幕間 とある冒険者の愚痴と???
遅くなってすみません。今回は、主人公視点ではありません。
ここはカムランの街とある酒場。
天井に吊るされたランプの淡い光に照らされながら、使い古されたカウンターで俺は酒を飲んで、とある依頼の助っ人を待っていた。
それは数週間前に失敗したカムラン渓谷の主である魔獣――ミドガルズオルムの再討伐をこなす為の助っ人だ
俺の名はヴォルフ。カムランの街を拠点として活動する〈轟雷〉の二つ名を持つしがない冒険者だ。
〝冒険者〟――それは魔境や遺跡の探索、魔物退治に商人護衛など様々な依頼をこなす。いわば、なんでも屋。また悪くいえばゴロツキ集団だ。
もっともその冒険者にだってしっかりとしたルールがある。だが、それを話すと長くなるからやめとくぜ。
ともあれ、この討伐依頼の発端はこうだ。
ここ最近、渓谷の主が自身の縄張りから遠く離れた街の付近で、何度も目撃されたそうだ。これに危険視した役人が、街の安全の為に冒険者ギルドに依頼を出した。
最初は、数を頼りに白銀級の連中が徒党を組み依頼を受けた。だが、結果はその冒険者パーティの全滅。渓谷の主討伐に失敗。
この結果を知った役人は、次の一手として街に駐屯する騎士団に主討伐を要請した。
役人の要請を受けた騎士団は渓谷の主の討伐に向かうも、渓谷の主に返り討ちにされた挙げ句、ご自慢の魔導機兵を一機大破させながら逃げ帰って来たのだ。
お陰で、ミドガルズオルムの危険度が災害級から災厄級に引き上げられ、戦術規模の戦力が必要する危険な魔獣と認定されたのである。
この災厄級の魔獣討伐には、本来ならかなりの戦力が必要なのだ。
故に、街の冒険者と王国騎士団が共に協力して渓谷の主を討伐する話になるのだが。
――ところが肝心の王国側から、最近噂の勇者達と国内の情勢不安が原因で手が足りなく援軍が出せない、と通達があった。
ちなみに、この通達によって街の冒険者ギルドと駐屯する騎士団との間でちょっとした騒ぎが起きた。主にトップ同士による言い争いから、壮絶な殴り合いに発展したらしい。
……まあ、それは置いといってだ。
王国から援軍が望めないと解った街の冒険者ギルドは、仕方なくオルレアン王国から遠く離れたアンタギア共和国にあるギルド本部に救援を求めた。
その結果として――
冒険者の最高峰である神銀級冒険者――十傑の一人〈絶影〉とその弟子が、こちらに派遣されるそうだ。
――しかしその助っ人の二人に、ある問題が発生した。……それは、
「もう数週間も経ってのに全然来ないんだよ! 〈絶影〉の姐さん達がっ!」
俺は思わず両手でカウンターを叩いた。そこをギロッと厳ついヒゲ面の店主に「出禁にされってぇのか、コラァ!」と睨まれてしまった。
すません! と勢いよく頭を下げて詫びた。
数秒たって「ふん!」と鼻を鳴らし店主がグラス磨きに戻った。
俺は店主の機嫌を確認しつつ頭を上げ、朝方の冒険者ギルドの職員とのやり取りを思い出す。
◇ ◆ ◇
「一体いつになったら、〈絶影〉の姐さん達が来るんだよッ!」
冒険者ギルドの室内に響き渡る俺の怒号。
「いくら王国から正反対の距離だからって遅すぎるぞ!」
「すみません、ヴォルフさん!」
頭を下げる顔馴染みのギルド職員。そしておそるおそる汗をかく顔を上げ、
「どうも、〈絶影〉は……大の魔導船嫌いらしく、そのため此方に来るのが遅れているんです」
「〝遅れているんです〟――じゃねぇよ! じゃあ、なにか? 〈絶影〉の姐さん達は陸路から何ヵ月かけてこっちに来るってことかッ!?」
「大丈夫です! 先ほど本部が用意した特別ルートで、お二人が王国に着いたと冒険者ギルド経由で連絡がありましたっ!!」
俺のツッコミ気味の問いかけに、そいつは力強く拳を握りしめて力説しやがった。
「だから、ヴォルフさんは適当に街で英気を養って待っていて下さい! 絶対に一人で主退治なんてしないで下さいよ!」
「お、おう!?」
そいつのあまりの熱意に、咄嗟に俺は頷いちまった。
「絶対の絶対ですかね! お願いですから一人で行かないで下さい! もし行っちゃうと私……」
コイツそんなにも俺の事! ……まあ、顔は美人だし、胸も大きいし、スタイルだって良い、むしろ俺好みだ。
こいつがその気なら、と俺はそう思い口が緩んだ。その時は……。
「私が上司に怒られる上に給料まで減らせされるんです! だから、絶対にいかないで下さい!」
そいつは目を潤ませながら必死にそう言い放った。
どうやら俺の盛大な勘違いだったらしい。危うく「俺に惚れてるなぁ」的な大恥をかくところだったぜ。
だから俺は、フッと笑い冒険者ギルドから、この酒場に直行し朝から入り浸った訳だ。
……べつに、ヤケ酒じゃないからなコンチクショウ!
◇ ◆ ◇
そんな朝のやり取りに、額を押さえた俺は深く溜息を吐いた。
「……しかし神銀級の連中は全員、化け物並に実力があるけど奇人変人ばかりの問題児って噂だったが……本当だったぜ。ったくよ」
カウンターで愚痴る俺が「それにしても、さっきからやたらと外が騒がしいがなんだ?」と酒の入ったグラスを傾ける。すると、酒場の入り口のドアが勢く開き、ダークブロンドヘアーにギルドの制服を着た例の美人職員――メリーが入ってきた。
そのメリーはすぐにカウンターに座る俺を見つけ叫んできた。
「ヴォルフさん! 緊急クエストが発令されました! 急いでカムラン渓谷の入り口に行って下さい!」
「――ブハッ!?」
驚きのあまり口に含んだ酒を吹いてしまう。
「ゴホッ、ゴホッ! はあぁ!?」
咳き込むながら俺は、入り口に突っ立ているメリーを凝視した。
〝緊急クエスト〟――街にいる冒険者全員が対処しなければ為らない緊急事態のみに発生する強制依頼だ。
もしも、これに不参加の場合、ギルドから重い罰則と罰金が下される。その為、金に困りやすい冒険者は殆どの連中が参加するのだ。
つまり、そんなヤバイ事態が今起きている事だ!
◇ ◆ ◇
その後、俺とメリーは店主に代金を支払い、急いで店を出てカムラン渓谷の正面入り口へ向かった。
酒場から出て初めて気付いたが、カムラン渓谷が見えないくらい黒い煙が上がり、街の住人達がちょっとしたパニックを起こしていた。
そんな住人達の間を掻き分けながら俺は、並走するメリーから緊急クエストの内容を聞いた。
渓谷の森に大規模な山火事が発生し、周囲に生息する多くの魔物達が街の方に逃げてくるらしく。その魔物を討伐する班のリーダーを俺に担当してほしいそうだ。
あと、他にも山火事を消火する班と、この騒ぎのせいで街に帰る事ができなくなった新人冒険者を捜索する班があるらしい。
大体、解ったと頷くと、
「……でメリー、誰がやらかした? 此処の魔物や魔獣は火を使う奴はいねえ、なら犯人は……」
どこぞの新人冒険者がやらかしたんだろう? と俺は問いただす。
理屈は分からんが魔境に生えている木々は、火に対する強い耐性がある。
故に、そう簡単に火事になるような事態はあまり発生しない。
だがしかし、この世の中にはその魔境の森を燃やせる程の火力を容易に出せるクラスが存在するのだ。
そう、《黒魔道士》だ。かのクラスには【黒魔】という攻撃系魔法の威力を補正するスキルがある。この騒動の犯人は《黒魔道士》か、その系統の上位クラスだろう。
俺が睨んでいると、メリーが目をキョロキョロと挙動不審な態度をとりながら口を開く。
「ええっと……内緒ですよ、ヴォルフさん。実はとあるやんごとなき御方達がカムランの主に遭遇したんです。それで――」
――メリーの説明を要約するとこうだ。
そのやんごとなき御方のパーティがカムランの主に遭遇。自分達では対処不能と判断し、殿を残してカムランの街に救援を求めて撤退してきたそうだ。
そしてすぐ後に、その殿の一人が倒れ、カムランの主に逃げる為に仕方なく高火力の火属性魔法を森に放ち、山火事を起こして逃げたらしい。
しかも、その最中に仲間の一人とはぐれてしまったそうだ。
……他人の迷惑を考えろ!
と言いたいが、アレ相手に生き残るには森に火を放つしかないだろう。
他人の命より自分の命、他者の命よりも仲間の命。
いつ危険な目に遭ってもおかしくない、死が隣合わせな世界。
自分達の能力と知恵でどうにかくぐり抜けないといけない。多少、非常識な手段を取ったとしてでも。
それが冒険者業界の鉄則だ。……とはいえ、責任は絶対に取れよ逃げてもギルドが地獄の果てまで追いかけて不始末責任を取らせるからな。
俺は内心納得しつつ、「……しかし、はぐれた仲間はもう……」と気の毒に思う。
「大体、事情は分かった。……で、その連中は今はどうしてるんだ?」
「取りあえず冒険者ギルドで処分を待っています。……ですが、多分重い罰が下されると思います」
「まあ、こんな騒ぎになっちまったしな」
困った顔でメリーの推測に、俺は頷き肯定する。
「……ったく、最近の騒ぎといい、五年前の大氾濫の時もそうだが……ここ最近、不穏な噂しか聞こえねぇな」
「ええ、国内にある他のギルドからも、あまり良い噂は聞きませんよ。……それに最近街で起きた騒ぎは全部、百年前に死んだ魔王の祟りだ! って言う人もいるんですよ」
そう話し合いながら、カムラン渓谷の入り口に着いた。
すでに魔物討伐を担当する冒険者達は準備万端、あとは俺の号令待ちだった。
俺は右手を虚空に突きだし――
「さってと〈絶影〉の姐さんがくる前にちょっくら仕事しますか――『魔導武装』」
右手が光り、ズンと手に慣れ親しんだ感触と重量が伝わってくる。そこには百八十センチほどの分厚い刃の大剣――大剣型の魔導具。
これが〈剛雷〉の二つ名の由来であり、相棒の《フェルグス》だ。
「そんじゃてめえら、魔物討伐に行くぞ!」
「「「はい! 宜しくお願いしますヴォルフさん」」」
《フェルグス》を肩で担ぎながら集まった冒険者達を共に、俺は黒い煙が舞う渓谷へ歩き出す。
「ご武運を祈ってます皆さん!」
メリーの声援に、俺は空いている左手でヒラヒラと返事を返す。
それで俺達は意気揚々とカムラン渓谷に向かうはずだった。
――しかし、
メリーが声援とともに手を勢いよく振り、その御立派な双丘がぶるんぶるんと大きく揺れる。それを拝んだ冒険者達。
主に男連中が「おお!」とニヤけた顔になり、近くにいる女連中がそいつらに白い目を向ける。これから魔物討伐をする仲間の間に不穏な空気が漂わせた。
……いきなり不安要素を作るんじゃねぇよ、この天然娘!
心の中で悪態つきながら俺は、そんな連中を引き連れて門を潜り抜けた。
◇ ◆ ◇
「よーし、テメェら! 団体さんのお出ましだ! 気を引き締めろ、さもないと死ぬぞッ!」
「大丈夫ですヴォルフさん! 自分、あの絶景を再び目に焼き付けるために死にません!」
「応ともブラザー! あの絶景を今度こそ映像に残して永久保存する為に生き残ろうぜ!」
「「イエーーーイ!!!」」
「すみません、ヴォルフさん! 先にこのエロザルどもを血祭りにして良いですか?」
「駄目に決まってんだろッ!! オイそこ! 魔法詠唱するのは良いが味方に向けんな!? 前方の敵に向けろ……!」
「……チッ」
「舌打ちして顔を逸らす前に、眼前の魔物達に魔法を撃てぇぇぇぇぇッ!!」
◇ ◆ ◇
日が暮れて、満月が辺りを照らし始めた頃。
ようやくカムランの街に迫る魔物を全て討伐した俺達はくたくたになりながら街へ帰ってきた。
「……やっと街に着いたぜ……」
「そっすね、ヴォルフさん。自分もくたくたっす……」
「うう、お腹すいた。あ、でも先におフロ入りたい……」
正門を越えると、丁度その先でメリーが書類の束を片手に持ちながら、他の冒険者連中に指示を出しているところを見つけた。また、彼女も俺達に気付き近づいてくる。
「魔物討伐お疲れ様です、皆さん! 先程、消火班と協力してくれた騎士団から山火事を鎮火した報告がありました」
それを聞いて俺は「そう言えば」と思い出す。
魔物との戦闘中に奥の森から、ドシンッ、ドシンッ! と地揺れが起きていた。
……アレ、騎士団の魔導機兵の仕業だったのか。
「ですから皆さん、これで緊急クエストを完了とします。今回の報酬は明日の朝、冒険者ギルドで支払いますので取りに来てください!」
メリーが笑顔でそう言うと、後ろにいる連中から疲れが忘れたかのように歓声が上がった。
「よっしゃぁぁ! これで欲しかった武器が買える!」
「おい、それよりも今はメシだろう」
「なら、みんなで打ち上げを兼ねてパァーとギルドの酒場で祝おうぜ!」
「それならワタシら公衆浴場で身体を綺麗にしてから行くから、席ヨロシク」
「汗とか魔物の血で体中ベトベト……」
「アンタら……変な事を考えたら解ってるでしょうね?」
ワーワーギャーギャーと騒ぎながら、連中は街灯が照らす街に入って行く。ふと、その連中の一人が振り返り、
「ヴォルフさんも俺達と一緒にどうですか!」
一緒に打ち上げしませんか、と誘ってきた。
それに対し俺は「おう。後で寄らせて貰うぜ!」と返事を返した。そいつは嬉しそうに頷き、先に行く連中の後を追いかけた。
連中と合流したのを見届けた後、俺はクスクスと微笑むメリーに振り向く。
「それでメリー。新人救助の方はどうなんだ?」
そう訪ねると、メリーは持っていた書類をめくり確認する。
「そうですね。……大体、あと数組が帰って来ていません」
「……その帰って来た連中の中に、例のやんごとなき御方の仲間はいたか?」
「すみません、ヴォルフさん。それらしき人が帰還したという報告はありません」
メリーが困った顔で首をフルフルと振り、俺を見つめ小首を傾げる。
「でも、どうしてそんなことを訊くんですか?」
「なぁに、ちょっとばかし気になっただけだ。あとメリー。俺は明日、その新人捜索に参加するからヨロシク頼むぜ!」
「ええ!? ちょっとヴォルフさん!」
そう一方的に言って、慌てて呼び止めようとするメリーに背を向ける。
……もしも〈絶影〉の姐さんがとっとと街にいや、俺がもっと早くカムランの主を倒していれば、こんな騒ぎは……。
そんな罪悪感を感じながら俺は街に一歩踏む出そうとした。
――その時だった。
突如、カムラン渓谷から赤、桃、青、緑、紫、黄、橙、茶、白、灰、黒、金、銀、銅の十四色の光が螺旋を描きながら天へ立ち昇る。
夜空に突き抜け、渦巻く巨大な光の柱を、街中――建物の外にいる誰もが目撃した。
同時に、周りの空気がビリビリと震える。アレが放出している膨大な魔力が、遠く離れたカムランの街まで伝わってきた。
「――な!? 何が起こってやがる! それにこの肌に感じる程の魔力は一体……え」
言葉にしてようやく気づいた。本来自分のクラスでは苦手とする魔力を感じていることに――
……冗談じゃねえぞ! 《重剣士》は純粋なファイター系クラスなんだぞ!
それが感知できるほど魔力量だと!? と考えながら俺は慌てて振り返る。
「な、な、なんですか!? このとんでもない量の魔力ぅ……いえ、この感じ……性質的には限りなく純粋に近いマナ? いえ、今はそんな事よりも、これ下手したら天変地異が起こせるくらいのレベルですよ!」
上級クラス《風水士》。魔力感知のエキスパートであるメリーが、青ざめながらそう断言する。
「え、何あれ!?」「魔法じゃないよね……?」「あり得ん、なんだこれは……」「何かのサプライズっすか?」「綺麗……」
正門の広場。この場にいた全員が共に螺旋状に絡み付く魔力の奔流。その発生源であるカムラン渓谷の最深部らしき場所を眺めた。
その中には、この光景に信仰心が厚い連中が「女神イヴの奇跡だ……」と膝をついて祈りを捧げる。
やがて、天まで届く光で築かれた螺旋の柱は甲高い清音な響かせ砕け散ち、最深部に収束していた。
ようやく街に夜の暗さと静けさが戻りだす。
「…………一体、ありゃなんだ?」
「分かりませんけど……今私たちが見たのが超常的な現象だとしか言えません」
俺とメリーがしばらく呆然とカムラン渓谷を眺めいると、今度はその場所にゴロゴロと鳴る不自然な積乱雲が稲光を走らせながら出現した。
そして、雷雲から轟音と共に無数の稲妻が雨のように降り注ぎ、そのすぐ後。
ドオオオオォォォォォォンンンン!!
またもや最深部辺りから雷鳴のような爆発音が鳴り響き、地面が小さく揺れた。
これにはカムランの街全体が騒然とした。
「ワァー!? 今度はなんだ!? 死んだ魔王の祟りか!」
「おい、その冗談マジやベーって!」
「バアさんや儂はもうすぐそっちに逝くようじゃ……」
「お父さん! まだお母さん生きてるから!」
「ちょっと何処の馬鹿よ! せっかく寝かしつけた坊やが起きちゃたじゃない!」
街の至るところから奇声や悲鳴といった喧騒が聞こえてきた。
ヴォルフとメリーは顔を会わせ――
「………取り合えずアレの原因究明は明日して、この騒ぎを納めるぞ」
「……ええ、ヴォルフさんは冒険者の皆さんお願いします! 私は住人の皆さんを落ち着かせます」
お互いに頷き合って、騒ぎが起きている場所を目指した。
「ったく今日はホントに厄日だなコンチクショウ!」
俺は頭上に燦々と輝く満月に向かって愚痴を吐いた。
◇ ◆ ◇
同時刻、遠く離れた場所で、十四色に混じり合う光の柱から発する力の波動を感知した人物がいた。
その人物はある屋形の縁側に腰を下ろし、透き通る青い池、その側に美しい木々や色鮮やかな花が咲く、池泉様式のような庭園をじっくり眺めていた時だった。
「………ん? また龍脈が乱れたか――否、この懐かしき気配は神母様か!?」
はっ、と妾は顔を上げて星々の満ちる夜空を見上げ、
「よもや神母様、自らお力を使われるとは………ふふ、少し覗いて見るか」
好奇心を抱いた妾は、バサッと音を立てて扇子を広げた。
すると、視界に遥か彼方――カムラン渓谷の最深部。そこで懐かしき気配を宿す黒髪の少年と白銀髪の少年……いや小娘。二人の眠っている姿が映し出された。
千里の果て、あらゆる出来事を見通す眼。人はこれを〝千里眼〟と呼ぶ。
神母様より創み出された妾にとってこのような術技など容易いことよ。
……しかし驚いた。
よもや神母様の寵愛を受けた稀人の傍に、まさかあの時の悪童がいるとは。
地面に寝転がる二人。特に「くかー……」といびきをかく白銀髪の小娘を注視する。
……そう言えばあの悪童。人の献上品を勝手に飲み食いしておいて挙げ句、平然と妾の御所に居座り飯をたかっておったのう!
過去の記憶を呼び起こした妾は持っていた扇子を強く握りしめギリギリと音が鳴らす。
「……まあ、良いか。今の退屈な日々に比べれば、あやつと過ごした日々は中々に愉快じゃった」
それにアレを取りに再び、妾の前に現れるだろう。
あの悪童の対する仕置きはその時に、ニィッと唇の端を曲げて笑う。
「アレを預かった時はなんと厄介モノを、と思ったが……フフ、存外に良かったかもしれん。奴のことだ、かの稀人連れて妾の元に来るだろう」
その時がくるのを楽しみにしておこうか、扇子を扇ぎながら上機嫌に呟く。
だが、すぐ不機嫌そうに唇をへの字に曲げた。
「しかしこれで確信ができた……」
潜んでいた草がもたらした北の不穏な動き。そして一ヶ月前に感じた神母様の欠片の気配。それによって喚び出された稀人達。
「かの稀人達はあの娘が施した小細工を破る為のものか……亡者共め、未だに文不相応な野望を抱きおって! 何故、罪と罰を背負ってまで過去の過ちを再び繰り返えすのだ」
……これでは、理想の為に全てを棄ててまで戦ったあの娘……。
なんと不憫な、と妾は思った。
それにしても――
「……神母様、未だに妾は理解できません。いくら望みの為とはいえ自身の存在を砕き、咎人に貸し与えたのか。……その選択のせいで貴方様の……我等の世界が少しずつ滅びへ向かっているのですよ」
燦々と輝く星空に向けて、妾は内に秘めた嘆きを漏らした。
一番目は神母様の代わりに世界を管理維持している。
三番目は権能の継承者を残し、世界を護る為に滅び。
四番目は己が役目の為に、世界に住まうモノの糧として生きおる。
――そして、
「二番目である妾は三番目の役目を引き継いだ。……貴方様によって生み出された我等、四種族は盟約によりずっとこの世界に神母様が再臨するのを待ち続けているのですよ」
……だが、それももうじき終わる。
あの娘が予言した〝約束の日〟がようやく訪れるのだから。
パッキンと妾は扇子を閉じ、唇に当てた。
「〝この世に生きる者全てが手を携え、一四の鍵を掲げた時。神の座が楽園に続く天道を示し、囚われし無垢なる女神が開放され、真の平和な世界、楽園の時代が訪れる〟。これがあの娘の理想でもあり最後の悪足掻き……そして背信者である彼女が―――に対する贖罪」
しみじみと妾は呟いた。
そして、妾の瞳――黄金に輝くその眼はある方角を睨みつけた。
「……いずれにせよ此度の謀で世界は動く。それがどのような結果――未来になるかは分からん……だが、覚えておけ亡者共! あの時は見逃したが、再び二千前の悲劇を引き起こすというなら〝世界の守護者〟である妾が相手になろう!」
そう宣言すると身体から深紅のオーラを発し空気を震わせる。
とはいえ、まだ何も起きていない以上、妾は手は出せぬ。さらにこの身を縛る盟約もある。
「それまでは傍観者として大人しく世界の行く末を見届けてやる」
バサッと扇子を広げ、口元を隠し、忌々しげに吐き捨てた。