閑話 剣を向けても、あの娘は笑った(シルヴェスター視点)
客を試すのに、剣を使う。
私の流儀だ。喉もとに切っ先を当てると、人はたいてい、三つ数えるうちに本音を吐く。泣く者、わめく者、命乞いをする者。黙りこむ者もいるが、そういう者は目が泳ぐ。泳いだ先に、嘘がある。
その日も、同じことをするつもりでいた。
「大公殿下。アンブロス様のお孫さまを名乗る令嬢が、お目通りを願っております。お名前は、アマリア・ロートリンゲン様」
門番の差し出した書状には、たしかに老医師の紋章があった。
書類をめくる手が、止まった。
ロートリンゲン家の長女。知らない名ではない。新年の礼拝で、遠くから見かけたことは、ある。母君の隣で、静かに祈っている娘だった。弟が列を抜けて走れば、小声で叱って、あとで一緒に笑いをこらえている。細い肩。やわらかな栗色の髪。風が吹けば折れそうな、守られるために生まれてきたような娘。
その娘が、侍女ひとりを連れて、王弟の屋敷へ来た。
ありえない。
「ルドヴィクの差し金か」
声に出すと、部屋の温度が落ちた。インク壺の縁に、白い霜が這う。
七日後には、王子妃選びがある。最有力と噂される娘が、その前に、第一王子の後ろ盾である私を訪ねてくる。探りか。罠か。どちらにしても、第四王子の母、イゾルデの好みそうな手だ。
あの娘を使って、私に近づこうというのなら。
「応接の間へ通せ」
*
扉を開けた。
立ち上がりかけた娘がいた。淡い色のドレス。細い首。近くで見ると、礼拝堂の柱の陰から見ていたときより、ずっと小さく見えた。
剣を抜いた。
喉もとに当てる。刃に霜が這う。娘の後ろで、侍女が悲鳴を上げて床に座りこんだ。
「祖父の名を使ったな」
さあ、泣け。わめけ。誰に言われて来たのか、吐け。
娘は、泣かなかった。
「どちらでもございません、大公殿下」
笑ったのだ。喉に刃を当てられたまま、にこりと。
私は、娘の膝を見ていた。ドレスの裾が、細かく震えている。怖くないわけではないのだ。怖いのに、顔には一つも出さない。目も泳がない。私の目を、まっすぐに見返してくる。
「私は、私の用で参りました。剣を引いていただけますか。お話しにくいので」
お話しにくいので。
この屋敷で、私の剣を前にして、そんな理由で剣を引けと言った者はいない。歴戦の将軍でさえ、だ。
剣を下げた。下げてから、なぜ下げたのか、自分でもよくわからなかった。
「十七の娘にしては、肝が据わっている」
口から出たのは、それだけだった。
*
そこからは、驚くことばかりだった。
「大公殿下。私と結婚してください」
従者が引きつった。侍女が口を開けた。私は眉を動かさなかった。動かし方を忘れていた、と言ったほうが正しい。
契約で結構です、と娘は言った。期間は、第一王子が後継者に指名されるまで。まずは婚約者として、婚礼のあとは妻として。終われば、離縁してかまわない。
そう言って、娘は指を折った。差し出せるものが、四つ。
公爵家の財と人脈。老医師の医術と、弟子たち。そして、第一王子の病を治す方法。
三つめで、私は顔を上げた。
「あれは病ではありません。毒です」
ニコラウスの病を毒ではないかと疑っていたのは、私だけだった。侍医たちは首を振り、兄上は「考えすぎだ」と笑った。証はなく、手も出せず、甥が痩せていくのを見ていることしかできなかった。
それを、この娘は言い当てた。母親が同じ毒を飲まされていたから、わかるのだと。
声は、少しも揺れていなかった。自分の母親が毒を盛られていた話をしているのに。
そして、四つめ。
「これから一年のあいだに、この国で起きることを、私は知っております」
さすがに、正気を疑った。
剣より冷たい声で脅した。外れたら、家ごと凍らせる、と。窓に霜が走る。娘の指先が白くなる。
「構いません。外れませんので」
外れませんので、と来た。
そのとき、気づいた。膝の上で握りしめた娘の手が、真っ白になって、震えている。剣を下げたあとも、ずっと震えていたのだ。それでも、一歩も引かない。
気づけば、従者に茶を言いつけていた。雲苺の茶を。金花蜜を、多めに。
自分で碗を娘の前に置いたとき、指がためらった。客に手ずから茶を出すなど、何年ぶりかもわからない。
「飲め。手が冷えている」
娘は碗を両手で包んで、小さく「ありがとう、ございます」と言った。湯気の向こうで、こわばっていた頬が、ほんの少しだけゆるんだ。
剣の前で笑ってみせた娘が、茶の一杯で、こんな顔をする。
妙な気分だった。腹の底が、むずがゆい。
*
「私を選んだ理由は」
「殿下が、ルドヴィク殿下の叔父上でいらっしゃるからです。王弟妃になれば、あの方は私に頭を下げなければなりません」
正直な娘だ。そこまで言うか。
「それが目的か」
「半分は」
もう半分は、言わなかった。言わないことを、隠そうともしなかった。こちらを見極めている目だった。値踏みされているのは、どうやら私のほうらしい。
悪くない、と思った。
甘い言葉で近づいてくる者より、利を並べたうえで、こちらを値踏みしてくる者のほうが、よほど信用できる。
「お前は、第四王子の幼なじみだろう。それを捨てる理由は何だ」
娘は碗を置いた。にっこり笑って、深く息を吸って。
「一度、殺されましたので」
意味は、わからなかった。
だが、娘の目は、まったく笑っていなかった。剣を向けられたときでさえ、あの目には光があった。今は、底の見えない井戸のような目をしていた。
冗談を言う目ではない。
腹の底から、何かがせり上がった。窓の霜が、ぱきん、と音を立てて砕けた。
誰が。
誰が、この娘に、こんな目をさせた。
*
娘が帰ったあと、私は庭に出て、剣を三百回振った。
振っても振っても、腹の熱が引かない。氷の魔法を持って生まれた男の腹が、熱い。笑い話だ。
「殿下」
従者が、外套を持って立っていた。
「お受けになるのですね」
「まだ決めていない」
「さようで」
「返事は、王子妃選びの日に出す。簡単にうなずいて、安く見られたくない」
「つまり、お受けになるのですね」
返事をしなかった。
「それと、殿下。先ほどから、笑っておいでです」
「笑っていない」
「口の端が、上がっておいでです」
「上がっていない」
従者は、賢明にもそれ以上は言わなかった。
剣を収めて、空を見上げた。
可憐な娘だと思っていた。守られるために生まれてきたような娘だと。
とんでもない。あれは、剣の前で笑う娘だ。震えながら、一歩も引かない娘だ。
そういう者を、私は戦場でしか見たことがない。
「おい」
「はい」
「アンブロス殿に、使いを出せ」
「何とお伝えしましょう」
少し考えた。考えてから、自分が何を聞こうとしているのかに気づいて、咳ばらいをした。
「……あの娘の、好物を聞いてこい」
従者の口の端が、今度ははっきりと上がった。
「笑っておいでですね」
「笑っていない」
その夜、私は私室に戻り、壁の額の前に、長いこと立っていた。




