↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を殺した王子の叔父に嫁いだら、契約夫の溺愛が止まりません  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/51

第4話 毒の正体

 祖父が公爵邸に着いたのは、手紙を出した翌日の昼だった。


 角鹿の引く小さな馬車が、門の前で止まる。大きな枝角を持つ鹿の魔獣で、一般の貴族や商人が好んで使う。その馬車から、白いひげを胸まで伸ばした小柄な老人が飛び降りた。


 アンブロス。前の宮廷医師長だ。杖を突いているくせに、歩く速さは若い騎士より速い。


「アマリア!」


 玄関で待っていた私を見るなり、祖父は杖を放り出して両腕を広げた。


「おお、おお、わしの可愛い孫娘。顔色が悪いではないか。ちゃんと食べておるか」


「お祖父さま、お久しぶりです」


「手紙の字が震えておったぞ。誰かにいじめられたか」


「あとで。まず、お母さまを」


 祖父の顔から、孫に甘い好々爺の笑みがすっと消えた。医師の顔になる。


「案内せい」


 母の居間で、祖父は脈をとり、まぶたの裏を見て、爪の色を確かめた。それから、私が渡した小瓶の薬湯を、指先で少しだけなめて、舌の上で転がす。


 祖父の両手に、淡い光が灯った。治癒師の光だ。その手を母の胸にかざすと、光は薄い膜のように母の体を包み、すぐに消えた。


 長い沈黙のあと、祖父は小瓶を卓に置いた。その手が、わずかに震えている。


「毒じゃ」


 母が息をのむ音が聞こえた。


「黒鈴草の根の毒じゃ。ゆっくり心の臓を弱らせる。甘い薬草の匂いに紛らせてある。このまま飲み続ければ」


 黒鈴草。白い光の中で、女神様が口にしたのと同じ名だった。


 祖父は母の手を握りしめた。


「このまま飲み続けておったら、二年ともたずに、心の臓が止まっていた」


 母の顔から、血の気が引いていく。


 私は黙ってうつむいた。まだ、証拠がない。


 その日の夕方、私は祖父と一緒に、父ヘルムートの書斎を訪ねた。


 父は羽ペンを置いて、うんざりした顔で私たちを見た。


「毒だと? 馬鹿を言うな」


「ヘルムート。わしが調べたのじゃ。間違いない」


「薬湯を用意したのはヨランダです。毎日心を尽くしてくれている女が、なぜ毒など」


「お父さま。薬湯を運んだのは、いつもヨランダの侍女だけです」


「アマリア。お前まで、ヨランダを疑うのか。ドロテアは昔から体が弱かった。薬湯が合わなかっただけだ」


 ああ、そうだ。この人は、こういう人だった。


 悪人ではない。ただ、自分に都合のいい話だけを信じる人だ。


「わかりました」


 私は、にこやかに頭を下げた。


「では、お母さまの体を治すため、お祖父さまの屋敷で療養させてください。お父さまは、お忙しいでしょう」


「療養?」


「勝手にしろ。ただし、おかしな噂を流すなよ」


 扉を閉めたあと、祖父が小声で言った。


「よい手じゃ。ドロテアを屋敷から出してしまえば、毒はもう届かん。あとは、わしに任せておけ」


 その夜、母の荷造りが始まった。魔石灯の青白い光が、廊下で揺れている。


◇ヨランダ◇


 あの小娘が碗を叩き落とし、そこへ老いぼれの医者が来て、薬湯を舐めたという。


 私は、鏡の前で髪をほどきながら、くすくすと笑った。


「そう。あの老人は、賢いのね」


「毒の瓶が見つかれば、私の首が飛ぶわ。だから、先に、誰かの首にしましょう」


 引き出しの奥から、小さな瓶を取り出す。透明な、細い瓶。底に、わずかに黄色い澱が残っている。


 私は、それを侍女の手に握らせた。


「お嬢様付きの侍女がいたわね。イレーネ。あの子の部屋の、寝台の藁の下に入れておいで。朝、旦那様をお連れするわ」


「あの、イレーネは、お嬢様が幼いころから」


「だからいいのよ。お嬢様が、いちばん大事にしている子だもの。鞭で打たれた侍女は、何でも吐くわ。三十も打てば、口が軽くなる。『お嬢様のご指図で』ってね。そうしたら、奥様に毒を盛ろうとしたのは、あの生意気な小娘ということになる」


 楽しみだわ。血のにじむ背中を見て、あの小娘が、どんな顔をするのか。


◇アマリア◇


 翌朝。母が祖父の馬車に乗る少し前のことだった。


 廊下に、重い足音が響いた。


 「アマリア!」父の怒鳴り声だった。続いて、ヨランダの泣き声。


 扉を開けると、父がヨランダの肩を抱いて立っていた。後ろには、使用人が数人。ヨランダは、ハンカチで顔を覆っている。


「何事ですか、お父さま」


「お前の侍女の部屋から、これが出た」


 父の手に、小さな瓶があった。透明な、細い瓶。底に黄色い澱。


 イレーネが、使用人二人に両腕を取られて、廊下に引きずり出されてきた。顔が真っ白だ。


「お嬢様、私は、知りません」


「黙れ! 寝台の藁の下から出たのだぞ。薬湯に毒を混ぜていたのは、この侍女だったのだ」


「ああ、旦那様」


 ヨランダが、わっと泣き伏した。


「お嬢様のご指図だったのでは、と思うと胸が痛くて。奥様がお亡くなりになってしまったら、私は、どうしたら」


 涙は本物のようだった。上手い、と思った。


「庭で鞭打ちだ。口を割るまで、打て。連れて行け!」


 使用人たちが、イレーネを引きずっていく。中庭の杭に縛りつけられ、背中の服が裂かれる。鞭を持った下男が、腕を振り上げた。


 イレーネの悲鳴が、朝の庭に響く。


 私は、足が震えるのを、止められなかった。


 鞭が、風を切った。


「お待ちなさい」


 私の声は、驚くほど通った。


 鞭が、イレーネの背中の上で止まる。


「お父さま。その瓶、お祖父さまに見ていただいてから、打つかどうか決めても、遅くないはずです」


「何だと」


 父が、苦々しげに杖の老人を振り返った。


 祖父は、庭の隅の石に腰かけ、のんびりと杖に両手をのせていた。いつの間にか、そこにいた。


「ふむ。見せてみい」


 祖父は父の手から瓶を取り上げ、鼻の先で振った。庭が、静まり返る。


「毒じゃな。わしが昨日調べた、ドロテアの薬湯の毒と、同じ種類じゃ」


「ただし」


 祖父は、瓶を高く掲げた。陽の光で、黄色い澱が揺れる。


「この瓶には、毒のほかに、香の脂が混じっておる。夜香草と銀樹の樹脂と、眠り苔の根。三つを練った、特別な調合じゃ」


「それがどうした」


「昨夜、廊下を歩いたとき、奥の部屋から同じ香りが漂っておった。ヨランダ殿のお部屋じゃ」


 ヨランダの肩が、ぴくりと動いた。


「侍女の寝台から出た瓶に、なぜ、ヨランダ殿の部屋の香の脂が溶けておるのかのう」


 私は、一歩前に出た。


「お父さま。毒の瓶に、ヨランダの香の脂がついている。誰の手を経て、この瓶はイレーネの藁の下に置かれたのでしょう」


「ち、違います、旦那様」


 ヨランダが、慌てて首を振った。


「あの、きっと、私の侍女の勘違いです!」


「勘違い?」


「そう、奥様のためによかれと思い、薬を足そうとして、間違えて。慌ててイレーネの部屋に置いてしまったのです。ね? お前、そうでしょう?」


 ヨランダは、すぐ後ろに控えていた自分の侍女を振り向いた。侍女の顔が、紙のようになる。


「は、はい、奥様」


「私の管理が行き届かず、申し訳ございません。さあ、旦那様、イレーネを放してやってくださいな。可哀想に」


 ヨランダは、目に涙をためて、父の腕にすがりついた。


 父は、顔をしかめて、鞭を持つ下男に手を振った。


「やめろ。イレーネを下ろせ」


 縄がほどかれる。イレーネは、石畳の上にへたりこんだ。


 私はすぐに駆け寄って、イレーネの背に上着をかけた。背中には、まだ傷がない。間に合った。


「お嬢様」


「大丈夫よ。もう大丈夫」


 イレーネは、私の袖にしがみついて、声を殺して泣いた。


 ヨランダは、完璧な悲しみの顔でこちらを見ている。その目の奥だけが、笑っていなかった。決着には、まだ遠い。毒の瓶は、証拠として祖父が預かった。


 昼前、母は祖父の馬車に乗り込んだ。


「イレーネ」


 母は馬車の窓から身を乗り出して、イレーネの手を取った。


「私の大事な娘を、守ってくれてありがとう。次に会うときは、美味しいお菓子を持ってきてね」


「はい、必ず!」


 馬車が門を出る。窓から、母が手を振る。祖父が杖を振り回している。


「アマリアー! わしの孫を泣かせた奴は、わしが杖で叩くからなー!」


 ユリウスが吹き出した。イレーネも、泣きながら笑った。小さな、でも確かな幸せだった。


 その夕方。私は二階の廊下の窓から、庭の植え込みを見下ろしていた。


 ヨランダが、自分の侍女を植え込みの陰へ引っぱっていく。窓が少し開いていて、風が声を運んでくる。


「役立たず」


 乾いた音がした。頬を叩く音。


「お前のせいで、あの老いぼれに香を嗅ぎつけられたじゃないの。蔵で三日、反省なさい。あの子が何か知っているのか、探るのも忘れずに」


 ヨランダは、私が何かに気づいたと、疑いはじめた。


 私は窓をそっと閉めた。


 母は、助けた。イレーネも、守れた。けれど、毒を作った人間がいる。ヨランダ一人に、そんなものが作れるはずがない。


 十日足らずで、王子妃選びの日がやって来る。同じ道は、歩かない。ルドヴィクの妃にはならない。ルドヴィクを、王にもしない。


 でも、それなら誰と組む。令嬢一人の言葉では、王宮には届かない。


 その夜、客間で祖父と二人きりになってから、私は尋ねた。


「お祖父さま。母に毒を盛った人は、毒をどこから手に入れたのでしょう」


「うむ。この毒は、市井には出回っておらん。王宮の薬師が扱う、特別な調合じゃ。ふつうの者は手に入れられん」


 祖父は髭をしごいて、声を落とした。


「もうひとつ、思い出したことがある。去年から気になっておったのじゃ。第一王子ニコラウス殿下の病な」


「第一王子殿下の」


「あの方は、昔から体が弱いと言われておる。じゃがな、アマリア。症状が、ドロテアのものと、よく似ておる」


 息が止まった。


 第一王子。前の世では、若くして亡くなった人。あれも、病ではなかったのか。


 二つの毒が、同じ出どころなら。ルドヴィクの母、イゾルデ様。ルドヴィクが王になるために、いちばん邪魔なのは、第一王子。


 私は椅子から下りて、祖父の前に膝をついた。


「アマリア?」


「お祖父さま。お力を、貸してください」


 顔を上げて、まっすぐに祖父を見る。


「母を、助けてください。毒を抜いて、元の体に戻してください。そして、第一王子殿下も。殿下の毒も、お祖父さまなら見抜けるはずです」


「第一王子殿下まで、か」


「はい。殿下がお元気になれば、母に毒を盛った者たちの企みは、根もとから崩れます」


 祖父は長いあいだ、黙って私を見ていた。それから、深く息を吐いた。


「わしはな、アマリア。ドロテアがやつれていくのを、ずっと『体の弱い子じゃから』と思うておった。宮廷医師長まで務めた男が、自分の娘の毒にも気づかんかった」


 節くれだった手が、膝の上で握りしめられる。


「その借りは、返さねばならん」


 祖父は杖を床について、背筋を伸ばした。孫に甘い好々爺の顔ではなかった。王国じゅうの治癒師が頭を下げる、前・宮廷医師長の顔だった。


「わしの弟子は、王宮の侍医にも、薬師の組合にも、国じゅうの治療院にもおる。毒消しの薬は、弟子に作らせる。ドロテアには、わしの屋敷で、わしの選んだ者しか近づけん。それから、王宮の薬師の帳簿じゃ。黒鈴草の根を誰がいつ受け取ったか、弟子に洗わせよう」


「お祖父さま」


「じゃが、第一王子殿下は、そう簡単にはいかん」


 祖父の声が、低くなる。


「わしは引退した身じゃ。殿下のお部屋に入って脈をとるには、殿下の後ろ盾になっておる方のお許しがいる。毒を盛った者に気づかれずに、な。そして、毒の出どころを暴いたあとは、その者たちから殿下と、おぬしを守れる力がいる」


 点と点が、一本の線につながっていく。この毒を暴くには、第一王子の後ろ盾になれるほどの、力のある味方が要る。


 一人だけ、思い当たる名前があった。


 国境を守った戦の英雄。冷酷で、笑わないと噂の人。人々は畏れをこめて、その人をこう呼ぶ。


 氷の大公。


 王弟、シルヴェスター殿下。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。