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西部地方最大の領主館、ラザニア侯爵邸では、その夜、晩餐会どころではなかった。
広間の暖炉は燃えている。
高級酒も並んでいる。
だが。
誰一人として料理へ手をつけていない。
「……誰だ」
低い声だった。
ラザニア侯爵は酒杯を握り潰しそうな勢いで震えていた。
「誰が流した」
机の上には数枚の新聞。
そこへ大きく書かれている。
『第一王子、西部地方税の再検討へ』
『地方負担軽減か』
『徴税制度改革の可能性』
全部まだ“噂”段階だった。
だが。
地方貴族にとっては十分すぎる爆弾だった。
「ふざけるな……!」
別の地主が怒鳴る。
「今さら減税だと!?」
「地方経営を何だと思っている!」
「王都の連中は現実を知らん!」
怒声。
ワイン。
机。
罵声。
空気は最悪だった。
理由は単純。
西部地方は既に限界だからである。
地主たちは豪遊している。
それは事実だった。
だが同時に。
彼らもまた、“維持費”へ縛られていた。
私兵。
街道。
役人。
中央への献金。
全部金が要る。
しかも。
地方が貧しいほど、逆に搾り取るしかなくなる。
だから地主たちは恐れていた。
減税。
その言葉を。
「減税などしたら領地が崩壊する!」
「農民どもへ甘い顔をすれば際限なく要求するぞ!」
「地方民は恩を忘れる!」
怒号が飛び交う。
彼らには彼らの現実がある。
地方統治は綺麗事では回らない。
飢えた民は盗賊になる。
徴税が弱れば私兵維持もできない。
そして。
私兵が弱れば魔物で終わる。
だから。
地方貴族たちは“恐怖”でも統治する。
それが当然になっていた。
「……しかもだ」
ラザニア侯爵の顔がさらに険しくなる。
「護衛にあの獣人がついている」
空気が静まった。
白銀の獣英雄。
その名は、今や地方貴族たちにとって頭痛の種だった。
「兵士どもが完全に脳を焼かれている」
「農民人気まで異常だ」
「セルニカの件もある」
忌々しそうな声。
セルニカ村。
あそこでは既に、
『英雄が来れば助かる』
という空気が広がり始めていた。
それが危険だった。
中央ではなく。
“個人”へ期待が向く。
国家統治としては極めて危険な兆候である。
「最悪なのは」
老地主が低く言った。
「あの獣人、自分で人気を集めてる自覚が薄い」
静寂。
全員理解していた。
もしレイが政治家なら楽だった。
金で釣れる。
女で潰せる。
汚職を握れる。
だが。
レイは違う。
肉。
褒め言葉。
赤ん坊。
大体それで満足する。
なのに。
結果だけは人心を掴む。
「……化け物め」
誰かが吐き捨てた。
その時だった。
扉が開く。
使用人が青い顔で入ってくる。
「ほ、報告です……!」
「何だ」
「第一王子一行、街道で怨霊災害に遭遇した模様」
空気が止まる。
「……は?」
「現在こちらへ向かっていますが、護衛隊にかなり動揺が……」
地主たちは顔を見合わせた。
西部地方では最近、“黒い影”の噂が増えていた。
滅んだ村。
飢え死に。
徴兵。
見捨てられた集落。
そういう場所から妙な怪異が出る。
古い土地では珍しくない話だった。
だが。
今回問題なのはそこではない。
「王子がそれを見たのか」
「はい」
沈黙。
そして。
ラザニア侯爵はゆっくり椅子へ座り直した。
「……最悪だな」
「ええ」
「地方視察の空気ではなくなる」
その通りだった。
本来今回の視察は。
“地方懐柔”。
王族が顔を見せ、
兵士を慰問し、
税を多少緩める振りをし、
地方不満を抑える。
そういう政治劇だった。
だが。
怨霊災害が出た。
しかも。
その原因が“見捨てられた地方民の怨み”と噂されれば。
空気は変わる。
貴族たちは理解していた。
今の西部地方は。
かなり危うい。
飢え。
税。
疲弊。
全部が積もっている。
そこへ。
英雄レイ。
怨霊。
減税噂。
全部重なった。
「……王都の連中は」
ラザニア侯爵は窓の外を見ながら低く呟く。
「地方を舐めすぎだ」
その声には怒りだけでなく。
ほんの少しだけ。
恐怖も混じっていた。




