↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を殺した王子の叔父に嫁いだら、契約夫の溺愛が止まりません  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/51

第34話 夜明けの知らせ

 その夜、私はほとんど眠れなかった。


 王弟の屋敷の寝室で、寝台に横たわったまま、天井の梁を数えていた。隣ではシルヴェスターが、眠ったふりをしている。ふりだとわかるのは、私の手を握る指に、ずっと力が入っているから。


「眠れないのか」


「シルヴェスター様こそ」


「私は、眠る必要がない。お前が起きているあいだは」


 ぶっきらぼうな言い方に、少し笑ってしまった。


「それは、眠れないのとどう違うのです」


「違わん」


 くすくすと笑っているうちに、窓の外が白んできた。枕もとの魔石灯の光が、朝の色に負けて薄れていく。


 扉が叩かれたのは、鳥が鳴きはじめたころだった。


 入ってきたのは、近衛の長だった。シルヴェスターが起き上がる。短い耳打ちがあって、近衛の長は一礼して下がった。


 シルヴェスターは、しばらく黙っていた。


 それから、寝台の端に腰かけて、私の手を両手で包んだ。


「アマリア。聞く覚悟はあるか」


「はい」


「地下牢で、ルドヴィクが死んだ。牢番が朝の見回りで見つけたときには、もう冷たくなっていたそうだ」


 窓の外で、鳥が鳴き続けている。


 言葉が、すぐには胸に落ちてこなかった。


「死因は」


「首に、鎖が巻かれていた。ほかには、手で押さえられた痕。ミレイユとカティアが、その場で取り押さえられた。二人は、抵抗しなかったそうだ」


「そう、ですか」


 廊下から、慌ただしい足音が近づいてきた。扉が開いて、ユリウスが顔をのぞかせる。目が赤い。後ろにイレーネも立っていて、エプロンの端を握りしめていた。


「姉上。聞いた?」


「ええ。今、聞いたところ」


「俺さ。ざまあみろって思うはずだったんだ。でも、変な気分だ。姉上の前で、泣くのも違う気がして」


「泣いていいのよ、ユリウス」


「……いや、いい。姉上が泣かないなら、俺も我慢する」


 ユリウスはそう言って、唇を噛みしめた。前の世で、私の足もとで目を開けたまま動かなかった弟が、今、目の前で生きて、涙をこらえている。それだけで、胸がいっぱいになった。


「イレーネ。熱い雲苺の茶を、人数分」


「はい、奥様。すぐに」


 イレーネは鼻をすすり上げて、廊下を駆けていった。


「牢番は、ろうそくが消えていて、何も見ていないと言っている。二人は聞かれたことに、ただ頷いたと」


 私は、ゆっくりと身を起こした。


 シルヴェスターが背に枕を当ててくれる。窓のほうへ顔を向けると、薄い朝の光が、カーテンの隙間から細く射しこんでいた。


 前の私が最後に見た天井は、金の飾りが磨かれた、王妃になるはずの者のための天井だった。


 あの夜の天井が、今朝の空とつながったような気がした。


「……そうですか」


 それしか、言えなかった。


 喜びではなかった。悲しみでも、なかった。ただ、長いあいだ、どこかで握りしめていた拳が、ほどけた。


 前の私が、ようやく、眠れたのだと思った。


 涙が一筋だけ、頬をすべった。シルヴェスターは何も言わず、親指でそっとぬぐった。


「私が泣いたのは、あの人のためではありません」


「ああ」


「前の私と、ユリウスのためです」


「わかっている」


 シルヴェスターの声は、いつもより低く、やわらかかった。


 しばらくして、私は言った。


「シルヴェスター様。お願いがあります」


「言え」


「ミレイユに、会いたいのです。一度だけ」


 シルヴェスターの眉が、ほんのわずか動いた。


「会って、どうする」


「わかりません。何も言わないかもしれません。ただ、会わないまま終わらせると、前の私が、また立ち止まってしまう気がして」


 シルヴェスターは、長く息を吐いた。


「私も同行する」


「牢の前までで結構です」


「入口までだ。それ以上は譲らん」


「はい」


 私は、ようやく微笑んだ。


 イレーネの運んできた熱い雲苺の茶を、四人で飲んだ。寝室の床に直接座って、パンを割り、星蜜焼きの月林檎をのせて。


「姉上、お行儀が悪い」


「ユリウスこそ、口のまわりが星蜜だらけよ」


「殿下、その一切れは奥様の分です! 先に召し上がってはいけません」


 イレーネに叱られて、シルヴェスターは手にしたパンを、無言で私の皿へ移した。氷の大公が、侍女に叱られて、しゅんとしている。


 ユリウスが吹き出して、イレーネが「笑い事ではありません」と言いながら自分も笑って、私も笑った。人が一人亡くなった朝に、笑うのは不謹慎かもしれない。けれど、この朝食の笑い声は、前の私が最後まで手に入れられなかったものだった。


「いただきます、は、私が言うわ」


 私が手を合わせると、三人も手を合わせた。


   *


 地下牢は、昨日よりも冷え切っていた。壁に染みこんだ水の匂いに混じって、鉄と、消えたろうそくの蝋の匂いがする。私は階段の途中で一度だけ足を止め、お腹に手を当てた。子が、静かにそこにいた。そのことが、私を前へ進ませた。


 鉄格子の奥は、三つの房に分けられていた。中央の房は空。昨夜の出来事のあと、ミレイユとカティアは別々の房に移されたのだと、近衛の長が小声で教えてくれた。


 右の房で、カティアが壁を向いて座っている。膝を抱え、微動だにしない。


 左の房に、ミレイユがいた。


 両手の手首に、枷。泥だらけだったドレスは取り替えられ、粗末な灰色の囚人服になっている。髪はおろされたまま、顔の半分を隠していた。


 鉄格子の前に立つと、ミレイユは顔を上げずに言った。


「来ると思っていたわ。お姉さまのことだもの。足音でわかる」


 カティアは動かない。壁に向いた背中が、ひどく小さく見えた。


「そう」


「お姉さまなら、来る。昔からそう」


 ミレイユの目が、ちらりと私の後ろへ流れた。


「大公殿下も、ご一緒なのね。毎日、そんなふうに、そばにいてくださるの」


「ええ。毎日」


「いいわね、お姉さまは。前の人生では、一度もなかったのに。私にも、そんな人が、ひとりくらい」


 言いかけて、ミレイユは口を閉じた。ルドヴィクの顔が浮かんだのだろう。長い睫毛が、小さく震えた。


 けれど、同情はしない。母の薬湯に毒を入れた手が、その睫毛の下で笑っていたことを、私は忘れない。


 私は、鉄格子の前に立ったまま、ミレイユを見下ろした。


「怪我はない? 食事は、出ている?」


「怪我なら、いくらでも。でも、お姉さまを殺した夜に比べたら、何でもないわ」


 その言葉に、背後でシルヴェスターが一歩踏み出した。私は手を上げて、止めた。


「殺されたのは、私よ。あなたに笑われながら」


 ミレイユは、否定しなかった。ただ、手首の枷を見下ろして、指を握ったり開いたりしている。


「知ってるわ。血を浴びたもの」


 ミレイユは、薄く笑った。


「あのね、お姉さま。殿下を殺したこと、私は少しも後悔していないの。それは本当。でもね」


 ミレイユが、ゆっくり顔を上げた。


 牢の高窓から落ちる光が、ミレイユの頬の汚れを白く浮かび上がらせていた。目の下に隈がある。けれどその瞳は、怯えも怒りもなく、ただ純粋に、不思議そうだった。


「勝ったのは、お姉さまよ。認める。私も殿下も負けた。でも」


 ミレイユは、首をかしげた。


「どうして。前の人生では、私が勝ったのに」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。