21
オルジェフ地方。
夜。
雪ではなく、冷たい雨が降っていた。
道はぬかるみ。
家々は暗い。
そして。
地方役所だけが妙に明るかった。
窓から灯りが漏れている。
酒。
肉。
笑い声。
そこでは地方役人たちが宴会をしていた。
「いやぁ、最近は静かで結構」
地方監督補佐ババロアが笑う。
脂ぎった顔。
高価な毛皮。
太い指。
「消える人数も減りましたな」
「減ったように見せてるだけでしょう」
兵士長ジェラートが鼻で笑った。
酒を飲む。
「最近は鉱山送りが多い」
「南の連中も喜んでいましたよ」
くすくす。
笑い声。
そこにいたのは皆、繋がっていた。
役人。
兵士。
地主。
商人。
地方の上澄み。
そして全員が腐っていた。
行方不明事件。
真相は単純だった。
人間を売っていたのである。
借金奴隷。
違法鉱山。
売春宿。
密輸労働。
地方では珍しくない。
王都が遠い場所では特に。
人は金になる。
孤児。
未亡人。
借金持ち。
流民。
そういう人間は消えても大騒ぎにならない。
だから。
売る。
終わり。
「しかし」
地主パンフォルテが肉を噛みながら言った。
「最近、王都の獣人が来たとか」
空気が少し変わる。
「白銀の英雄とかいうやつか」
「面倒ですな」
「まあ獣でしょう?」
ジェラート兵士長が笑った。
「多少強くても頭は悪い」
「それに」
役人ババロアが肩を竦めた。
「証拠がない」
そこが重要だった。
地方腐敗は長年積み重なっている。
帳簿は焼く。
人は脅す。
兵士も抱き込む。
皆、生活がある。
逆らえば消える。
だから誰も喋らない。
「そもそも」
地主が笑う。
「この地方で真面目に調べる人間などいませんよ」
くすくす。
「王都の連中は地方なんて興味がない」
「魔物退治ならともかく、人探しなどねぇ」
その時だった。
どんっ。
入口の扉が開いた。
全員が振り返る。
「のだぁ」
銀髪。
長身。
毛皮外套。
レイだった。
静かだった。
いつものへらへら感が少ない。
役人たちが顔を引きつらせる。
「……なぜここに」
「お邪魔なのだぁ」
レイは普通に入ってきた。
雨の臭い。
泥。
血。
そして。
レイの鼻はずっと動いていた。
くん。
くん。
役人たちは嫌な汗をかく。
獣人族。
鼻が良い。
それは有名だった。
「のだぁ」
レイは部屋を見回した。
酒。
肉。
香水。
その奥。
地下へ続く扉。
「…………」
レイは黙って近づく。
「ま、待て」
兵士長が立ち上がった。
「そこは――」
「臭いのだぁ」
静かな声だった。
兵士長が止まる。
「いっぱい人の臭いなのだぁ」
空気が凍った。
レイは扉を見つめたまま続ける。
「血の臭い」
くん。
「泣いた臭い」
くん。
「怖い臭い」
くん。
「あとぉ……」
レイは少し眉をひそめた。
「鉱山の臭いなのだぁ」
沈黙。
役人たちの顔色が完全に変わった。
なぜわかる。
なぜそこまでわかる。
だが。
レイ本人は逆に不思議そうだった。
「のだぁ?」
きょとん。
「なんで今までわからなかったのだぁ?」
静寂。
そう。
この事件。
本来なら。
まともに調べれば気づくレベルだった。
臭い。
人の流れ。
兵士の巡回。
地主の荷馬車。
全部繋がっている。
それなのに。
誰も解決しなかった。
つまり。
地方全部が腐っていた。
それだけだった。
「のだぁ……」
レイは地下への扉を見ていた。
その向こう。
怯えた人間の臭い。
鎖。
泥。
飢え。
全部わかる。
獣人族の鼻は鋭い。
そしてレイは世界最強だった。
だから全部見えてしまう。
「お前……!」
兵士長が剣を抜いた。
次の瞬間。
ばごぉんっ!!
壁にめり込んだ。
レイが殴っただけだった。
役人たちが悲鳴を上げる。
「ひっ……!」
「ば、化け物……!」
レイは振り返らない。
地下の臭いを嗅いでいた。
「のだぁ……」
静かな声。
「いっぱい閉じ込められてるのだぁ」
その声には。
珍しく怒りがあった。
だが。
次の瞬間。
レイは困った顔になった。
「……むむっ」
しなしな。
「解決できないのだぁ」
役人たちが止まる。
「……は?」
レイは本気で困っていた。
「吾輩、お金は無限じゃないのだぁ……」
ぽつり。
「魔物しか狩れないのだぁ……」
静かな声だった。
地下には人がいる。
救える。
だが。
その後は?
仕事。
家。
食料。
地方は腐っている。
また別の地主が拾う。
また売られる。
レイはそこまで理解してしまった。
獣人族にしては、あまりにも理解してしまった。
「のだぁ……」
レイは地下扉に額をつけた。
「お腹空いてる臭いするのだぁ……」
静かだった。
役人たちは震えている。
レイが怖いからではない。
気づいてしまったからだ。
この獣人。
力だけの怪物じゃない。
臭いで全部理解してしまう。
嘘も。
恐怖も。
腐敗も。
そして。
レイはゆっくり振り返った。
灰色の目。
静かな怒り。
「お主らぁ」
低い声。
「人間族なのに」
沈黙。
「なんでこんなに臭いのだぁ?」




