28 ヴェルシナ地方編
王都キャビアでは春が近づいているというのに、北方から吹き下ろしてくる風はまだ冷たく、王宮中央棟の窓硝子には薄く霜が残っていた。
その日の玉座の間には、いつものように重苦しい空気が漂っていたが、中央に立っている銀髪の大男だけは妙にのんびりとしていた。
「のだぁ〜〜〜……」
レイである。
王族直属遊撃兵。
灰霧街道の解決者。
オルジェフ地方の腐敗を半壊させた男。
そんな肩書きとは裏腹に、本人は欠伸を噛み殺しながらぼんやりと天井の装飾を眺めていた。
国王カルパスはそんなレイを見下ろしながら、疲れ切ったような溜息をひとつ漏らした。
「……レイ」
「のだぁ?」
レイはぴょこんと顔を上げた。
尻尾が少しだけ揺れる。
「次の任務だが、北東辺境へ向かってもらう」
「北東?」
レイは首を傾げた。
「寒そうなのだぁ」
「寒いな」
「嫌なのだぁ……」
レイは即座にしなしなになったが、カルパス王は無視した。
「山岳地帯の少数民族地域だ」
「少数民族?」
その瞬間、レイの目が少しだけ輝いた。
「のだぁ?」
国王は続ける。
「最近、王国との交易路が不安定になっている。小競り合いも増えた。現地の部族同士も揉めているらしい」
宰相ティラミスが補足するように地図を広げた。
「この辺りです。山脈地帯に複数の民族集落があります。自治色が強く、中央の統治も薄い」
レイは地図を覗き込んだ。
そして数秒後。
「のだぁ?」
真顔で聞いた。
「エルフでもいるのだぁ?」
玉座の間が静まり返る。
「……は?」
「オーガのだぁ?」
レイはわくわくしていた。
「ケンタウロスのだぁ?」
「いない」
「のだぁ……」
露骨にがっかりした。
「普通に人間なのだぁ?」
「少数民族だと言っただろう」
「むむっ……」
レイは不満そうだった。
獣人族最後の生き残りであるレイは、なぜか昔から「他種族」という響きに妙な憧れを持っていた。
理由は単純である。
酒場で冒険譚を聞きすぎたからだ。
エルフ。
ドワーフ。
魔族。
竜人。
そんな存在に会えると思っているのである。
なお現実のルミナス王国にそんな便利な幻想種族はいない。
いるのは方言が強くて酒が強い人間ばかりだった。
「のだぁ……」
レイは少ししょんぼりした。
「エルフいないの、ちょっと悲しいのだぁ……」
「お前は何を期待しているんだ」
「長生きで耳長くて美人なのだぁ!」
レイは真顔だった。
「あと森で裸足なのだぁ!」
「どこの物語だそれは」
カルパス王はこめかみを押さえた。
だが、レイはもう妄想が止まらない。
「ケンタウロスは速そうなのだぁ……」
「いない」
「オーガはいっぱい食べそうなのだぁ……」
「いない」
「竜族はぁ?」
「いない」
「つまらないのだぁ……」
レイは本気で落ち込んでいた。
しかし、その時だった。
宰相ティラミスがぼそりと呟く。
「……ただ、獣人伝承に近い文化は残っていますね」
「のだぁ!?」
レイの耳がぴんっと立った。
「本当なのだぁ!?」
「山岳部族は毛皮文化が強く、狩猟中心で、求愛儀礼も独特です」
「のだぁっ♡」
レイが復活した。
尻尾がぶわんっと揺れる。
「お友達できるかもしれないのだぁ!」
「できるといいな……」
近衛騎士たちは遠い目をした。
実際、レイは少し浮かれていた。
獣人族は滅んだ。
だからこそ、レイはどこかで「自分と似た文化」を探してしまう。
本人も自覚していないが、それは長年ずっと続いている癖だった。
「のだぁ〜〜〜♪」
その後、レイは王宮を出たあとも妙に機嫌が良かった。
屋敷へ戻ったレイは、巨大な旅行鞄へ次々と物を放り込んでいた。
肉。
干し肉。
塩。
酒。
毛布。
肉。
予備の肉。
ほとんど食料だった。
「レイ様……」
使用人長が困惑した顔で尋ねる。
「遠征ですよね?」
「のだぁ?」
「食料多すぎませんか」
「山はお腹空くのだぁ!」
レイは胸を張った。
「あとお友達に配るかもしれないのだぁ!」
「友達……」
完全に遠足前の大型犬だった。
しかし、その後ふと手を止めたレイは、窓の外を見ながら静かに呟いた。
「のだぁ……」
少しだけ真面目な顔だった。
「今度は変な臭いしないといいのだぁ」
オルジェフ地方のことを思い出しているのだろう。
地下牢。
飢え。
泣く臭い。
あれはレイにとって、かなり嫌な記憶として残っていた。
使用人長は何も言わなかった。
レイは数秒黙ったあと、すぐにまたいつもの顔へ戻る。
「うむ!」
どやぁ。
「今回はエルフ探しなのだぁ!」
「任務ですよね?」
「ついでなのだぁ!」
結局、最後までブレなかった。




