第12話 侍女が、先に側妃になった
翌日、私は王弟邸の寝台の上で、侍女のイレーネの報告を聞いていた。
「それでですね、お嬢様。イゾルデ様のお顔といったら」
イレーネは身を乗り出す。幼いころから仕えてくれている侍女で、噂話を集めるのが三度の食事より好きだ。
「真っ青を通り越して、白でございました。扇を握ったまま、石像のようにお立ちで。貴族の皆さまが、息を呑んで見ておられて」
「皆さま、何と?」
「『第四王子殿下が、ミレイユ様の侍女と』『それをお母上が、わざわざ人を集めて見せた』と。もう今朝には王都中が知っております。パン屋の親父まで知っておりました」
「パン屋まで」
「はい。しかも尾ひれがついて、『殿下は寝台の上で侍女に抱きつかれて泣いていた』と」
「泣いてはいなかったでしょう」
「噂とは、そういうものでございます」
イレーネは胸を張った。
イゾルデ様は、私を辱めるために貴族を集めた。その貴族たちの前で、息子の醜聞を自分で披露してしまったのだ。
「自業自得、というのでしょうね」
「そのとおりでございます。ところでお嬢様、お聞きになりたいのは、陛下のご裁定でしょう?」
「早く言いなさい」
イレーネは咳払いをして、陛下の声色を真似た。
「『侍女とはいえ、王子と同じ寝台にあった女を、そのまま放り出すわけにはいかぬ。カティアを、第四王子の側妃とする』と」
「側妃に」
側妃というのは、王子の第二以下の妻のことだ。正妃の下に仕える立場だが、それでも侍女から見れば天と地ほどの出世になる。
「カティアは、陛下の前で涙を流して喜んだそうです。ただ、お顔を伏せたとき、口の端が上がっているのを、衛兵が見たとか」
「演技が上手ね」
「ルドヴィク殿下は、『俺は被害者だ、あの女が勝手に』と叫ばれたそうです。陛下は一言、『被害者が、そのように赤い顔をするものか』と」
私は思わず吹き出した。
目を覚ました殿下の顔が、目に浮かぶようだ。昨夜の媚薬のせいで頬は赤いまま、周りは貴族だらけ。言い訳のしようもない。
「それから、もうひとつ」
イレーネは声を落とした。
「ミレイユ様は、ご自分の侍女に先を越されて、お屋敷で鏡を割られました。三枚です。侍女たちが破片を片付けて、手を切ったと。ミレイユ様ご自身も、拳から血を流しておいでだったとか」
三枚。数えているあたりが、イレーネらしい。
「それと、イゾルデ様は宮に戻られるなり、侍女を三人叱り飛ばされたそうです。『なぜあの娘ではなく、あの侍女なのだ』と」
「息子が罠にかかったのに、相手が気に入らなかったのが腹立たしいなんて。筋が通らないわね」
「筋が通る人なら、そもそも毒など盛りませんもの」
イレーネは、きっぱりと言った。
私は少し笑って、それから、昨夜のことを思い出した。倍の量の薬。壊れてもかまわないという悪意。ミレイユは、私が笑うことさえ許さないつもりだった。
笑ってやる。ミレイユの鏡が割れるたびに。
「お嬢様」
イレーネが、急にまじめな顔になった。
「ご自分のお体のことを、もっとご心配ください。昨夜は本当に、皆で肝を冷やしました」
「ありがとう、イレーネ。大丈夫よ」
「ユリウス様は、一睡もされずに、廊下で番をしておいででした。さきほど、ようやく椅子の上で眠られましたので、毛布をかけておきました。よだれを垂らしておいででした」
「それは言わなくていいわ」
弟は十五歳。一度目の人生で守れなかった、たった一人の味方だ。
扉が叩かれた。窓の外では、天馬車が四頭の羽を休めて庭に降りている。
入ってきたのは、シルヴェスターだった。氷の大公の顔で、片手に水の盆。もう片手には、湯気の立つ小さな皿を持っている。
「イレーネ、下がってよい」
イレーネが、にまにましながら出ていく。扉が閉まった。
「殿下。大公ともあろう方が、盆をお持ちになるのですか」
「戦場では、水くみも傷の手当ても自分でやった。慣れている」
「慣れていらっしゃる割に、手がぎこちないですわ」
「……黙って、これを食べろ」
皿の上には、月林檎の星蜜焼きがあった。星蜜がとろりとかかって、湯気に甘い匂いが乗っている。
私は目を見張った。
「これは」
「お前は、月林檎の星蜜焼きが好きだろう」
「前にも、小竜で届けてくださいましたね」
「あれは、焼きたてではなかった。熱を出した日は、焼きたてがいいと、イレーネに聞いた」
「いつ、お聞きになったのですか」
「昨夜だ。お前が眠っている間に」
一晩中、廊下に立っていて、あの侍女に聞き出していたらしい。氷の大公が。
匙で月林檎をすくって、口もとに運ばれた。
「自分で食べられます」
「だめだ。熱が下がるまで、私がやる」
「殿下」
「病人には、こうして食べさせるものだと、イレーネが言っていた」
真顔で言うので、私は顔が熱くなった。
皿の縁に、小さな氷の花がひとつ、添えてあった。熱い皿が冷めないよう、でも指を焼かないよう、この人が指先で咲かせたものらしい。
一口食べる。甘い。月林檎の甘酸っぱさと、星蜜と、花の香り。
「おいしい」
「そうか」
シルヴェスターの口の端が、ほんの少しだけ動いた。氷の大公が、私の前でだけ、解ける。
「昨夜のことを、謝る」
「殿下は何も」
「あの舞踏会に、お前を行かせるべきではなかった。罠だと知っていて、止められなかった。契約の相手を守ると言ったのに」
「私が、行くと決めたのです。何が起きるか、見届けたかったので」
シルヴェスターは、しばらく黙っていた。
「アマリア」
「はい」
「お前を助けたのは、契約のためではない」
匙を持つ手が止まる。
窓の外で、鳥が鳴いた。部屋の中が、急に静かになる。
氷の大公の耳の先が、わずかに赤いのを、私は見てしまった。
「契約書には、『妻を害する者は斬る』とだけ書いた。そこに理由は書いていない。だから今、言っておく」
「理由、ですか」
「お前が、無事でいてほしかった。それだけだ」
言いきって、シルヴェスターは立ち上がった。
契約のはずなのに。そう思うのに、胸の奥が、うるさい。
「寝ていろ。何かあれば、すぐに呼べ」
扉の前で、足を止める。
「ああ、客が来ている。ブランシュ・デュヴァリエだ。話があるそうだ。体調が悪ければ、断ってよい」
「お会いします」
「無理はするな」
「無理ではありません。手を組むという言葉を、聞き逃したくありませんので」
シルヴェスターは小さく息を吐き、私の背に枕を押しこんでから、部屋を出ていった。
私は半身を起こした。鏡を見て、髪だけ整える。頬がまだ熱いのは、薬のせいではないことにしておく。
ほどなく、赤毛の竜騎士が入ってきた。外の廊下で、シルヴェスターが誰かに「五分だ」と告げる声がした。見張りを置いたらしい。昨夜と同じ革の鎧。腰の剣。そして、礼儀正しい、さっぱりした顔。
「お加減はいかがですか、王弟妃殿下」
「まだ王弟妃ではありませんわ。昨夜は、助けていただきました」
「当然のことをしたまで。本題は別です」
ブランシュは寝台の足もとに立ち、背筋を伸ばした。
「私は、近く、王命で第四王子殿下に嫁ぐことになるかもしれません」
部屋の空気が止まる。
「ルドヴィク殿下に、あなたが」
「祖父の将軍も、陛下も、そして王弟殿下も、そのおつもりです。竜騎士団を、あの方の手に渡さないために。そして、あの方が何をするか、そばで見張るために」
ブランシュの目は、まっすぐだった。
「王弟妃殿下。私は、嫁ぐ前に、あなたと手を組みたい」




