24
王都キャビア。
華やかな中央区から少し外れた場所。
石畳は割れ。
雪は黒く汚れ。
排水路から悪臭が漂っている。
王都スラム。
帝都の影だった。
昼間だというのに空気が暗い。
酒。
煙。
咳。
壁際には浮浪者。
痩せた子供。
仕事のない元兵士。
地方ほど静かではない。
むしろ騒がしい。
怒鳴り声。
喧嘩。
笑い声。
全部が濁っている。
そして。
「のだぁ〜〜〜」
そこを銀髪の大男が歩いていた。
レイである。
しかも。
完全に散歩だった。
「のだっ♡」
尻尾ぶん。
鼻歌。
王都直属遊撃兵。
世界最強。
なのに今やってることはスラム徘徊だった。
周囲のチンピラたちがざわつく。
「……なんだあいつ」
「貴族か?」
「いや獣人……?」
「でけぇ……」
レイは気にしない。
「のだぁ〜〜〜♪」
きょろきょろ。
完全に観光客だった。
だが。
その目だけは少し静かだった。
オルジェフ地方から帰ってきて数日。
レイはずっと考えていた。
獣人族にしては珍しく。
かなり長時間。
「のだぁ……」
スラムの臭い。
飢え。
酒。
病気。
血。
地方と似ていた。
違うのは。
ここには王宮が近いこと。
豪華な劇場も。
舞踏会も。
高級料理店も。
全部すぐ近くにある。
なのに。
こっちは腐っている。
「変なのだぁ……」
レイはぼそりと言った。
獣人族は単純だ。
群れが飢えたら狩る。
弱った子供がいたら食わせる。
強いやつが前へ出る。
それだけ。
人間社会みたいに。
近くで飢えてるのに放置する感覚が、レイにはよくわからなかった。
その時。
路地裏で小さな喧嘩が起きていた。
「返せよ!!」
「うるせぇ!!」
痩せた少年二人。
パンの奪い合いだった。
小さい。
乾いた黒パン。
それを必死に引っ張り合っている。
レイは止まった。
「のだぁ?」
少年たちはレイを見た瞬間、青ざめた。
「ひっ……」
「ば、化け物……!」
スラムでは有名だった。
白銀の獣英雄。
魔物を素手で潰す怪物。
レイはしゃがみ込んだ。
「のだぁ?」
少年たちを見る。
「パン一個で喧嘩なのだぁ?」
少年たちは答えない。
警戒している。
レイはしばらく考えた。
「むむっ」
そして。
懐から干し肉を出した。
どさっ。
「食うのだぁ」
少年たちが固まる。
「……え?」
「吾輩、いっぱい持ってるのだぁ」
本当にいっぱい持っていた。
獣人族なので常に食料を携帯している。
少年たちは震えながら干し肉を見る。
目が怖い。
飢えた目だった。
「食べないのだぁ?」
レイが首を傾げる。
次の瞬間。
少年たちは飛びついた。
むしゃむしゃ。
必死。
レイは黙って見ていた。
「のだぁ……」
その時。
路地奥から女が出てきた。
痩せている。
咳をしている。
「こらっ!」
慌てて子供たちを抱き寄せた。
「申し訳ありません……!」
レイはきょとんとした。
「のだぁ?」
女は怯えていた。
貴族。
兵士。
裏組織。
スラムの人間にとって、“力を持つ存在”は大体怖い。
だから反射で頭を下げる。
レイは少し困った顔をした。
「吾輩、別に怒ってないのだぁ」
女はぽかんとした。
「……え?」
「お腹空いてたのだぁ?」
静かな声だった。
女の目が少し揺れる。
「……はい」
その瞬間。
レイは少しだけ目を伏せた。
オルジェフ地方を思い出した。
地下牢。
鎖。
飢えた臭い。
「のだぁ……」
レイは立ち上がった。
空を見る。
灰色。
王都なのに、空は地方と同じ色だった。
「うむ!」
突然。
レイは胸を張った。
「吾輩は魔物退治を全力でやるまでなのだぁ!」
女がぽかんとする。
少年たちも止まる。
レイは真顔だった。
「吾輩、難しいことわからないのだぁ!」
どやぁ。
「でも魔物は殴れば死ぬのだぁ!」
路地裏が静まり返る。
「だからいっぱい狩るのだぁ!」
尻尾ぶわん。
「いっぱい狩れば、いっぱいご飯なのだぁ!」
それは。
獣人族の答えだった。
単純。
馬鹿。
でも。
少なくとも本気だった。
レイは政治を知らない。
経済も知らない。
革命も知らない。
だが。
飢えが嫌い。
泣く臭いが嫌い。
それだけはわかる。
「のだぁ!」
レイはまた歩き出した。
「吾輩、世界最強なのだぁ!」
どやどやぁ。
「だからいっぱい魔物狩るのだぁ!」
その背中を。
スラムの人間たちは黙って見ていた。
王都の貴族とは違う。
救世主とも少し違う。
ただ。
どうしようもなく強くて。
どうしようもなく馬鹿で。
なのに妙に優しい。
そんな獣人だった。
そしてレイは。
「のだぁ〜〜〜♪」
また鼻歌を歌いながら歩いていく。
だが。
その尻尾は少しだけ元気がなかった。
人間社会の臭いを。
知ってしまったからだった。




