↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を殺した王子の叔父に嫁いだら、契約夫の溺愛が止まりません  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/51

第16話 ミレイユ、王子妃になる

◇ミレイユ◇


 私は、第四王子の正妃になった。


 挙式は、びっくりするほど小さかった。イゾルデ様は「身分の低い母を持つ娘など」と最後まで渋ったのだ。けれど、他に誰も来なかった。舞踏会の醜聞のあとで、第四王子に娘を嫁がせたい家は、一つもなくなっていたのだ。


 それでも、正妃は正妃。王子邸の女主人。


 正妃というのは、王子の妻の中で一番上の立場の人のことだ。屋敷の使用人を取り仕切り、側妃たちを従える。殿下の隣に座るのも、私一人のはずだった。


 黒いバイコーンの馬車が、王子邸の門前で鼻を鳴らして止まる。二本角の馬は、荒く足を踏み鳴らし、御者の鞭が飛んだ。公爵家のユニコーンは、一度も私に近づかなかったのに。この黒い馬だけが、鞭の下で、私を乗せてくれる。


 私は顎を上げて、白い絹のドレスの裾を引き、王子邸の玄関をくぐった。魔石の灯りが、玄関ホールを昼のように照らしている。


「お帰りなさいませ、奥様」


 使用人たちが、ずらりと並んで頭を下げる。そうよ、これよ。前の人生で、私が味わったのは。


 満足して階段を上がっていくと、廊下の先に、ひとりの女が立っていた。


 元は私の侍女。今は殿下の側妃になった、カティア。


 栗色の髪を高くまとめ、薄い桃色のドレス。私が昔、カティアにあげたことのある布で仕立てたものだ。


「カティア。あなた、正妃である私に、挨拶もないの?」


「ご挨拶が遅れました、ミレイユ様」


 カティアは軽く膝を折った。それだけだった。


「ミレイユ『様』? 奥様と呼びなさい」


「かしこまりました。……では、奥様。お疲れのところ恐れ入りますが、ひとつ、ご報告がございます」


 口調はていねいなのに、声の底に、笑いが沈んでいた。


「何よ」


 カティアは、廊下の奥のほうを見やった。


「奥様のお部屋は、東の端にご用意いたしました。日当たりが悪いのですが、お許しくださいませ。私の部屋が、一番よい南向きですので」


 わざとだ。屋敷で一番よい部屋を、側妃が取っている。


 カティアの背後で、控えていた侍女たちが、くすりと笑った。私の侍女ではない。カティアの側についた者たちだ。


 カティアは、ゆっくりと自分の腹に手を当てた。


 薄い桃色の布の上から、愛おしそうに、撫でる。


「私、殿下の御子を授かりました」


 廊下の空気が、止まった。


「医師の診立てでは、今、二月目だそうです。舞踏会の夜の」


「うそ」


「殿下も、たいそうお喜びでした」


 カティアは、目を伏せた。長いまつげの下で、瞳が光る。


「私の子は、殿下の初めての御子になります。正妃様のお腹が空いたままでも、殿下には跡取りがおできになる。ありがたいことです」


 全身の血が、引いていく。


 私は後ろの侍女たちを見た。誰もこちらを見ない。みな、カティアの前では顔を伏せている。いつの間に、この屋敷の使用人たちは、カティアに従うようになったのだろう。


「奥様、お部屋の支度が」


 侍女が声をかけてくる。


「下がっていなさい」


 語気が強すぎたのか、侍女は小さく肩をすくめて去っていった。


 自分の部屋へ、早足で戻った。扉を閉める。


 化粧台の引き出しに、昨日までなかった花が一輪、さしてあった。白い花。誰がこんなことを。侍女が、気を利かせたつもりなのか、それとも嫌がらせか。


 私は花を引き抜いて、床に捨てた。


 鏡の前に座る。


 栗色の髪。白い肌。前の人生と同じ顔。ただ、今は少し、やつれている。


 子。


 前の人生で、私は王妃になった。殿下の隣に座り、冠をかぶった。


 では、その先は。


 私に、子は、いたのだろうか。


 頭の奥を探る。ぼんやりと、断片が浮かぶ。戴冠式の鐘。広間の光。それから、先へ進もうとすると、ふっと霧が立ちこめる。


 思い出せない。何度やっても、霧しか見えない。


 一つだけ、はっきりしていることがある。前の人生の私は、誰にも負けていなかった。負けたのは、お姉さまだけ。


 それなのに、どうしてこんなに、足もとが冷たいのだろう。


 喉の奥が、からからに渇いていく。


 机の上の水差しから、水をついで飲む。味がしない。手が、かすかに震えて、杯のふちが歯にぶつかる音がした。


 侍女の控えの間から、笑い声が漏れてくる。カティアの部屋に呼ばれた侍女たちが、お祝いの菓子を食べているのだ。私の部屋には、誰も来ない。


 前の人生の私は、王妃になったはずだ。お姉さまを殺して、殿下の隣に立った。それなのに、そのあとの私が、どこにも見えない。


 怖い。


 なぜ、こんなに怖いのだろう。


 扉が、乱暴に開いた。入ってきたのは、ルドヴィク殿下だった。


「ミレイユ。聞いたか。カティアが身ごもった」


「ええ、聞きましたわ」


「めでたい。これで、俺にも跡継ぎができる」


 殿下は上機嫌だった。酒の匂いがする。


「殿下は、私より先に、侍女に子を」


 声が、かすれる。殿下は、私の目を見ていなかった。


「何を怒っている。お前にも、そのうちできるさ」


 殿下は、私の頬をぺちぺちと軽く叩いた。


「それより、母上がうるさくてな。お前のせいで、俺の評判が下がったと言うんだ。しっかりしろよ、ミレイユ」


 何それ。


 私のせいですって。


 殿下が出ていったあと、入れ替わりにイゾルデ様が入ってきた。扇が、乾いた音を立てて私の頬を打つ。


「身分の低い娘に、期待した私が愚かでした。侍女に先を越されるなど。恥を知りなさい」


 頬が、焼けるように痛い。言い返そうとして、喉が固まった。この人に、私は逆らえない。まだ。


 イゾルデ様が出ていったあと、私はひとり、鏡を睨んだ。


 正妃になれば、すべて思いどおりになると思っていた。前の人生と同じ。いいえ、前よりもっと、うまくやれるはずだった。


 それなのに、一つずつ、歯車が狂っていく。お姉さまは大公の妻になって、私より上にいる。侍女だったカティアが、先に懐妊した。


 扉の外で、廊下を歩く足音が聞こえた。軽く、ゆっくりした、勝者の足音。カティアだ。わざと私の部屋の前でとまり、くすりと笑った気配がした。


 私は、爪を噛んだ。昔からの、癖だった。


 窓の外で、夕日が沈んでいく。


 お姉さまは今ごろ、大公に抱き寄せられて、笑っているのだろう。私は、何も持っていない。いや、持っていたはずなのに、何を持っていたのか、思い出せない。


 誰かに、聞かなければ。誰に。


 もし、カティアの子が男の子だったら。


 もし、その子が、殿下の長子として育ったら。


 正妃の私に子ができても、二番目。


 母の身分が低い私は、いつまでも、殿下の隣で、見下されたまま。


 私は、鏡の中の自分に向かって、低く呟いた。


「……私より先に、侍女の子が、王子の長子になるですって?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。