58 イリシア編
クレープ平原から王都へ戻る街道は、途中から深い森林地帯へ入る。
古い森だった。
針葉樹が空を覆い、昼間でも薄暗い。
湿った土の臭い。
苔。
古木。
人間は昔から、この森をあまり好まなかった。
理由は単純。
何かいる気がするからである。
実際、魔物も多い。
だから普通の旅人は街道を外れない。
だが。
「のだぁ〜〜〜♪」
銀髪の巨大男は普通に森の中を歩いていた。
レイである。
なお。
片手に巨大猪魔物をぶら下げていた。
さっき倒した。
お腹空いたから。
以上。
「うむ!」
どやぁ。
「今日はいっぱい狩ったのだぁ!」
実際かなり狩っていた。
クレープ平原から戻る途中だけで、大型魔物を十数体処理している。
護衛兵たちは完全に感覚が壊れていた。
「……あれ普通に災害級だったよな」
「レイ様基準だと雑魚なんだろ」
「怖ぇ」
一方。
レイは上機嫌だった。
理由。
仕事終わった。
肉ある。
褒められた。
つまり最高。
その時だった。
森の奥。
何か妙な臭いがした。
「のだぁ?」
レイの耳がぴくっと動く。
足も止まる。
兵士たちが緊張した。
「どうしました?」
「……いるのだぁ」
静かな声だった。
いつもの間抜けな調子じゃない。
その瞬間。
周囲の空気が変わる。
森が静かすぎる。
鳥の声がない。
風も弱い。
まるで何かを避けているみたいだった。
レイはゆっくり森の奥を見る。
そして。
「…………」
数秒、黙った。
兵士たちもつられて視線を向ける。
そこで。
彼らも見た。
白。
森の奥。
古木の間に、人影が立っていた。
女だった。
若い。
異様なほど整った顔立ち。
白い肌。
細い体。
そして。
長い白髪。
空気が止まる。
兵士たちの背筋へ冷たいものが走った。
白髪。
この国では普通、老人しかそんな色にならない。
若い女で白髪など、まず存在しない。
しかも。
異様に綺麗だった。
まるで雪そのものが人間になったみたいに。
「……なんだあれ」
兵士の声が震える。
女は無言だった。
ただこちらを見ている。
感情が薄い。
目だけが妙に冷たい。
その時だった。
ふわり。
女の周囲で光が揺れた。
空気が歪む。
そして。
森の枝へ積もった霜が、一瞬で広がった。
兵士たちが凍りつく。
「魔法……!?」
誰かが悲鳴みたいに言った。
あり得ない。
この世界で“本物の魔法”は極めて希少だった。
伝承にはある。
だが現実にはほぼ存在しない。
特殊な呪具。
儀式。
薬。
そういうものはある。
だが。
今のは違う。
女はただ立っていただけだ。
それだけで空気が凍った。
「…………」
兵士たちがじりっと後退る。
本能的にわかる。
危険だ。
魔物より意味がわからない。
一方。
レイは。
「のだぁ?」
首を傾げていた。
そして。
数秒。
真顔で女を見つめる。
「……寒そうなのだぁ」
兵士たちが固まる。
そこなのか。
レイは普通に猪魔物を持ち上げた。
「食べるのだぁ?」
女は無言。
だが。
その目がわずかに揺れた。
レイはさらに近づく。
「危険です!!」
兵士が止めようとする。
だがレイは気にしない。
「のだぁ?」
普通に女の前まで行った。
近くで見ると、さらに異様だった。
白髪が長すぎる。
地面につきそうなくらい。
しかも。
臭いが薄い。
人間なのに。
森の冷気へ溶けているみたいだった。
「…………」
女は無言でレイを見る。
その視線は妙に静かだった。
普通の人間なら、世界最強の獣人を前にすれば怯える。
だが。
この女は違う。
怖がっていない。
だから余計不気味だった。
「のだぁ」
レイは猪肉を差し出す。
「食うのだぁ」
沈黙。
やがて。
女はゆっくり肉を見る。
白い指。
細い。
その指先へ、霜が薄く張っていた。
兵士たちは完全に緊張していた。
魔法使い。
しかも白髪。
そんな存在、王都の学者でも滅多に見たことがない。
伝説級だ。
下手すれば国家案件だった。
一方。
レイは。
「のだっ♡」
なぜかちょっと嬉しそうだった。
理由。
美人だから。
単純だった。
「美女なのだぁ」
兵士たちは頭を抱えた。
この状況でそこなのか。
だが。
女は初めて少しだけ反応した。
ほんの僅か。
目を細めたのである。
笑ったのか。
それとも呆れたのか。
兵士たちにはわからなかった。
ただ。
森の空気だけが、少しだけ柔らかくなっていた。




