし、勝利の暁には恩赦を与え無罪放免とする契約が為されていたが故に、自由を得んと非常に士気を高めていた。
かたや内乱で統率も糞も無い、混迷の最中に居る反乱軍。
かたや自由を欲して決死に闘う、勇将率いる秦の国軍。
結果は分かり切っていた。横の繋がりを自ら失い、孤立し始めた張楚が一丸となって攻め掛かる秦に敵う筈も無い。
あれよあれよと領地を奪還し尽くされ、あっという間に喉元まで追い詰められる。さしもの陳勝とて肝を冷やしたようで、侵攻前に本拠地からの撤退を余儀無くされてしまう。
が、これが悪手だった。大将の逃走を継戦放棄と見做した部下は生贄になってたまるかと彼を殺害し指揮権を剥奪した。
中国全土を揺るがす大反乱を起こした張本人は事件から僅か6ヶ月後、権力闘争の果てに敢えない最期を迎えたのだ。
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王侯将相寧有種也(王侯将相いずくんぞ種あらんや)とは陳勝の檄である。王と民とで種の違いが有る物かとの意味だ。
この言葉を発した事で陳勝は周囲から信を得、民草の力を以て怒涛の勢いで秦の領地を奪取する事が出来た訳だ…が。
しかし権力を掌中に納めた途端、批判した筈の王の立ち振る舞いを自らが行なったのは不味いとしか言い様が無い。
その結果として最も重要な連携が取れなくなり、数の優位を喪った反乱軍は質に勝る秦軍に太刀打ち出来なくなった。
陳勝は自らの胆力を以て国家に対して宣戦布告を為した。
それ自体は他の英雄の所業に比肩する凄まじい事だと思う。民が官に刃向かうなぞ有り得ない時代なのだから、尚更。
だが、一時の勢いだけでは国家を為し維持するは不可能。
権力構造を緻密に創り上げ立場を明確にし、連絡を密に取り連携を取り易くする。個々の都市には官吏を置いて雑多な政務を任せ、有望な人材を見つければ登用し国家の臣とす。
常に安定した行動を行うには論理的な機構が必要となる。
それを蔑ろにし、ただ憤怒のままに動き続けた所で上手くいく道理は存在しない。陳勝の末路はそれを如実に示す。
では、彼の行動は無駄な混乱を呼び寄せただけに過ぎないのだろうか。後世の顛末を見るにそれも違うだろう。
陳勝の死後、反乱軍は内輪揉めをし続け滅びる寸前にまで至っていた。この時に泥舟の舵を取ろうとする連中を根刮ぎ粛清し、勢力を吸収したのが後の覇王・項羽である。
項羽もまた秦の治世に対して歯痒い思いをしていた人物の一人だが、あまりに圧倒的な力を持つ相手に手を出す事も出来ず、成す術も無く世の無常を傍観するだけだった。
彼だけでは無い。後に英傑と謳われた人物は不満を抱いていても、絶望的過ぎる状況に行動を封じられていた。
そんな閉塞的な空気を陳勝は行動した事で打破したのだ。確かに見苦しい場面が有ったかも知れない。もっと上手く出来たであろうのも事実だ。しかし彼が無謀とも言える反旗を翻さなければ、暗澹とした時代が続いたのは間違い無い。
機を保つには遅くとも巧く準備を整える必要が有るが、機を得るには拙くとも素早く手を伸ばす必要が有る。
例え結果が伴わずとも陳勝は好機を掴み、そして後の人物が為に火中の栗を拾う苦難をも被った。その勇気と意義だけでも彼は英傑の一人と称するに相応しいと私は想う。




