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ヴェルシナ地方に春が来ていた。
長かった雪がようやく溶け始め、黒い岩肌の隙間から草が顔を出している。
山岳地帯の春は短い。
だから人々はこの季節を大事にする。
羊を放し。
畑を起こし。
酒を仕込み直す。
そして。
今年のヴェルシナ地方は、例年より少しだけ騒がしかった。
理由は単純である。
「……またレイ様の子か?」
「耳が完全にそうだろ」
「尻尾も銀色だぞ」
「顔まで似てるじゃねぇか」
村中に。
妙に銀髪の赤ん坊が増えていた。
しかも。
耳が少し獣っぽい。
尻尾が生えている。
あるいは目元が妙にレイそっくり。
つまり。
半獣人族の子供たちだった。
なお。
ヴェルシナ地方は戦争で若い男が大量に減っている。
そこへ。
高身長。
強い。
顔が良い。
食料持ってくる。
しかも妙に優しい。
そんな獣人が定期的に現れた。
結果。
こうなった。
当然である。
「のだぁ……」
そして今。
その原因たる男は、村の中央広場で露骨に目を逸らしていた。
レイである。
しかも今日は妙に静かだった。
「レイ様〜♡」
「また来てくれた〜♡」
「肉いっぱいある?」
「のだぁ……あるのだぁ……」
元気がない。
理由は単純。
赤ん坊たち。
ちらっ。
レイは横目で見た。
銀髪。
尻尾。
しかも。
「のだぁ!」
「のだぁ!」
赤ん坊がレイを見て笑っていた。
似すぎだった。
村人たちは完全に生暖かい顔になっている。
「……レイ様」
「なんなのだぁ」
「諦めろ」
「のだぁ!?」
レイは飛び上がった。
「違うのだぁ!」
尻尾ぶわっ。
「吾輩ではない……のだ」
完全に目を逸らしながら言っていた。
説得力ゼロだった。
その時。
ひとりの若い母親が赤ん坊を抱いてやってくる。
「レイ様〜」
「のだぁ!?」
「見て、この子もう肉好きなの」
赤ん坊がもぐもぐしている。
しかも。
妙にどや顔。
レイそっくりだった。
「…………」
レイは真顔になった。
「のだぁ……」
数秒沈黙。
「似てないのだぁ」
「いや似てるだろ」
周囲総ツッコミだった。
だがレイは認めない。
絶対認めない。
獣人族最後の生き残り。
世界最強。
なのに。
妙なところで小心者だった。
「のだぁ……」
レイは視線を逸らしたままぼそぼそ言う。
「吾輩、いっぱいお肉配っただけなのだぁ……」
「そうだな」
「いっぱい村守っただけなのだぁ……」
「そうだな」
「いっぱい抱きつかれただけなのだぁ……」
その瞬間。
周囲の女たちが吹き出した。
「ふふっ」
「抱きつかれた“だけ”ねぇ?」
「レイ様酔うと尻尾触らせるじゃん」
「しかもすぐ嬉しくなって甘える」
「のだぁ!?」
レイの顔が真っ赤になる。
「言うななのだぁ!!」
尻尾ぶわぁん!!
洗濯物が吹き飛んだ。
「まただ!!」
「子供押さえろ!!」
村人たちはもう慣れていた。
一年前なら、この獣人を恐れていた。
今は違う。
もはや巨大な親戚みたいな扱いだった。
その時。
老婆がゆっくり近づいてきた。
最初にレイを歓迎したあの老婆だった。
「レイ」
「のだぁ……」
レイはまだ赤い顔をしている。
老婆は赤ん坊たちを見回した。
「この子らはな」
静かな声。
「久しぶりに生まれた“未来”だ」
レイが少し止まる。
周囲も静かになった。
「戦争で男が減った」
「冬で子供も減った」
「村は少しずつ死んでいた」
山風が吹く。
「だが今は違う」
老婆は赤ん坊のひとりを抱き上げた。
銀色の小さな尻尾が揺れている。
「また子供の声が増えた」
レイは黙っていた。
「だからお前を歓迎する」
静かな言葉だった。
「変な獣だがな」
周囲が笑う。
レイは困った顔をした。
「のだぁ……」
褒められている。
だが。
今回は少し違った。
美女にチヤホヤされる時みたいな軽い嬉しさではない。
もっと重い。
温かい。
そんな感じだった。
「のだぁ……」
レイは赤ん坊たちを見た。
小さい。
弱い。
でも笑っている。
獣人族の子供たちも昔こうだった。
一瞬。
レイは遠い昔を思い出していた。
大声。
肉。
笑い。
尻尾。
滅んでしまった一族。
「……のだぁ」
レイは小さく息を吐いた。
そして。
赤ん坊の一人へ恐る恐る指を伸ばす。
すると。
小さな手がぎゅっと掴んだ。
「のだぁ!?」
レイが固まる。
周囲の女たちがにやにやしていた。
「レイ様そっくり」
「耳の動きまで同じ」
「将来絶対食いしん坊」
「のだぁ!!」
レイは慌てて立ち上がった。
「違うのだぁ!!」
だが。
尻尾だけは。
嬉しそうにぶんぶん揺れていた。




