64
地下神殿に、静かな時間が流れていた。
どれくらい経ったのかはわからない。
ここには朝も夜もない。
ただ黒い静寂だけが続いている。
レイは結局、その地下神殿へ順応してしまった。
順応してはいけない場所なのに。
「のだぁ〜〜〜」
黒い石床へ寝転がりながら、巨大な王墓守へ手を振っていた。
最初は兵士たちを恐怖で失禁させそうな異形だったそれも、今では。
「お主、今日も臭いのだぁ」
くらいの扱いだった。
王墓守は黙っている。
というより、レイが怖くてあまり近寄らなくなっていた。
世界最強だから。
そして。
イリシアは、その光景を静かに見ていた。
白い髪。
白い光。
二千年以上変わらなかった姿。
最初は憎んでいた。
いや。
今でも憎んでいる。
自分を売った近衛兵。
逃げた男。
自分だけ死んで、忘れて、生まれ変わった存在。
なのに。
「のだっ♡」
レイは笑う。
昔と同じ顔で。
同じ声で。
同じように。
くだらないことばかり言いながら。
「殿下ぁ!」
巨大な黒パンを抱えながらレイが近づいてくる。
「今日のご飯ちょっと硬いのだぁ!」
「……そう」
「でも食べるのだぁ!」
どやぁ。
イリシアは少し目を細める。
変わらない。
本当に。
アルトは昔からこうだった。
剣だけ異常に強くて。
頭は悪くて。
調子が良くて。
なのに。
妙に人懐こかった。
だから。
王宮の侍女たちも、兵士たちも、結局嫌いになれなかった。
イリシアも。
本当は。
「のだぁ?」
レイがきょとんとする。
「殿下、また難しい顔してるのだぁ?」
イリシアは答えない。
ただ。
静かにレイを見ていた。
二千年。
二千年以上。
彼女は復讐だけで生きてきた。
それしか残っていなかった。
だから探した。
裏切り者を。
逃げた近衛兵を。
そして。
ようやく見つけた。
なのに。
気づいてしまった。
もし。
今ここでレイが死ねば。
本当に何も残らない。
また。
自分だけになる。
静かな地下神殿。
冷たい棺。
終わらない孤独。
それを想像した瞬間。
イリシアは初めて理解した。
自分は。
もう復讐だけでは生きられないのだと。
「…………」
レイは今日も呑気だった。
巨大な石柱へ寄りかかりながら肉を齧っている。
「のだぁ〜〜〜♡」
幸せそうだった。
最近は地下神殿生活に完全適応している。
恐ろしい適応能力だった。
その時。
イリシアが静かに近づく。
「のだぁ?」
レイが振り向く。
白い光。
長い髪。
静かな顔。
イリシアはしばらくレイを見ていた。
そして。
小さく呟く。
「……もう疲れた」
「のだぁ?」
「二千年」
静かな声。
「長すぎた」
レイはぽかんとしていた。
だが。
イリシアの目を見て、少しだけ表情を変える。
「殿下ぁ?」
イリシアはゆっくり手を伸ばした。
白い指。
冷たい魔力。
地下神殿全体が静かに震え始める。
棺。
黒い水面。
古代文字。
全部が淡く光る。
「のだぁ?」
レイの耳がぴくっと動く。
「なんか眠いのだぁ?」
イリシアは頷いた。
「眠って」
「のだぁ?」
「もういい」
レイは数秒考えた。
そして。
「……ご飯はぁ?」
最後までそれだった。
イリシアは初めて少しだけ笑った。
本当に少しだけ。
二千年ぶりに。
「起きたら作る」
「のだっ♡」
レイは安心した。
単純だった。
そのまま。
ふらりとイリシアへ寄りかかる。
「のだぁ……」
瞼が重い。
意識が沈む。
「殿下ぁ……」
小さい声。
「今度はぁ……」
眠りへ落ちながら。
「裏切らない方がお得なのだぁ……」
イリシアの目が静かに閉じる。
「……馬鹿」
涙なのか。
笑いなのか。
彼女自身にもわからなかった。
レイの体から力が抜ける。
世界最強の獣人は、そのまま静かに眠った。
イリシアはその体を抱き寄せる。
冷たい地下神殿。
黒い静寂。
だが。
今だけは少し暖かかった。
「……もういい」
ぽつり。
「もう、一人は嫌」
そして。
白い魔法陣が広がる。
地下神殿全体が、ゆっくり眠り始める。
王墓守たちも。
黒い湖も。
古代の怨念も。
全部。
静かな眠りへ沈んでいく。
最後に。
イリシアはレイの肩へ額を寄せた。
二千年ぶりだった。
誰かへ寄りかかったのは。
「おやすみ」
その声だけが。
静かな地下神殿へ、いつまでも残っていた。




