33 墓参り
春の終わり。
まだ雪の残る山を越えた先に、誰も近づかない古い谷があった。
獣人族の墓所。
今では場所を知っている者すらほとんどいない。
ルミナス王国の地図にも載っていない。
ただ、山奥の崖下に、風化しかけた巨大な石碑群だけが残されていた。
そこは静かだった。
鳥の声も少ない。
風だけが吹いている。
そして今日、その谷に。
「のだぁ……重いのだぁ……」
銀髪の大男が現れた。
レイである。
しかも。
巨大な岩を抱えていた。
普通の人間なら数十人必要なサイズ。
だがレイは。
「うぬぬぬぬ……!」
くらいで運んでいる。
なお本人はかなり頑張っていた。
「のだぁあああ……!」
どすぅぅぅん!!
谷に鈍い音が響いた。
巨大岩が墓所の中央へ置かれる。
周囲の石碑が揺れ、積もっていた雪がぱらぱら落ちた。
「のだぁ……」
レイはその場へへたり込んだ。
汗だく。
尻尾もしなしな。
「疲れたのだぁ……」
かなり本気で疲れていた。
だが。
その顔はどこか満足そうだった。
しばらく風の音だけが流れる。
谷は静かだった。
昔。
ここには獣人族の集落があった。
いっぱい笑って。
いっぱい食べて。
いっぱい喧嘩して。
そして滅んだ。
食べ過ぎ。
酒。
戦争。
病気。
騙され。
崖落ち。
色々だった。
どうしようもない一族だった。
でも。
レイにとっては家族だった。
「のだぁ……」
レイはゆっくり立ち上がった。
巨大岩を見る。
そこには、レイが雑に削った文字が並んでいた。
『いっぱい子供できたのだぁ』
それだけだった。
しかも微妙に曲がっている。
字も下手。
だが。
レイはかなり真剣だった。
「むむっ」
腕組み。
「ちゃんと伝わるのだぁ?」
少し不安そう。
なお墓である。
だが獣人族にとってはこういう雑な報告でいいのだ。
レイは石碑の間をゆっくり歩いた。
古い墓。
巨大な骨。
風化した武器。
酒壺。
獣人族らしい雑な墓ばかりだった。
「のだぁ……」
レイは一つの石碑の前で止まった。
大きい。
爪痕だらけ。
父親の墓だった。
「パパぁ」
静かな声。
「吾輩、いっぱい子供できたのだぁ」
風が吹く。
「たぶん」
小声だった。
「たぶんなのだぁ」
まだ認めきれていない。
だが。
ヴェルシナ地方の銀髪赤ん坊たちを思い出す。
尻尾。
耳。
食欲。
完全に獣人族だった。
「のだぁ……」
レイは少しだけ笑った。
「お主ら、絶対びっくりするのだぁ」
獣人族は滅んだ。
最後の一人だと思っていた。
でも今。
また子供たちが笑っている。
半分人間。
半分獣人。
それでも。
ちゃんと生きている。
「のだぁ」
レイは今度は別の墓へ向かった。
小さい石碑。
母親の墓だった。
「ママぁ」
少しだけ尻尾が揺れる。
「吾輩、お肉いっぱい配ったのだぁ」
静かな声。
「あとぉ……」
少し考える。
「いっぱい褒められたのだぁ」
嬉しそうだった。
「みんな吾輩のこと好きみたいなのだぁ」
少しどや顔。
その時。
強い風が吹いた。
谷の木々が揺れる。
レイは一瞬だけ目を細めた。
獣人族は死者をあまり恐れない。
というより。
“見守ってる”くらいの感覚だった。
「のだぁ?」
レイは周囲を見回す。
「聞いてるのだぁ?」
静寂。
だが。
レイは少しだけ安心した顔になった。
「うむ!」
どやぁ。
「吾輩、ちゃんと頑張ってるのだぁ!」
それは。
誰かに認めてほしい声だった。
世界最強。
王国の英雄。
でも。
この男はずっと、滅んだ一族の最後の子供だった。
だから時々。
こうして報告しに来る。
いっぱい食べたこと。
いっぱい褒められたこと。
いっぱい子供ができたこと。
全部。
誰かに聞いてほしかった。
「のだぁ……」
レイは石碑の前へ座り込んだ。
持ってきた酒壺を開ける。
「今日は特別なのだぁ」
どぼどぼ。
墓へ酒をかける。
「乾杯なのだぁ!」
そして。
自分も飲む。
「ぷはぁ!」
谷へ声が響いた。
「獣人族復活なのだぁ!」
どやぁぁぁん!!
静かな墓所。
風。
空。
そして。
ひとりの獣人の笑い声だけが、山奥へ長く響いていた。




