第18話 波乱のスタート
気になる部分を修正いたしました(2026/03/22)
まだ私が前世の記憶を思い出す前、私はオズモンド家の屋敷のメイド達に執拗に苛められていた。
誹謗中傷や私物の盗難はもちろん。お気に入りのドレスを着た日には「そこにいるとは思わなかった」と言って、わざと水をかけられてしまったことがある。
自分の大切なものが他者の悪意によってぐしゃぐしゃにされるたびに、いつも心臓が切り裂かれたかのような心地になっていた。
平気なふりをして、なるべく惨めに思われないよう強がって、「全然気にしていないから大丈夫よ!」なんて顔に笑みを貼り付けながら───私は確かに傷付いていたのだ。
◇
その時のことをふと思い出してしまった。
母から譲り受けたドレスは真っ黒に染まってしまっている上に、レースはひしゃげ、細かにあしらわれた花や鳥の刺繡は深く紅茶を吸っている。
紅茶を被ったところがドレスの布地で折り重なっていたため、ほっと安堵した。
(火傷は………大丈夫そうね)
そして目の前で紅茶をぶちまけてしまった少女は可哀想な程顔を青くさせている。
そんな中で、真っ先に動いたのはメイドのマーサだった。
「クロエ! 奥様になんてことを………! 誠に申し訳ございません!! お怪我はございませんか!?」
「え、ええ、大丈夫よ」
血相を変えて尋ねてくるマーサに頷けば、彼女は「失礼いたします」と言ってドレスを手拭いで拭いていく。しかしもう無駄だろう。きっと洗濯したところで紅茶は落ちないし、ドレスの形を崩すだけだ。
するとクロエと呼ばれたメイドの少女も我に返ったのか、弾かれたように頭を下げた。
「お、奥様、た、大変申し訳ございません………! わ、私、あの」
顔を真っ青にさせ、肩を小刻みに震わせながら謝る少女。
そんなクロエにバージェス辺境伯夫人として叱責しなければならないものの、何故だか毒気が抜かれてしまった。
だってこんなこと、オズモンド家の屋敷で慣れっこなのだ。しかもあそこのメイド達は私に謝りもしないし、反対に嘲笑してくる始末。
それに比べて震えながらもきちんと謝ってくれるクロエなんてはるかにマシで、むしろ比較するのも烏滸がましかった。
「平気よ。火傷もしていないし、気にすることは───」
「マーサ、クロエ」
しかしその時、これまで黙っていたグレンが口を開いた。
クロエは肩をびくりと震わし、マーサはすっと居住まいを正す。
「マーサ、お前は今すぐアルテシアを着替えさせてやりなさい。クロエ………お前の沙汰は後で話す。ヤコフに事情を説明した後、使用人部屋で待機していなさい」
「はい、かしこまりました」
マーサとクロエが粛々と頭を下げる。
先程まで緊張した様子で私と対峙していたはずのグレンが、見たことのない真剣な表情で指示を出す。
その様子に思わず口を噤んでしまった。
そして私はマーサに連れられ、着替えることとなった。
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紅茶で汚れてしまったドレスを脱ぎ、用意された清潔な衣服に袖を通す。
そしてマーサに連れられ戻ろうとすれば、その途中の通路にグレンが佇んでいた。
窓の外をぼんやりと眺めていたが、私の姿に気がつくと慌てた様子でこちらにやって来る。
そしてグレンは私に向かって申し訳なさそうに言った。
「…………すまない。大事な日を台無しにさせてしまって」
「いえ、大丈夫です。ちょっと驚きましたが………」
いつの間にか私の後ろにいたマーサは去っており、誰もいない通路でグレンと二人きりになる。
するとしばらくして、グレンはぽつりと話し出した。
「……………クロエからの話で分かったことがある」
「何でしょう?」
「ヤコフによるクロエの聞き取りによると、とあるメイドに給仕係を替わるよう頼まれたらしい」
突然挙げられたメイドの存在に顔を顰める。
けれどグレンの口ぶりからするに、そのメイドがクロエに命じてあんなことをさせたのだと窺えた。
その時ふと思い出す。
バージェス家の屋敷に入る前、こちらをじっと見つめていた年老いたメイドの姿を。
「…………そのメイドがクロエに?」
「ああ。『新しきバージェス辺境伯夫人を追い出さなければ、お前に冤罪を被せて追い出す』と脅したそうだ」
結果、クロエは自ら給仕することを希望したらしい。
そしてそのメイドがどうしてそんな凶行をしたか、何となく想像できた。
「彼女の話によると………その……」
「『結婚に一度失敗した女』がバージェス家に嫁ぐのは気に入らないってところですよね?」
言いづらそうに話す彼の代わりに、はっきりと言ってやる。
(そんなことだろうと思った)
悪評があっても貴族のもとで働いているという自負があるのだ。なのに私のような異物が混入して、このバージェス辺境伯家に相応しくないと思っているのだろう。
オズモンド家の屋敷でたくさん見てきたのだ。貴族相手に勘違いをして舐め腐る使用人の姿を。ここでもきっと、内心そう思っている使用人は少なくないはずだ。
(思っているだけなら、まだ良いけど)
「当たり前だが、そのメイドは解雇した。この問題は屋敷内の人間をうまく管理できなかった俺の過失だ。本当に申し訳なかった」
「…………一つ聞きたいことが」
「何だ?」
「そのメイドというのは貴方とどういう関係が? まさか恋人同士とか………」
「な、君が思うような関係ではない! 大体ヤツはこの屋敷の一番の古株で、それもあってバージェス家の格というのを意味もなく気にしていたんだ! そもそも俺はお前が………!」
焦ったように否定するグレンに思わずくすくすと笑ってしまう。そんな必死になって否定するとは思わなかったのだ。
そして彼もからかわれたと理解したのか。
咳払いし、そのまま話を続ける。
「…………それからクロエのことだが、解雇することも検討している」
「解雇?」
そんなグレンの言葉を思わず眉を寄せる。
私も過去にメイドのエイミーやカミラをクビにしたことがあった。けれどそれは彼女達が明確な悪意を持って、私を害そうとしたからに過ぎない。
しかしオズモンド家のメイド達と今回クロエが仕出かしたことは全くもって別物で、解雇する程のレベルではないだろう。
不思議そうにする私にグレンは淡々と続ける。
「使用人が何らかのミスをした場合、程度によって口頭注意から減給、果ては解雇処分まで下される。今回の件は脅迫されたという酌量の余地もあって減給処分で済む事案だが…………クロエが紅茶をかけてしまったのは君なんだ」
「私?」
「悪評蔓延るバージェス辺境伯家に嫁いでくれる女性はまずいない。そんな中やって来てくれた女性が、万が一負傷し、このことをきっかけに辺境伯家から出て行ってしまえば、それこそクロエは責任が取れないだろう」
確かに彼の言うことも一理あった。
クロエを解雇する理由がきちんとあって、それに準じて彼が雇用主として処分を下していると理解することができる。
運よく怪我をしていないから良いものの、もしかしたら火傷をしていた可能性だってあるのだ。
けれど自分のせいで、クロエが辞めてしまうかもしれないことに言い様のない罪悪感が湧き上がる。
(オズモンド家のメイド達なら辞めるって言われても何も思わないけど………)
「出て行くなんてしませんよ。すでに謝罪もしてもらっています。こんな大袈裟な………」
「大袈裟?」
そしてグレンは不思議そうな表情で告げた。
「どんな理由であれ君が酷い目に遭ったのは事実で、君が蔑ろにされて良いわけないと思うが」
その言葉にふと身体が固まる。
首を傾げて言うものだから、まるでこっちがおかしいのかと思ってしまう。
だってオズモンド家の屋敷では当たり前のように軽んじられてきたから。
けれど、オズモンド家の屋敷にいた頃の自分の心が癒えていくようだった。
フェリクスから冷遇され、メイド達から執拗に虐められていた昔の自分が何だか救われた心地となる。
「…………分かりました。ですが、クロエをバージェス辺境伯家のメイドとして解雇させる必要はありません」
この話が本当ならクロエという少女は巻き込まれただけだろう。
「それでは処罰にならないだろう」
「もちろん彼女が紅茶をかけたという事実は覆らないため、規程通り給与は引かせて頂きます。また今後彼女が粗相を仕出かした時は、遠慮なく彼女を解雇すれば良いでしょう」
ちょっと悪い笑みを浮かべてそう言ってみせれば、グレンはきょとんとした後苦笑する。
(解雇までは流石に望まない。子供が大人達の諍いに巻き込まれ、てい良く扱われるのを見過ごすのは良い気がしないものね)
「…………こんな始まりになってしまいましたが、改めてよろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそよろしく頼む。これ以上の失態を犯して君に失望されないよう、尽くすつもりだ」
どうなっていくかは分からないけれど、夫となるグレンは悪い人じゃなさそうだ。
少なくともフェリクスよりかはマシだろう。
彼と末永く夫婦でいるための努力はしようと思った。
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