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ヴェルシナ地方の朝は早い。
まだ空が薄暗いうちから女たちは火を起こし、家畜へ餌をやり、保存肉を吊り直す。
山岳地帯の暮らしは忙しい。
特に男手が減ってからは、女たちが担う仕事が増えすぎていた。
だから本来なら。
朝から恋愛だの色恋だのへ構っている余裕などない。
……はずだった。
「レイ様まだ寝てる?」
「今起きたらしい」
「じゃあ先にパン持ってく」
「ずるい!」
しかし現在。
ヴェルシナ地方では妙な現象が起きていた。
朝から女たちがそわそわしている。
理由は単純。
レイがいるからである。
「のだぁ〜〜〜……」
そして当の本人は。
村外れの納屋横で、毛布にくるまりながら巨大猫みたいに丸まっていた。
寝起きだった。
しかもかなり寝癖が酷い。
銀髪ぼさぼさ。
尻尾もしなしな。
「レイ様〜」
若い女がパン籠を抱えて近づく。
「朝ご飯持ってきた」
「のだぁ?」
レイの耳がぴくっと動いた。
「お肉あるのだぁ?」
「干し肉入り」
「のだっ♡」
即復活。
獣人族は本当に単純だった。
レイは毛布を引きずりながら起き上がる。
「いい匂いなのだぁ♡」
女は少し照れたように笑った。
周囲では別の女たちが露骨に舌打ちしている。
「また先越された」
「朝一番狙ったのに……」
「レイ様、干し肉好きだからな……」
かなり競争が激しかった。
理由は簡単。
レイがわかりやすいからである。
肉をくれる。
褒める。
尻尾触る。
これでかなり機嫌が良くなる。
しかも。
「のだぁ〜〜〜♡」
今みたいに幸せそうな顔をする。
反応が大型犬すぎる。
だから女たちも妙に構いたくなるのだ。
「レイ様、今日は狩り?」
「うむ!」
レイは胸を張った。
「今日は北谷の岩蜥蜴なのだぁ!」
「また一人で?」
「のだぁ?」
レイは首を傾げた。
「いっぱい狩った方がみんな食べれるのだぁ」
真顔だった。
その瞬間。
周囲の女たちが妙に静かになる。
ヴェルシナ地方では、“食料を持って帰る男”の価値が重い。
戦争後は特に。
だからレイは危険だった。
しかも。
本人に下心が薄い。
これがさらに厄介だった。
「レイ様、これ持ってって」
「塩なのだぁ?」
「肉保存用」
「のだっ♡ありがとうなのだぁ!」
尻尾ぶわん。
女はその場でちょっと顔が赤くなっていた。
別の女が即座に割り込む。
「レイ様、毛皮直してあげる」
「のだぁ?」
「ほら、後ろ破れてる」
「むむっ」
レイは素直に背を向けた。
その瞬間。
周囲の女たちの空気が変わる。
「ずるい」
「近い」
「尻尾触ってる……!」
戦争未亡人。
若い娘。
女狩人。
全員微妙に本気だった。
一方。
レイ本人は。
「のだぁ〜〜〜」
気持ち良さそう。
毛繕いされる大型獣みたいになっていた。
その頃。
村の男たちは少し離れた場所で薪を運びながら遠い目をしていた。
「……また囲まれてる」
「まあ強いしな」
「顔も良いし」
「しかも食料持ってくる」
「勝てる要素がねぇ」
かなり諦めムードだった。
ただ。
不思議と本気で嫉妬する空気ではない。
理由は単純。
レイが変だからである。
「のだぁ?」
レイはその時、若い女へ真顔で聞いていた。
「吾輩、ちゃんと足臭くないのだぁ?」
「大丈夫」
「本当なのだぁ?」
「本当」
「のだっ♡」
完全にアホだった。
これで嫌味にならないのだからズルい。
その後。
レイは狩りへ向かった。
山道。
雪解け水。
冷たい風。
その後ろを。
なぜか数人の女狩人が普通についてきていた。
「のだぁ?」
レイはきょとんとする。
「なんでついてくるのだぁ?」
「見学」
「護衛」
「荷物持ち」
全部嘘だった。
単純に一緒にいたいだけである。
だが。
レイはそれを深く考えない。
「うむ!」
どやぁ。
「吾輩人気者なのだぁ!」
尻尾ぶわぁん!!
雪が舞った。
その数時間後。
「のだぁあああ!!」
谷にレイの叫び声が響く。
岩蜥蜴が吹き飛ぶ。
山が揺れる。
女狩人たちは少し離れた場所で見ていた。
「……やっぱおかしい」
「強すぎる」
「しかも顔良いの腹立つ」
「でもちょっと可愛い」
「わかる」
そして。
魔物を倒したレイは。
「のだっ♡」
振り返ってどや顔した。
「見たのだぁ!?」
その瞬間。
「きゃ〜〜〜♡」
「レイ様すごーい♡」
「かっこいい〜♡」
「のだっ♡♡♡」
レイ、即溶ける。
尻尾ぶんぶん。
顔にやけ。
完全に幸せそう。
ヴェルシナ地方では最近、
『魔物より危険なのはレイへ脳を焼かれた女たち』
という妙な冗談が広まり始めていた。




