41 ヴェルシナ地方
ヴェルシナ地方へ続く山道には、まだ雪が残っていた。
春になったとはいえ、北東辺境の空気は冷たい。
針葉樹林の間を風が抜け、遠くで獣の鳴き声が響いている。
そんな山道を。
「のだぁあああ!!」
巨大な銀髪男が歩いていた。
レイである。
しかも。
背負っている量がおかしい。
山岳熊。
黒角狼。
巨大岩蜥蜴。
全部まとめて縄で縛っている。
普通なら討伐隊規模。
だがレイは。
「重いのだぁ〜〜〜」
くらいの感覚だった。
なお本人はかなり機嫌が良い。
理由は単純。
ヴェルシナ地方へ行くから。
「のだっ♡」
尻尾ぶわん。
「赤ちゃんいっぱいなのだぁ!」
完全に大型獣だった。
そして。
実際、ヴェルシナ地方は少し変わっていた。
一年前。
この地域はかなり危なかった。
戦争で若い男が減り。
魔物被害が増え。
物流も細い。
冬越えが厳しい集落も多かった。
だが。
最近は違う。
理由は極めて単純。
レイが定期的に来るから。
大量の魔物を狩り。
街道を掃除し。
時々物流護衛までしていく。
その結果。
食料事情がかなり改善した。
しかも大型魔物が減ったので、周辺狩猟も安全になった。
村人たちは薄々理解していた。
これはもう半分災害対策である。
そして。
当の本人は。
全くそんな大層なことを考えていない。
ただ。
獣人族の本能だった。
自分のメス。
赤ん坊。
なら餌を持っていく。
それだけ。
「のだぁ〜〜〜♪」
レイは上機嫌で谷を越える。
やがて。
ヴェルシナ地方の村が見えてきた。
煙。
家畜。
木造家屋。
そして。
「レイ様だぁぁ!!」
見張りの子供が叫んだ。
次の瞬間。
村中が騒がしくなる。
「帰ってきた!!」
「また魔物持ってる!!」
「早すぎるだろ!!」
女たちが家から飛び出してくる。
しかも。
全員赤ん坊付きだった。
「のだぁああ!!」
レイは満面の笑みだった。
どさぁぁぁん!!
巨大な獲物の山を広場へ投げる。
「獲物持ってきたのだぁ!」
尻尾ぶわぁん!!
雪が舞う。
女たちはもう慣れていた。
「またこんなに……」
「山岳熊まである……」
「岩蜥蜴も……」
「レイ様働きすぎ……」
一方。
レイは赤ん坊たちを見ていた。
「のだっ♡」
耳ぴくぴく。
完全に嬉しそう。
まだ皆、生まれて数ヶ月。
小さい。
ふにゃふにゃ。
だが。
既に妙に獣人感がある。
銀髪。
耳。
尻尾。
そして。
「のだぁ!」
「のだぁ!」
なぜかレイっぽい鳴き声まで出始めていた。
「…………」
レイは真顔になった。
「のだぁ……」
数秒沈黙。
「似てないのだぁ」
「もう諦めろ」
女たちが即答した。
その時。
赤ん坊の一人が、レイを見ながら尻尾をぶんぶん振った。
「のだっ♡」
レイ、即溶ける。
「可愛いのだぁあああ♡」
完全に顔が崩れていた。
周囲の女たちが笑う。
「レイ様ほんと赤ちゃん好きだよね」
「うむ!」
どやぁ。
「小さいの可愛いのだぁ!」
そして。
レイは普通に肉を配り始めた。
「これはこっちなのだぁ」
「脂多いのだぁ」
「赤ちゃんいるならいっぱい食えなのだぁ!」
完全に餌運び獣だった。
しかも本人は超真剣。
女たちも最近は慣れていた。
最初こそ、
『世界最強の英雄』
として緊張していた。
今では。
『定期的に獲物持ってくるでかい獣』
みたいな扱いになりつつある。
「レイ様、ちょっと休めば?」
「のだぁ?」
「また痩せた」
「痩せてないのだぁ!」
レイは真顔だった。
だが。
実際かなり働いている。
王都。
地方。
魔物討伐。
国中飛び回っている。
それなのに。
わざわざヴェルシナ地方へ寄る。
理由。
本能。
獣人族は群れ意識が強い。
だから。
自分のメスと子供を放置すると妙に不安になる。
なお本人は恋愛感情とか家族観をあまり深く理解していない。
完全に本能で動いている。
その時。
ひとりの女が赤ん坊を抱いてレイへ近づいた。
「ほら」
「のだぁ?」
「抱っこしてみる?」
レイが固まる。
「の、のだぁ!?」
周囲がにやにやし始める。
「怖いの?」
「違うのだぁ!」
レイは慌てた。
「吾輩、世界最強なのだぁ!」
どやぁ。
だが。
赤ん坊を渡された瞬間。
「のだぁぁぁ……」
動きが超慎重になった。
ガチガチだった。
巨大獣が小鳥を持ってるみたいになっている。
「落とすなよ」
「わかってるのだぁ!」
レイは真剣だった。
赤ん坊はそんなレイを見ながら。
きゃっきゃ笑っている。
小さな尻尾まで揺れていた。
「…………」
レイはしばらく黙っていた。
そして。
ぽつり。
「のだぁ……」
少しだけ。
本当に少しだけ。
優しい顔になった。
「いっぱい食べて大きくなるのだぁ」
山風が吹く。
ヴェルシナ地方はまだ貧しい。
でも。
一年前より、確かに赤ん坊の泣き声は増えていた。




