25
王都キャビア。
王宮中央議会室。
重厚な扉。
赤い絨毯。
分厚いカーテン。
暖炉の火が揺れている。
だが空気は冷たかった。
「……あれは越権です」
最初に口を開いたのは侯爵バウムクーヘンだった。
白髪。
痩せた顔。
冷たい目。
「王国兵士を私刑に処した」
机を指で叩く。
「しかも地方役人、地主まで暴行」
「暴行どころではありませんな」
子爵モンブランが鼻を鳴らす。
「半殺しです」
「密輸倉庫も破壊されたそうだ」
「街門に人間を埋めたとか」
ざわざわ。
議会室の空気が重くなる。
そこにいたのは王国上層貴族たちだった。
軍閥。
大地主。
中央官僚。
全員、顔色が悪い。
理由は単純。
レイが危険すぎるからだ。
「……前例が悪い」
伯爵ズッコットが低い声で言った。
「地方兵士を独断で吊るしたとなれば、今後地方統治に支障が出る」
「平民どもが勘違いする」
「英雄が来れば貴族を殴っていいとでも思われたらどうする」
「秩序が壊れる」
その“秩序”という言葉に、何人かは薄く笑った。
地方の実態など皆知っている。
違法労働。
借金奴隷。
密輸。
珍しくもない。
問題はそこではない。
勝手に壊されたこと。
それが問題だった。
「そもそも」
侯爵バウムクーヘンが言う。
「王族直属遊撃兵とは魔物討伐権限でしょう」
「ええ」
「人間社会へ介入する権限ではない」
「しかも今回は地方行政への直接破壊行為です」
全員の顔に苛立ちが浮かんでいた。
なぜなら。
レイは“面倒な前例”を作った。
地方民は噂を広める。
『王都直属は腐敗役人を潰してくれる』
『貴族より英雄が正しい』
『訴えれば助けてくれる』
そういう空気が生まれる。
それは困る。
非常に困る。
「……獣人に権力を持たせすぎた」
誰かがぽつりと言った。
空気が少し止まる。
「元々、獣など管理できる存在ではない」
「力だけ与えればこうなる」
「所詮は野生動物です」
くすくす。
陰湿な笑い。
だが。
全員が本気で笑っているわけではなかった。
何人かは恐れていた。
本当に。
レイを。
あの男は止まらない。
法律で。
格式で。
空気で。
止まる存在ではない。
しかも。
異常に強い。
そこが最悪だった。
「……陛下は?」
誰かが聞いた。
「まだ判断を保留中だ」
「当然でしょうな」
「地方腐敗も事実だったようですし」
そこだけは誰も否定しなかった。
否定できない。
帳簿。
地下牢。
密輸記録。
全部見つかっている。
つまり。
レイは間違ってはいない。
だが。
正しいから困る。
法律を無視して“正しさ”で動く怪物など、統治側からすれば悪夢でしかない。
「王国は感情で回らない」
伯爵ズッコットが静かに言った。
「地方には地方の事情がある」
「兵士にも生活がある」
「飢えた地方では、多少の汚職は避けられない」
それは現実だった。
綺麗事では地方は回らない。
だから皆、少しずつ腐る。
そして見ないふりをする。
だが。
レイは見てしまった。
臭いで。
全部。
「……あの獣人は」
侯爵が低く言う。
「“臭い”で判断しているそうですな」
「らしいですな」
「恐ろしい話だ」
普通の人間は見ない。
見えても無視する。
だがレイは違う。
臭うから気づく。
泣いてる臭い。
血の臭い。
恐怖の臭い。
そして。
気づいたら殴る。
最悪だった。
「理性がない」
「いや」
老公爵パンデーロが静かに口を開いた。
今まで黙っていた男だった。
軍閥貴族。
北方戦線の古参。
「むしろ理性があるから厄介だ」
空気が少し変わる。
「……どういう意味です?」
「本当に野生なら全部殺して終わる」
静かな声。
「だがあの獣人は、“全部壊しても解決しない”と理解している」
沈黙。
「だから中途半端に止まっている」
それが逆に怖い。
パンデーロ公爵は戦場で多くを見てきた。
だからわかる。
レイはまだ“我慢している”。
だから今は被害が限定されている。
もし。
本気で人間社会そのものを敵認定したら。
誰も止められない。
「……陛下は難しい立場ですな」
誰かが呟いた。
その通りだった。
国王カルパスはレイを必要としている。
魔物災害。
国境問題。
怪異。
あの獣人一人で片付く案件が多すぎる。
だが。
同時に。
貴族社会も必要だ。
地方統治。
税。
軍。
全部貴族で回っている。
だから。
どちらかだけを選べない。
「結局」
侯爵バウムクーヘンが言った。
「問題はあの獣人をどう扱うかです」
静かな空気。
「褒美を与え続ければ増長する」
「しかし罰すれば地方人気が爆発する」
「軍内部人気も危険なレベルだ」
「兵士どもは完全に英雄視していますからな」
しかも。
若い女たちにも人気。
最悪だった。
そこへ。
議会室の扉が開く。
王宮文官だった。
「陛下より通達です」
空気が張る。
文官は紙を広げた。
「王族直属遊撃兵レイに対し――」
沈黙。
「独断行動への厳重注意」
何人かが頷く。
当然。
「ただし」
続きを聞いた瞬間。
空気が変わった。
「オルジェフ地方腐敗摘発の功績を認め、処罰は行わない」
沈黙。
重たい沈黙。
つまり。
王はレイを切らなかった。
だが全面擁護もしない。
絶妙だった。
非常にカルパス王らしい判断だった。
「……なるほど」
「バランスを取ったか」
「地方民には恩を売り、貴族には面目を残した」
だが。
侯爵バウムクーヘンだけは苦々しい顔だった。
「……甘い」
ぽつり。
「あの獣人は、またやりますよ」
誰も否定しなかった。
なぜなら。
皆もう理解している。
レイは。
法律では動かない。
臭いで動く。
そしてその臭いが。
この国には、あまりにも多すぎた。




