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白い指が、レイの額へ触れた瞬間だった。
世界が崩れた。
「――っ」
レイの視界が真っ白になる。
次の瞬間。
知らない空が見えた。
青い。
今よりずっと青い。
巨大な白亜宮殿。
金の塔。
旗。
そして。
泣き声。
『嫌……っ』
少女の声。
白髪の少女が逃げている。
幼い。
まだ子供だ。
裸足で雪の庭園を走っている。
『捕まえろ!!』
『第四王女だ!!』
兵士たちの怒号。
そして。
その時。
『のだっ♡』
突然、知らない男が現れた。
銀髪。
長身。
馬鹿みたいに軽い笑顔。
『王女さまぁ!こっちですのだっ♡』
近衛兵。
若い。
だが。
現在のレイと恐ろしいほど同じ顔だった。
「のだぁぁ!?」
レイが絶叫する。
頭が割れそうだった。
だが記憶は止まらない。
どんどん流れ込んでくる。
近衛兵アルト。
調子がいい。
女好き。
口が軽い。
剣だけ異常に強い。
そして。
王女イリシアへ妙に懐いている。
『王女さまは綺麗なのだぁ!』
『この国で一番なのだっ♡』
尻尾でも振りそうな勢いで笑っている。
今と大差なかった。
だが。
映像が変わる。
暗い部屋。
重臣たち。
狂王エルディオン。
王冠を被った男の目は完全に壊れていた。
『神を繋ぎ止める』
『永遠の王国を』
『死なぬ王権を』
狂気。
そして。
儀式。
生贄。
魔法を持つ女たち。
逃げられない。
イリシアは理解してしまう。
自分も選ばれたのだと。
魔法持ちだったから。
だから。
王女ですら。
逃げられなかった。
『助けて』
小さい声。
『アルト』
近衛兵アルトは困った顔をしていた。
『困ったのだぁ……』
その顔。
現在のレイそのものだった。
だが。
その後。
アルトは笑った。
『あーはっはっは!!』
軽い声。
『言っちゃったのだっ♡』
そして。
王へ王女の隠れ場所を教えた。
静寂。
「――っ!!」
レイの喉から変な声が漏れる。
さらに。
記憶が流れ込む。
地下神殿。
拘束。
白い髪。
魔法陣。
女たちの悲鳴。
肉が裂ける音。
骨。
血。
そして。
永遠みたいな苦痛。
『やめて』
『いや』
『死なせて』
終わらない。
終わらない。
終わらない。
二千年以上。
イリシアは死ねなかった。
王国は滅びた。
人が消えた。
言葉が変わった。
文明が滅びた。
それでも。
地下で生き残ってしまった。
孤独。
静寂。
王墓。
死臭。
ずっと一人。
「のだぁあああああ!!!」
レイが頭を抱えて絶叫する。
地下神殿が揺れる。
棺の奥で何かが動く。
だが。
イリシアは動かなかった。
白い瞳で、ただレイを見下ろしている。
そして。
レイの目が変わった。
「……のだっ♡」
突然。
レイが膝をつく。
ぴしっと。
完璧な動作だった。
現代のレイではない。
古代近衛兵アルトの動き。
「王女さまぁ!」
顔を上げる。
満面の笑み。
「アルトですのだっ♡」
その瞬間だった。
地下神殿の温度が一気に下がる。
イリシアの目が見開かれる。
そして。
次の瞬間。
凄まじい憎悪が噴き上がった。
「……っ」
白い髪が浮く。
空気が凍る。
床へ霜が走る。
兵士たちなら即死していた。
だが。
レイは気づいていない。
「のだぁ〜〜〜♡」
完全に記憶へ引っ張られていた。
『王女さま怒ってるのだぁ!?』
『ごめんなさいなのだっ♡』
調子が軽い。
しかも。
妙に懐っこい。
イリシアの肩が震える。
「……変わってない」
低い声。
「何も」
レイはきょとんとしていた。
「のだぁ?」
だが。
イリシアには許せなかった。
二千年。
二千年以上。
苦痛と孤独の中で、自分だけが止まっていた。
なのに。
こいつは。
忘れている。
しかも。
笑っている。
「……お前は」
声が震える。
「私を売った」
「のだぁ?」
「私を見捨てた」
「のだぁ……?」
レイは混乱していた。
記憶がある。
でも変だ。
自分じゃない感覚もある。
アルトの軽さ。
イリシアへの懐き方。
全部妙に自然なのに、同時に遠い。
「お前だけ」
イリシアの瞳から、静かに涙が落ちる。
「死んで」
「忘れて」
「生まれ変わって」
「笑っている」
地下神殿が軋む。
棺の奥で何かが唸る。
レイは困った顔をした。
そして。
ぽつり。
「……ごめんなさいなのだぁ?」
静寂。
イリシアの顔が歪む。
その謝罪が。
あまりにも軽かったから。
昔と。
全く同じだったから。




