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セルニカ村の夜は暗かった。
王都みたいな街灯はない。
酒場も小さい。
灯油は高い。
だから夜になると、人々は静かに家へ閉じこもる。
だが今夜。
村の空気は妙に張り詰めていた。
雪解け泥の残る裏路地を、数人の男たちが無言で歩いている。
背負っているのは麻袋。
重い。
中身は。
魔物肉だった。
「急げ」
「見張りは?」
「大丈夫だ」
小声。
慎重。
セルニカ村の人間たちは貧しい。
だが。
馬鹿ではない。
地主カルツォーネが素材を吸い上げようとしていることなど、最初から理解していた。
だから。
隠す。
当然である。
冬を越えるために。
「こっちだ」
男たちは村外れの古い貯蔵穴へ入っていく。
昔、戦争前に作られた地下保存庫だった。
半分崩れている。
だが。
こういう時には便利だった。
「……これで何日持つ」
「全部合わせても村全体で一ヶ月ちょいだな」
「少ねぇな」
「でもゼロよりマシだ」
女たちもいた。
塩を運び。
肉を吊るし。
脂を分ける。
皆、慣れている。
地方民は隠す技術に長けている。
税。
徴兵。
徴発。
ずっとそうやって生き延びてきたからだ。
「骨も隠しとけ」
「薬師に流せば金になる」
「牙は?」
「半分だけ出す」
「欲張るなよ」
空気は真剣だった。
誰も“全部手に入る”など思っていない。
地方民はそんなに甘くない。
地主は取る。
役人も取る。
兵士も取る。
だから。
最初から“取られる前提”で動く。
その中で、どうやって自分たちの分を残すか。
それが地方の知恵だった。
「レイ様には悪いな……」
若い男がぽつりと言った。
「せっかく狩ってくれたのに」
老人が鼻を鳴らす。
「だから隠すんだろうが」
「……ああ」
その通りだった。
レイは本気で村へ食料を残そうとしていた。
だから。
全部奪われるわけにはいかない。
たとえ少量でも。
生きるためには必要だった。
その時。
地下保存庫の隅で、女たちが小声で話していた。
「……レイ様、また山行ったんだって」
「昼から戻ってないらしい」
「どんだけ狩る気なんだあの人」
苦笑が漏れる。
今やセルニカ村でも、レイは完全に有名だった。
世界最強。
なのに。
雪かきして。
荷車押して。
兵士へサインしてる。
変な英雄。
「正直、最初は怖かったけどね」
「わかる」
「あんなでかい獣人だし」
「でも子供には優しいんだよな」
若い母親が少し笑った。
「うちの子、レイ様の真似して“のだぁ!”って叫んでる」
「やめろ、あれ伝染するぞ」
地下に小さな笑いが広がる。
重たい空気が少しだけ和らいだ。
だが。
すぐ現実へ戻る。
「……それでも」
老人が低い声で言った。
「レイ様一人じゃどうにもならん」
静寂。
誰も反論しない。
レイは強い。
本当に強い。
魔物ならどうにでもする。
でも。
地主は殴れない。
法律。
権力。
税。
そういうものは、魔物みたいに単純じゃない。
「英雄様が村全部養えるわけじゃねぇからな」
「しかもあの人、ずっとここにいられないし」
「王都の人間だしな」
その通りだった。
レイはまた去る。
別の地方へ。
別の魔物退治へ。
この国は広すぎる。
だから。
最後は自分たちで生き残るしかない。
「……冬までにもっと保存庫増やすか」
「木材足りるか?」
「山側の廃屋崩せばなんとか」
「子供らには言うなよ」
「当然だ」
話し合いは続く。
静かに。
現実的に。
誰も夢を見ていない。
地方民は現実を知っている。
英雄は助けてくれる。
だが。
毎日飯を食わせてくれるわけじゃない。
だから。
隠す。
備える。
我慢する。
そうやって冬を越す。
その時だった。
外から子供の声が聞こえた。
「お母さーん!」
地下の空気が止まる。
女が慌てて出ていく。
数秒後。
「……レイ様帰ってきた!」
地下がざわついた。
「もう!?」
「早ぇよ!」
「今度は何狩ってきた!?」
村人たちが顔を見合わせる。
疲れた顔。
痩せた手。
それでも。
少しだけ笑っていた。
外では。
「のだぁあああ!!重いのだぁあああ!!」
いつもの大声が響いていた。
セルニカ村の人間たちは知っている。
この国は厳しい。
地主も変わらない。
貧困も消えない。
だが。
あの変な獣人が来てから。
少なくとも。
“笑う回数”だけは増えたのだった。




