第35話 妹との最後の会話
どうして、前の人生では私が勝ったのに。
ミレイユの問いは、牢の冷たい空気の中に、いつまでも浮かんでいた。
答えは、私の中にあった。この一年半、私だけが知っていた答えだ。これを話せば、ミレイユは壊れるかもしれない。けれど、話さなければ、この子は一生、わからないまま死ぬ。
私は鉄格子に近づいた。
「ミレイユ。あなたは、どうしてルドヴィク殿下が王になれたと思う」
「殿下が、運がよかったから。それに、私が殿下を支えたから」
「いいえ」
私は静かに言った。
「前の人生で、殿下が勝てた理由は、三つ。ひとつ。ロートリンゲン公爵家の財と兵が、全部、殿下の後ろにあったから。私の家の力よ」
ミレイユの眉が、ぴくりと動いた。
「ふたつ。干ばつを乗り切った策も、疫病で治癒師を送りこんだ策も、軍を動かす日取りも、全部、私が夜を徹して考えたもの。殿下は、私の言葉を、そのまま自分の名で陛下に申し上げただけ」
「……嘘」
「みっつ。祖父の医術の人脈で、各地の治癒師が、殿下の味方についた。その橋渡しをしたのも、私」
ミレイユの唇が、わずかに開いた。
「ひとつ、足しておくわ。ユリウスの足の怪我も、お母さまの毒も、あなたが手を汚してまで私から奪おうとしたものは、結局、殿下の足もとを固めただけ。あなたの席は、最初から、どこにもなかったの」
ミレイユは、唇を結んだまま動かない。
「あなたはね、ミレイユ。私の力で成り上がった人の隣に、座っていただけなの。勝ったのは殿下じゃない。殿下の後ろにいた、私よ」
長い沈黙があった。
高窓の光が、少しずつ角度を変えていく。水滴の落ちる音だけが、牢の奥で規則正しく続いていた。
やがて、ミレイユの肩が小さく揺れはじめた。
最初は、息を漏らすだけ。それが、喉の奥で笑い声に変わって、次第に大きくなって、牢の壁に反響した。
「あははっ。ははは、あはは!」
ミレイユは、枷のついた両手で自分の顔を覆った。
「そう。そうだったの。私が欲しかったのは、お姉さまの残りかすだったのね」
笑いながら、ミレイユの肩が震えている。
「お姉さまが全部作って、全部与えて、殿下はそれを持って、私に見せびらかして。私は、それを欲しがって。……ばかみたい。一番欲しかったものは、最初から、お姉さまの手の中にあったのに」
「ミレイユ」
「いいの。もういいの」
顔を覆った指のあいだから、涙が落ちた。
笑い声は、いつの間にか止まっていた。
「ごめんなさい、は言わないわ。言えないの。口にしたら、嘘になる気がして」
「ええ。言わなくていい」
右の房から、カティアのかすれた声が届いた。
「王弟妃殿下。私は、あの子を守れませんでした。それだけは、どうか、お忘れなく」
「忘れません」
カティアは、それきり口を閉ざした。
ミレイユが、ぽつりと言った。
「言ったら、お姉さまが許さなきゃいけなくなるもの」
私は黙ってうなずいた。
許せるかと言われたら、わからない。母の薬湯に毒を入れた手と、同じ血が流れている。けれど、鉄格子の向こうで丸まっている女の肩は、驚くほど小さかった。
*
三日後、私は再び玉座の間に立った。ルドヴィク殿下の葬いは、近しい者だけで、ひっそりと終わっていた。喪の鐘は一度も鳴らされなかった。
陛下の声が、広間に響く。
「ルドヴィクは、王子の位を剥奪されたうえで、夜のうちに病で没した。そう記録に残す。王家の恥は、王家の内で葬る」
居並ぶ貴族たちが、一斉に頭を垂れる。
「そして、ミレイユ。カティア。そなたたちは、王子殺害の罪に問われる」
引き出された二人は、囚人服のまま、うつむいている。
「本来なら、斬首だ。しかし」
陛下の視線が、私に向いた。
「王弟妃アマリアより、嘆願が出ておる。命だけは助けてほしいと」
広間がざわつく。シルヴェスターが隣で、小さく息をついた。反対はしなかった。ただ、私の手を握った指に、力が入った。
「王弟妃。理由を述べよ」
「恐れながら」
私は一歩前へ出て、頭を下げた。
「死は、罪の終わりではあっても、償いの始まりではございません。生きて、長く、罪を背負わせることこそ、王子殿下を亡くした王家の、正しいお裁きかと存じます」
もう一つの理由は、口にしなかった。お腹の子に、血の匂いのする手で、この国の始まりを触らせたくなかった。
陛下は、しばらく黙っていた。玉座の肘掛けを、指先で一度、とん、と叩く。
やがて、重く頷いた。
「よかろう。ミレイユ、カティア。北の果ての修道院へ、生涯送る。戒律のもとで、祈りのみの日々を過ごせ。二度と王都の土を踏むことは許さぬ」
カティアが、ゆっくりと顔を上げた。
「陛下。ありがとう存じます」
乾いた声だった。感謝というより、やっと許された、という響きだった。
ミレイユは、何も言わなかった。
*
出発の朝は、薄曇りだった。ユリウスが護衛として私の半歩後ろに立ち、何も言わずに、じっと馬車を見つめていた。弟の拳が、わずかに握られているのが見えた。
王宮の裏門に、粗末な馬車が一台、停まっている。引くのは、六本足の地竜が二頭。のそのそと鈍いが、北の雪道でも止まらない。車窓には鉄の格子。御者のほか、騎士が四人。
私は、少し離れた木陰から見送った。隣でユリウスが、そっと私の手を握る。ごつごつした、剣だこの手。前の世では冷たくなって動かなかった手が、今、温かい。
カティアが先に乗りこんだ。続いてミレイユが、騎士に背を押されて、踏み台に足をかける。
そこで、ミレイユが振り返った。
目が合った。
距離は、十歩ほど。ミレイユの髪が、朝の風にゆれた。
「お姉さま」
声は、静かに届いた。
「次の人生があったら、私、あなたの妹には生まれたくないわ」
私は、微笑んだ。
「ええ。私もよ」




