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地下神殿は静かだった。
静かすぎた。
二千年以上閉ざされた場所特有の、死んだみたいな沈黙。
風もない。
虫もいない。
ただ。
遠くで時々、“何か”が動く音だけがする。
ずるり。
がり。
王墓守たちだった。
昔の兵士。
死に損なった何か。
だが。
今のレイは、それより別の問題を考えていた。
「のだぁ……」
イリシアへ抱きついたまま、真顔になっている。
イリシアは微動だにしない。
最初こそ突き飛ばそうとした。
だが。
レイの腕力がおかしい。
普通に離れない。
しかも。
妙に暖かい。
そのせいで。
二千年間冷え切っていた感覚が狂う。
「……離して」
「のだぁ?」
レイは首を傾げた。
「嫌なのだぁ」
即答だった。
「殿下冷たいのだぁ。抱っこしてないと凍っちゃうのだぁ」
「私は凍らない」
「吾輩は凍るのだぁ」
完全に自己都合だった。
イリシアは目を閉じた。
頭が痛い。
二千年ぶりに再会した裏切り者が。
現在。
巨大な獣みたいに抱きついて離れない。
しかも。
微妙に甘えている。
意味がわからなかった。
一方。
レイはかなり冷静だった。
冷静というか。
諦めていた。
「のだぁ」
ぽつり。
「どうせここから出してくれないのだぁ?」
イリシアは答えない。
だが。
否定もしない。
レイはしばらく考えた。
そして。
「うむ!」
どやぁ。
「ならここで暮らすしかないのだぁ!」
結論が早かった。
イリシアのこめかみがぴくっと動く。
「……お前」
「のだっ♡」
「順応が早すぎる」
レイは真顔だった。
「獣人族は環境適応能力が高いのだぁ!」
多分違う。
ただの脳筋である。
そして。
数秒後。
レイの耳がぴくっと動いた。
「…………」
沈黙。
「……のだぁ?」
イリシアが嫌な予感を覚える。
「そういえば」
レイは真顔だった。
「ご飯あるのだぁ?」
静寂。
地下神殿の空気が止まる。
「吾輩、餓死しちゃうのだぁ」
切実だった。
世界最強。
古代呪術。
王墓。
全部より。
今一番大事なのはそこらしい。
イリシアはしばらく無言だった。
そして。
「……人間は食事が必要なのね」
「必要なのだぁ!」
レイは即答した。
「吾輩いっぱい食べるのだぁ!」
どやぁ。
「獣人族だからなのだぁ!」
イリシアは静かにレイを見る。
昔もそうだった。
近衛兵アルトは。
とにかく食べていた。
厨房へ忍び込み。
王女用菓子まで食い。
しかも怒られても笑っていた。
『成長期なのだっ♡』
と言い張って。
「……変わらない」
ぽつり。
その声には疲労が混じっていた。
レイは気づいていない。
「のだぁ?」
「昔から、お前は何も変わらない」
「うむ!」
レイは嬉しそうだった。
「安定感があるのだぁ!」
イリシアは目を覆いたくなった。
だが。
少しだけ。
本当に少しだけ。
二千年前を思い出していた。
雪の日。
白い庭園。
馬鹿みたいに騒がしい近衛兵。
あの頃。
まだ国が滅びる前。
「……ついてきて」
イリシアは静かに言った。
「のだっ♡」
レイは即反応する。
「ご飯なのだぁ!?」
「……ある」
「うおおおお!!」
地下神殿へレイの歓声が響く。
棺の奥で王墓守たちがざわつく。
イリシアは無言で歩き始めた。
レイは当然のように後ろをついてくる。
しかも。
まだ片手でイリシアの袖を掴んでいる。
「離して」
「嫌なのだぁ」
「…………」
奥へ進む。
神殿内部は広かった。
無数の回廊。
地下水路。
古代文字。
時々。
壁の向こうから呻き声みたいなものも聞こえる。
普通の人間なら狂っている。
だが。
レイは途中から別のことを考えていた。
「のだぁ?」
「何」
「殿下ってぇ」
真顔。
「二千年お風呂入ってないのだぁ?」
空気が止まる。
イリシアの足も止まる。
「…………」
「でもいい匂いなのだぁ」
数秒。
完全な沈黙。
次の瞬間。
地下神殿全体へ、凄まじい冷気が吹き荒れた。
「出ていけ」
「のだぁぁぁ!?」
レイが凍りかける。
尻尾ぶわぁん!!
「寒いのだぁ!!」
イリシアは本気で怒っていた。
だが。
その怒りの奥で。
二千年ぶりに、“誰かへ呆れる”という感覚が少し戻っていることへ、彼女自身まだ気づいていなかった。




