第15話 宝飾店で、叔母上と呼びなさい
天馬車を店の前の広場に降ろすと、通りの人々が足を止めて見上げた。王弟家の銀の車体。反対側には、黒い二本角の馬が引く豪華な馬車が停まっていた。黒いバイコーンだ。気性が荒く、御者が鞭で従わせている。見覚えのある紋章。第四王子家のものだ。
王都一の宝飾店は、宝石の光で目が痛くなるほどだった。
大理石の床。天井から下がる水晶の灯り。店員は全員、手袋をはめて無言で歩いている。
シルヴェスターが「結婚の祝いに、好きなものを選べ」と言ってくれたので、私は店の奥の硝子の棚を、ゆっくり見て回っていた。
紺色の布の上に、雫の形をした青い宝石の首飾りがある。白い小さな花の細工が、まわりに散らしてあった。
「これを」
「かしこまりました、王弟妃殿下」
店主が箱に手を伸ばした、そのときだった。
「あら、お姉さま」
聞き慣れた甘い声。振り向くと、ミレイユが立っていた。後ろに、ルドヴィク殿下。二人はつい先日、婚約が正式に決まったばかりだ。
「ごきげんよう、ミレイユ。殿下も」
すれ違いざま、ミレイユが私の耳もとに口を寄せた。
「ドロテア様のお加減は? しぶといこと」
笑顔のまま、腕の産毛が逆立った。私は笑顔のまま、小声で返す。
「おかげさまで、日に日に。あなたのお母さまには、近いうちに、たっぷり薬をお返しするわ」
ミレイユの笑顔が、一瞬だけ止まった。
「お買い物ですの? まあ、素敵な首飾り」
ミレイユは、店主の手から箱をひょいと取り上げた。
「これ、私にいただけないかしら。ねえ、殿下」
「ああ、買ってやろう」
殿下は財布を取り出す。店主が青くなった。
「申し訳ございません。そちらは、すでに王弟妃殿下がお選びに」
「選んだだけだろう。まだ買っていない」
「代金をお払いするのは、これからです。ですが、先にお選びになったのは私ですわ。順番を守るのは、子どもでも知っている作法ですもの」
「口の減らない女だな」
「殿下のお口ほどではございません」
ルドヴィク殿下は、私に目を向けた。鼻で笑う。
「お前も、あきらめの悪い女だな」
お前。
私は、にっこりと笑った。
「殿下。いま、何と?」
「聞こえなかったか。お前のような、契約で嫁いだ飾りの妃に、そんな首飾りが似合うものか。叔父上がお前を愛しているとでも思っているのか? あの人は、冷たい人間だ。お前など、使い終われば捨てられる」
店の中が、しんと静まった。
客も、店員も、息をひそめている。
私は、ゆっくりと扇を閉じた。
「殿下。王弟妃に向かって『お前』とは、どなたに習った作法でしょう」
「な」
「お母上かしら。イゾルデ様は、そのようなことを教える方でしたの? それは、お気の毒に」
殿下の顔が、さっと赤くなる。
「それと、もうひとつ。私は殿下の叔母にあたります。叔母上と呼びなさい。国の決まりですよ」
「ふざけるな!」
殿下の腕が、上がった。
「お姉さま、生意気よ」
ミレイユも、同時に手を振り上げた。
二人の手が、私の頬めがけて振り下ろされる。
私は目を閉じなかった。
ぱしん、と乾いた音がした。
ただし、それは私の頬ではなかった。
私の後ろから伸びた黒い袖が、ルドヴィク殿下の手首を、ぎりぎりと掴んでいた。
「甥よ」
低い声。店の空気が、冬になる。
「私の妻に、何をするつもりだった」
「叔父上、これは」
「答えろ」
シルヴェスターは、殿下の手首を離さない。店の硝子に、白い霜が走った。水晶の灯りが、かたかたと鳴る。殿下の袖口が、みるみる凍りついていく。骨がきしむ音が、聞こえそうだった。ミレイユの振り上げた手は、凍りついたように中途半端な高さで止まっている。
「いえ、あの、その」
「聞こえなかったか。もう一度言う。私の妻に、何をするつもりだった」
「……何も、いたしておりません」
「そうか」
シルヴェスターは手を離した。殿下は手首をおさえて、よろめく。
それから、店主のほうを向いた。
「店主」
「は、はいっ」
「この店の品で、妻が気に入ったもの、すべてを屋敷に届けろ」
店主の目が見開かれた。
「すべて、でございますか」
「すべてだ。それとこの首飾りは、今ここでつける」
シルヴェスターは、箱から青い首飾りを取り出した。自分の手で、私の首にかける。冷たい金具が、肌にあたる。指が、少しだけ、首筋に触れた。
「似合う」
短く言う。
私の頬が、勝手に熱くなった。
「そして、甥」
シルヴェスターは、ルドヴィク殿下に向き直る。
「妻に、頭を下げろ」
「なっ、俺は王子だぞ!」
「私は王弟だ。この国で、王の次に、お前の頭を押さえる権利のある男だ。もう一度は言わない」
周りの客が、固唾をのんで見ている。
殿下の唇が、わなわなと震えた。ミレイユが袖を引く。殿下はそれを振り払った。けれど、シルヴェスターの目に射貫かれて、動けなくなった。
長い沈黙。
「……失礼を、いたしました。叔母上」
絞り出すような声。頭が、ゆっくり、下がる。
私は、にっこりと頷いた。
「ええ。許します。次からは気をつけてくださいね、ルドヴィク殿下」
店を出る二人の背中を、客たちの視線が追っていた。
シルヴェスターは、私の腰にそっと手を添えた。
「怪我はないか」
「ありません。殿下が来てくださいましたから」
「間に合ってよかった」
小声で言う。ミレイユが振り上げた手を見たとき、心臓が止まるかと思った、とも。氷の大公が、人前でこんなことを言うなんて。
店主が震える声で言った。
「あの、すべて、と申しますと、七十二点になりますが」
「かまわない」
七十二点。私が慌てて止める声は、聞き流された。店主が、ふらりと椅子に倒れこんだ。店員たちが、目に涙をにじませて箱を積みはじめる。この店の一年分の売り上げだと、後で聞いた。
馬車に戻る道すがら、シルヴェスターは、私の首の青い雫を、何度も指先で確かめた。
「怖かったか」
「いいえ。殿下が来てくださいましたから」
「次は、一人で店に入らせない」
「七十二点は、さすがに屋敷が埋まります」
「増築する」
真顔だった。私は、とうとう声を出して笑った。
店の外。バイコーンの馬車に乗る直前、ミレイユが振り返る。黒い馬が鼻息荒く前脚を蹴って、御者の鞭が鳴った。
私と目が合った。その目は、憎しみで濁っていた。
◇ミレイユ◇
馬車の中。殿下は向かいの席で、手首を撫でて黙っている。
私は、膝の上で手を握りしめていた。爪が、手のひらに食い込む。じんと痛い。けれど、離さない。
窓の外で、お姉さまが、大公の腕に守られて歩いていくのが見えた。
溺愛されている、ですって。
あの氷の大公が。女など見向きもしない男が、お姉さまの首に、自分の手で首飾りをかけた。
「前の人生では、あんな男、出てこなかったのに」
小さく、声に出してしまった。




