↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を殺した王子の叔父に嫁いだら、契約夫の溺愛が止まりません  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/51

第19話 母を毒した手

 祖父の屋敷の門に、銀の天馬車が降りた。翼のある白馬が羽をたたむと、庭の鶏が逃げ出した。


 庭では、母のドロテアが、花の水やりをしていた。


「お母さま」


「あら、アマリア。ちょうどよかった。この百合、咲いたのよ」


 つばの広い帽子の下で、母が振り返る。頬に赤みがさしている。足取りもしっかりしている。


 二年後に病で亡くなるはずだった人が、土の匂いのする手で、私に花を差し出している。


「泣かないの。あなたは、泣き虫ねえ」


「泣いてません」


「泣いているわよ」


 母に抱きしめられた。ずっと、こうしてほしかった。


「それで」


 母は私の頬を両手で挟み、いたずらっぽく目を細めた。


「氷の大公は、あなたに優しくしてくれるの?」


「お、お母さま」


「手紙に、月林檎の星蜜焼きの話が三回も出てきたわよ」


 顔が熱くなる。祖父が縁側で、わざとらしく咳をした。


「わしの孫を泣かせたら、あの坊主、氷ごと叩き割ってやる」


「お祖父さま、大公殿下を坊主と呼ばないでください」


「坊主は坊主じゃ。傷だらけで運ばれてきた十九のころから、坊主じゃ」


 母と顔を見合わせて、また笑った。笑える幸せを、嚙みしめた。


 一度目の人生で、母の最期の顔を、私は覚えている。やせ細って、枕の上で、小さく笑っていた。あの顔を、もう二度と見ずに済む。


「お祖父さまの薬草茶が、よく効いたのよ。まずいけれどね」


「まずいとは何じゃ、ドロテア。わしが十年かけて調合した」


 縁側から、祖父がぶつぶつ言いながら顔を出した。母と私は目を見合わせて、声を揃えて笑った。


 そこへ、門のほうから馬の音がした。


「奥様、旦那様がお見えです」


 祖父の家の使用人が、おずおずと告げる。


「通してちょうだい」


 母は帽子を脱ぎ、乱れた髪を手で撫でつけた。背筋が、すっと伸びる。その横顔を見て、私は思った。この人は、今日のために、体を治したのだと。


 父のヘルムートが来たのだ。母が療養に出てから、父が見舞いに来るのは、初めてだった。


 庭に出てきた父は、母を見て、足を止めた。


「ドロテア」


「あなた。お久しぶり」


「顔色が」


 父は、言葉を探している。


「ずいぶんと、よくなったな」


「ええ。おかげさまで、毎日、よく食べて、よく眠れます」


「私は、おまえが重い病だと聞いて」


「誰から?」


 母の声は、穏やかだった。穏やかなぶん、冷たかった。


「ヨランダから、です」


「そう」


 母は、水差しを置いた。


「アマリア、あれを」


 私は頷いて、侍女に合図した。奥の部屋から、ひとりの女が連れてこられる。


 縄で手を縛られた、ヨランダ付きの侍女だった。


 母の薬湯を運んでいた侍女だ。三日前、祖父の弟子とシルヴェスターの騎士が捕らえた。家に病気の親を抱える女で、ヨランダに逆らえなかったらしい。毒を運んだ罪は軽くない。それでも、真実を話すなら命は取らないと約束すると、ついに口を開いた。


 侍女は私を見るなり、ひれ伏した。「命だけは」と何度も繰り返す。


「お父さま。この者が、お母さまの薬湯に毒を入れておりました」


「何を言う。ヨランダが」


「ヨランダ様のご命令でございます」


 侍女が、床に額をつけた。


「毒は、イゾルデ様の宮の薬師から、ヨランダ様が受け取っておいででした。月に一度、小瓶を。それを、毎日、奥様の薬湯に」


 父の顔から、血の気が引いていく。


「でたらめだ。ヨランダは、そんな女ではない。私の」


「あなた」


 母が、静かに言った。


「この侍女の、袖の中にあった小瓶です」


 祖父が、小さな瓶を卓の上に置いた。


「毒の成分は、第一王子殿下の香炉にあったものと同じです」


 父は、瓶を見た。


 卓の上の小瓶が、窓の光を受けて、にぶく光る。ヨランダの優しさの味と同じ、甘い香りがした。


 ヨランダは、いつも優しかった。父の肩を揉み、足を洗い、「旦那様のお疲れが気がかりで」と涙ぐんだ。その優しさの裏で、母の薬湯に何が注がれていたのか。


 父は、ようやくそれを思い描いたのだろう。唇が、色を失っていった。


 何度も瞬きをして、侍女を見た。母を見た。私を見た。


「そんな」


 声が、かすれる。


「十年、いや、それ以上。私の家で、私の妻が、私の目の前で、毒を」


 膝が折れた。


 父は、その場に崩れ落ちた。両手を地面について、肩が大きく震えている。


「私は何を信じていたんだ」


 母はその前に立って、冷たく見下ろした。


「あなたが信じた人に、私は殺されかけたのですね」


 父は、顔を上げられない。


「ドロテア、すまない。私は、私は」


「謝罪は聞きません。聞くのは、あなたがこれから何をなさるか、だけです」


 母は、父に背を向けた。私は少し、驚いた。こんなに強い人だっただろうか。


 いや、違う。


 強い人だったのだ。毒に弱らされて、その強さを、誰にも見せられなかっただけで。


 母は、崩れた父を、一度も振り返らなかった。かわりに、私の頬を両手で包んだ。


「アマリア。あなたが気づいてくれなければ、私は今ごろ、土の下だったでしょう。ありがとう」


「お母さま」


「でもね、これからは、あなたも自分の幸せを考えなさい。母のために戦うのは、もう十分」


 その言葉は、まっすぐ胸に入った。涙があふれた。祖父が、そっと外を向いてくれた。


 その日のうちに、ヘルムートはヨランダを屋敷から追い出した。


 屋敷の門の前で、ヨランダは叫んでいたという。荷物を投げ出され、泥の中に座りこんで。「私は公爵様の妻になる女です」「ミレイユは王子妃です」。けれど、門は開かなかった。


 ヨランダは、ミレイユと同じ顔で、道端の石を拾って門に投げたそうだ。門番の目の前で、角鹿の荷車が、ずるずるとヨランダの荷物を引いていった。行き場をなくしたヨランダが駆け込んだのは、一か所だけだった。


 イゾルデ様の宮。


 帰りの馬車で、祖父が言った。


「ドロテアの目が、昔に戻っておったな。あの子は強い子じゃ。ヘルムートが一生かけても、頭が上がらんじゃろう」


 私は小さく笑った。


 夜、王弟邸に戻って、そのことを報告すると、シルヴェスターは、書き物をする手を止めた。


「泣いたのか」


「少しだけ。母が、強くて」


「そうか」


 シルヴェスターは立ち上がり、私の前に立つと、黙って頭を抱き寄せた。


「岳母殿が元気になったのだ。祝いをせねばな。夏のはじめに、湖の離宮へ連れていく。母君も、祖父殿も一緒にだ」


「湖の、離宮」


「お前は働きすぎだ。少しは遊べ」


 命令の形で、優しいことを言う。私は笑って、頷いた。


 それから、シルヴェスターは机に戻った。


「ヨランダが、イゾルデの宮に逃げ込んだか」


「はい」


「ならば」


 シルヴェスターは、机の上に、三枚の紙を並べた。


 一枚には「第一王子の毒」。一枚には「ドロテアの毒」。一枚には「口封じされた侍従」。


 三枚の紙の上に、指で一本、線を引く。


 ぜんぶ、イゾルデの宮に向かって集まる。


「アマリア」


 シルヴェスターが、顔を上げた。


「これで、一本の線になったな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。