60
落ちた。
そう思った瞬間には、もう森は消えていた。
風の臭いも。
土の感触も。
兵士たちの気配も。
全部。
代わりに。
冷たい石の臭いだけがあった。
「のだぁ?」
レイは暗闇の中で目を瞬かせた。
何も見えない。
完全な闇だった。
しかも静かすぎる。
森なら虫や風の音がある。
だがここには、それすらない。
空気そのものが止まっているみたいだった。
「……暗いのだぁ?」
低い声だけが反響する。
その時。
少し先。
ぼうっと白い光が揺れた。
女だった。
イリシア。
長い白髪が淡く光を纏っている。
そのせいで、暗闇の中でも輪郭だけは見えた。
まるで幽霊だった。
レイは周囲を見回す。
「のだぁ……」
巨大だった。
地下空間。
しかも普通ではない。
柱が異様に太い。
天井も高い。
古代神殿みたいな構造だが、現代建築と明らかに違う。
石の質感すら妙だった。
黒い。
そして。
どこか濡れているみたいに光を吸う。
兵士もいない。
完全に二人きりだった。
「のだぁ!?」
レイはようやく少し焦った。
「ここどこなのだぁ!?」
イリシアは答えない。
静かに歩き始める。
裸足。
白い足だけが石床を滑るように進む。
「ついてきて」
小さい声だった。
レイは数秒迷った。
だが。
他に何も見えない。
なのでついていく。
単純だった。
「のだぁ……」
歩きながら、レイは周囲をきょろきょろ見る。
壁には文字が刻まれていた。
だが読めない。
現代文字ではない。
古すぎる。
しかも。
途中途中、妙な彫刻がある。
王冠。
鎖。
巨大な円。
そして。
人間が跪いている絵。
「のだぁ?」
レイは首を傾げる。
「なんか怖いのだぁ」
イリシアは少しだけ振り返った。
「ここは王墓」
「のだぁ?」
「アストラディア王家地下神殿」
静かな声。
「私の国の死体が眠る場所」
空気がさらに冷える。
レイはぽかんとしていた。
死体。
地下。
神殿。
つまり。
かなり怖い場所なのでは?
「のだぁ……」
尻尾しなしな。
その時。
奥の闇で何かが動いた。
ずるり。
レイが即振り向く。
「のだっ!?」
暗闇の向こう。
何か巨大なものがいる。
気配だけでわかる。
兵士なら卒倒するレベルだった。
だが。
イリシアは気にせず歩く。
「見ないで」
「のだぁ?」
「まだ動くから」
レイは完全に意味がわからなかった。
そして。
次の瞬間。
闇の奥で、複数の光が開く。
目だった。
巨大な何かの目。
しかも一つではない。
十。
二十。
暗闇の中でゆっくり動く。
「のだぁぁぁ!?」
レイの耳が逆立つ。
「なんかいるのだぁ!?」
「いる」
イリシアは平然としていた。
「王墓守」
「のだぁ?」
「昔の兵士」
静かな声。
「まだ死んでないだけ」
レイは固まった。
意味がわからない。
だが。
臭いだけはわかる。
死臭。
しかも二千年級。
「のだぁぁ……」
レイはかなり嫌そうな顔になった。
「お風呂入った方がいいのだぁ……」
イリシアの足が止まる。
数秒。
沈黙。
「……変わらないのね」
「のだぁ?」
「昔からそうだった」
レイは困惑していた。
本当に覚えていない。
だが。
イリシアは時々、妙に懐かしそうな顔をする。
それが余計怖かった。
やがて。
二人は巨大な空間へ出た。
そこだけ少し広い。
円形。
天井は見えない。
中央には黒い水面みたいなものが広がっていた。
湖。
いや。
違う。
水ではない。
暗闇そのものが液体化しているみたいだった。
その周囲へ、無数の棺が並んでいる。
全部王族用らしい。
金装飾。
白石。
だが。
どれも壊れていた。
「のだぁ……」
レイは珍しく静かだった。
怖いのである。
空気が。
臭いが。
普通じゃない。
その時。
イリシアがゆっくり振り返る。
白い光が揺れる。
その顔は美しかった。
だが。
人間の顔ではなかった。
二千年以上孤独だったものの顔だった。
「ここなら」
ぽつり。
「誰にも邪魔されない」
レイの尻尾がしなしなになる。
「のだぁ?」
イリシアは静かに近づく。
白い指がレイの頬へ触れる。
冷たい。
氷みたいだった。
「逃がさない」
その声だけは。
妙に優しかった。




