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セルニカ村の朝は、妙に騒がしかった。
まだ日も完全には昇っていない。
雪解け水が道を濡らし、冷たい霧が低く漂っている。
それなのに。
村の入口には人が溢れていた。
「押すな!」
「見えるか!?」
「レイ様どこだ!?」
セルニカ村だけではない。
周辺地域の人間まで来ていた。
農民。
行商人。
狩人。
地方兵。
皆、同じ目的だった。
英雄を見るため。
白銀の獣英雄。
王族直属遊撃兵。
山喰らいを倒し。
街道を守り。
雪かきまでして帰る変な英雄。
地方ではもう半分伝説だった。
「本当に来てたんだな……」
「しかも雪かきしてたってマジ?」
「兵士にサイン書いたらしいぞ」
「尻尾で子供吹っ飛ばしたって話も聞いた」
「それは普通に危ないな」
ざわざわ。
皆どこか浮き足立っている。
地方では“英雄”など遠い存在だ。
王都の舞踏会や貴族と同じで、基本的に縁がない。
だからこそ。
こうして実物が来ると、人は集まる。
その頃。
「のだぁ〜〜〜……」
村外れ。
銀髪の大男が荷物をまとめていた。
レイである。
なお荷物の八割は食料だった。
干し肉。
燻製。
塩肉。
完全に冬眠前の獣だった。
「レイ様〜!」
「こっち向いて〜!」
「また来てくれよ〜!」
「のだぁ?」
レイはきょとんとした。
人が多い。
かなり多い。
しかも。
皆、自分を見ている。
「むむっ」
数秒考える。
そして。
「のだっ♡」
理解した。
褒められてる。
尻尾ぶわん。
完全にご機嫌になった。
「そんなに見るななのだっ♡」
なお本人はかなり嬉しい。
その時。
セルニカ村の村長が近づいてきた。
「レイ様」
「のだぁ?」
「本当に助かりました」
深々と頭を下げる。
後ろでは村人たちも静かに頭を下げていた。
レイは少し困った顔になった。
「のだぁ……」
こういう真面目な感謝は、未だにちょっと苦手だった。
「吾輩、そんな大したことしてないのだぁ」
「いや、しただろ」
「山喰らい倒したし」
「物流守ったし」
「雪かきしたし」
「のだぁ……」
レイはちょっとしなしなになった。
褒められ過ぎると弱い。
だが。
その時だった。
周囲の歓声が少し静まる。
レイが珍しく真顔になったからだ。
「のだぁ」
静かな声。
「でもぉ」
皆が耳を傾ける。
「大きな魔物が現れた時だけ吾輩は来るのだぁ」
風が吹く。
セルニカ村は静かだった。
「だからぁ」
レイは少しだけ困った顔をした。
「あんまり良いことではないのだぁ」
その言葉に。
周囲は少し静かになった。
地方民は知っている。
英雄が来る時。
大抵誰か死んでる。
村が壊れてる。
冬が近い。
つまり。
“最悪の後”なのだ。
レイは続けた。
「吾輩、便利じゃないのだぁ」
ぽつり。
「ずっとここにはいられないのだぁ」
セルニカ村の女たちが少し俯く。
子供たちも静かだった。
「だからぁ」
レイは腕組みした。
「いっぱい食べてぇ!」
どやぁ。
「いっぱい隠してぇ!」
村人たちが少し吹き出す。
「いっぱい生き残れなのだぁ!」
それは。
獣人族らしい言葉だった。
難しい理想も。
綺麗な演説もない。
ただ。
生きろ。
それだけ。
その時。
人混みの中から小さな子供が飛び出した。
「レイさまぁぁ!!」
レイが振り向く。
「のだぁ?」
子供は必死だった。
「これ!」
差し出されたのは、下手な絵だった。
銀髪。
大きい尻尾。
そして巨大魔物。
レイの絵だった。
「のだぁ!?」
レイは固まった。
「吾輩なのだぁ!?」
「うん!」
「すごいのだぁ!!」
レイ、超感動。
尻尾ぶわぁん!!
周囲の雪が舞う。
「うわぁぁ!!」
「また始まった!!」
だがレイはもう止まらない。
「吾輩、絵になったのだぁ!!」
完全に嬉し泣き寸前だった。
その姿に。
セルニカ村の人間たちは笑っていた。
強い。
怖い。
世界最強。
なのに。
子供の絵一枚で大喜びする。
本当に変な英雄だった。
やがて。
出発の時間が来る。
「のだぁ〜〜〜」
レイは荷物を背負った。
巨大。
しかもまだ肉入ってる。
「レイ様!」
「また来てくれ!」
「次はもっと酒用意しとく!」
「のだっ♡」
レイは満面の笑みだった。
そして。
少しだけ真面目な顔になる。
「大きな魔物出るななのだぁ」
静かな声。
「吾輩、来ない方が平和なのだぁ」
その言葉だけは。
妙に重かった。
レイは手を振る。
「じゃあのだぁ〜〜〜!!」
銀髪の大男は、朝霧の中を歩いていく。
その背中を。
セルニカ村の人間たちは長い間見送っていた。
誰も言わなかった。
だが皆、心のどこかで思っていた。
――もしまた来るなら。
それはきっと。
何か悪いことが起きた後なのだろう、と。




