50 屋敷にて
王都キャビアへ戻ってきた日の夜。
白銀の獣英雄レイの屋敷は、妙な緊張感に包まれていた。
「急げ!!」
「レイ様帰還後三回目の夜食要求だ!!」
「肉切らすな!!」
「甘いパン追加!!」
使用人たちは半ば戦場だった。
理由は単純。
主人の機嫌が悪い。
しかも今回はかなり珍しいタイプの悪さだった。
レイは普段、単純である。
肉食えば治る。
褒めれば機嫌良くなる。
尻尾触れば溶ける。
大体それで終わる。
だが今回は違った。
西部街道で見た“あれ”。
あの黒い影。
飢えと怨みの臭い。
レイは未だに引きずっていた。
しかも本人、感情整理が下手である。
だから。
「のだぁああああ!?夜食まだのだぁあああ!?」
完全にグレていた。
二階寝室。
巨大ベッドの上で、銀髪の大男が毛布にくるまりながら暴れている。
尻尾ばたんばたん。
完全に大型猫だった。
「今お持ちします!!」
侍女たちが慌てて走る。
「遅いのだぁ!!」
どんっ!!
ベッド揺れる。
花瓶落下。
「また割れたぁぁ!!」
使用人たちはもう慣れていた。
レイは精神的に疲れると食べる。
そして甘える。
獣人族だから。
以上。
数分後。
大量の料理が運び込まれる。
肉。
スープ。
パン。
蜂蜜。
完全に深夜量ではない。
「のだぁ……」
レイはベッドの上でしなしなになりながら匂いを嗅いだ。
そして。
「のだっ♡」
ちょっと復活。
単純だった。
「美味しそうなのだぁ……」
使用人たちは内心ほっとする。
最近のレイは少し危なかった。
無言になる。
食べ続ける。
ぼーっとする。
世界最強なのに妙に元気がない。
だから。
皆かなり心配していた。
「レイ様、お肉切りますね」
「のだぁ」
侍女が肉を取り分ける。
レイは毛布に包まったままもぐもぐ食べ始めた。
完全に甘やかされモードだった。
「もっと塩なのだぁ」
「はい」
「甘いパンもぉ」
「こちらに」
「のだっ♡」
尻尾ぶわん。
やっと少し機嫌が戻る。
古参執事は静かにその様子を見ていた。
「……かなり疲れておられるな」
「西部視察ですよね」
「ええ」
若い使用人が小声で聞く。
「そんなに酷かったんですか?」
古参執事は少し黙った。
そして低く言う。
「レイ様は“臭い”で色々わかる」
「臭い?」
「普通の人間より、ずっと」
若い使用人たちは静かになった。
彼らも噂は聞いている。
黒い影。
滅んだ村。
怨霊。
王都では半分怪談扱いだ。
だが。
レイだけは、その臭いを真正面から嗅いでしまった。
「……だから食べてるんですか」
「おそらく」
その頃。
「のだぁ〜〜〜……」
レイはスープを飲みながらぼんやりしていた。
暖かい。
甘い匂い。
安全。
屋敷の寝室は静かだった。
だから余計に。
西部街道の冷たさを思い出してしまう。
「のだぁ……」
レイは毛布へ潜り込んだ。
「嫌だったのだぁ」
ぽつり。
侍女たちは顔を見合わせる。
レイが弱音を吐くのは珍しい。
「寒い臭いだったのだぁ」
また小さい声。
「いっぱいお腹空いてたのだぁ」
静かな部屋。
レイは目を伏せたまま続ける。
「なのにぃ」
尻尾しなしな。
「王子ずっと難しい顔してたのだぁ」
そこだった。
レイには政治がわからない。
階級も。
国家運営も。
だから。
単純に混乱していた。
なんで怖がってるのに帰らないのか。
なんで助けないのか。
なんで地方の人間はあんな臭いになったのか。
全部よくわからない。
わからないから余計気持ち悪い。
「のだぁ……」
レイはまた肉を食べた。
そして。
「吾輩、嫌なのだぁ」
ぽつり。
「お腹空いて死ぬ臭い、嫌なのだぁ」
使用人たちは誰も何も言えなかった。
王都の使用人も、地方出身者は多い。
だから知っている。
この国には、本当にそういう場所がある。
その時。
若い侍女が恐る恐る聞いた。
「レイ様、今日はもうお休みになりますか?」
「のだぁ?」
レイは数秒考えた。
そして。
「……静かに去る練習するのだぁ」
使用人たちが固まる。
「え?」
「今から?」
「のだぁ!」
レイは突然復活した。
ばっ!!
毛布を跳ね飛ばす。
「強者は落ち込んでも静かに去るのだぁ!!」
どやぁ。
数秒前までしなしなだったとは思えない。
使用人たちは顔を見合わせた。
そして。
ちょっと安心した。
この変な獣人は。
多分まだ大丈夫だと。




