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セルニカ村へ春が来ても、貧しさそのものが消えるわけではなかった。
雪は溶ける。
道は開く。
だが。
腹は減る。
この地方ではそれが全てだった。
だから今日も。
「急げぇ!!」
「脂は分けろ!!」
「骨折るな!!」
村の広場では、大量の魔物解体が行われていた。
山岳熊。
黒角狼。
雪牙猪。
どれも大型。
しかも数が異常だった。
当然である。
全部レイが狩ってきた。
「のだぁ〜〜〜♪」
その原因たる銀髪獣人は、広場端で焼き肉を食べながらごろごろしていた。
上機嫌だった。
理由。
いっぱい感謝されるから。
「レイ様のおかげで助かるよ……!」
「今年は飢えずに済みそうだ……!」
「毛皮だけでも相当な値だぞ」
「のだっ♡」
尻尾ぶわん。
完全に大型犬である。
なお本人。
数日後には王都へ戻らなければならない。
王国直属遊撃兵は忙しい。
だからレイは、滞在中にできるだけ狩っていた。
少しでも食料が残るように。
少しでも村が持つように。
本人はそこまで深く考えていない。
ただ。
お腹空く臭いが嫌だから。
それだけだった。
その時だった。
「待て」
広場へ馬車が入ってくる。
立派な馬。
毛皮外套。
酒臭い声。
村の空気が一瞬で冷えた。
「……地主だ」
「来やがった」
「最悪だ……」
現れたのは、この地域一帯を管理する地主カルツォーネだった。
太っている。
指輪まみれ。
笑顔が脂っこい。
そして。
目だけが冷たい。
「ほぉ」
カルツォーネは広場を見回した。
積み上げられた魔物素材。
大量の肉。
毛皮。
骨。
金の臭いがした。
「随分景気が良いじゃないか」
村人たちは黙っていた。
嫌な予感しかしない。
地主は馬車から降りると、ゆっくり魔物素材へ近づいた。
「なるほどなるほど」
手袋で毛皮を撫でる。
「これは領地管理費として回収せねばな」
広場が静まり返る。
「……は?」
若い村人が声を漏らした。
地主は平然としていた。
「勘違いするな」
笑顔。
「この土地で発生した利益は、当然領主権の管理下だ」
「でもこれはレイ様が――」
「レイ様?」
カルツォーネが鼻で笑った。
「だから何だ?」
村人たちが青ざめる。
「魔物討伐は王国兵士の義務だろう」
静かな声だった。
「ならば素材は領地資源だ」
合理性。
それは確かに存在していた。
地方地主には管理責任がある。
道路維持。
税納。
治安。
建前上は。
だから“領地で発生した利益”を吸い上げる理屈自体は存在する。
問題は。
この地主がほぼ何もしていないことだった。
だが。
セルニカ村の人間たちは反論できない。
逆らえば冬に詰む。
税。
畑。
家。
全部握られている。
「のだぁ?」
その時。
レイが焼き肉を持ったまま近づいてきた。
口の端に肉汁ついてる。
「何してるのだぁ?」
空気が少し張る。
村人たちは期待してしまった。
この獣人なら。
この世界最強なら。
また全部ぶっ飛ばしてくれるんじゃないかと。
だが。
レイは地主を見る。
地主も笑顔を作った。
「これはこれは、英雄殿」
「のだぁ」
「素材管理の相談ですよ」
地主は流れるように言う。
「領地運営には金が必要ですからな」
「のだぁ?」
レイは首を傾げた。
「お金?」
「ええ」
地主は頷く。
「道路整備。兵士維持。税納。地方運営」
全部それっぽい。
実際、一部は本当でもある。
だから。
レイは困った。
「むむっ」
腕組み。
獣人族は政治が苦手だ。
特にこういう“人間の理屈”が絡むと弱い。
「のだぁ……」
レイは少し考えた。
地主には地主の理屈があるのかもしれない。
実際、レイは地方統治を知らない。
オルジェフ地方では臭かった。
だから殴った。
でも今回は。
まだ“臭くない”。
少なくとも。
あの地下牢みたいな臭いはしない。
「のだぁ……」
レイは焼き肉をもぐもぐしながら黙り込んだ。
村人たちは固まっている。
そして。
レイは。
「うむ」
真顔で頷いた。
「難しいのだぁ」
それだけだった。
地主は少しだけ笑みを深くした。
「ご理解感謝しますよ」
村人たちの顔から血の気が引く。
レイはまだ悩んでいた。
「のだぁ……」
焼き肉もぐもぐ。
「人間族、お金いっぱい必要なのだぁ?」
「そういうことです」
「ふむぅ……」
レイは特に何もしなかった。
できなかった。
いや。
判断できなかった。
殴れば簡単だ。
でも。
人間社会は、殴っていい相手と悪い相手の区別が難しい。
それを最近少し理解し始めていた。
だから。
レイは黙った。
その後ろで。
セルニカ村の人々は静かに俯いていた。
誰もレイを責めない。
責められない。
この獣人は十分すぎるほど助けてくれた。
だが同時に。
“英雄だけでは変わらないもの”が、この国には確かに存在していた。




