19 獣人族の伝説
夜。
王都キャビア。
雪が降っていた。
兵舎の中庭は静かで、遠くで見張り兵の足音だけが響いている。
暖炉の火も小さい。
皆もう寝静まっていた。
その中で。
「のだぁ……」
レイだけが起きていた。
中庭の石段に座り、ぼんやり夜空を見上げている。
珍しく静かだった。
酒もない。
肉もない。
美女もいない。
だから逆に、兵士たちは少し落ち着かなかった。
「……レイ様」
若い兵士ミハイルが近づく。
「寝ないんですか?」
「のだぁ?」
レイは振り返った。
「寝るのだぁ」
「じゃあ何でここに」
「考え事なのだぁ」
兵士は少し驚いた。
レイが“考え事”という単語を使う時は珍しい。
獣人族最後の生き残り。
世界最強。
だが普段は。
「お肉なのだぁ!」
「褒めろなのだぁ!」
「面倒なのだぁ!」
ばかりである。
そんな男が今は静かだった。
「……何考えてたんです?」
「むむっ」
レイは少し黙った。
そして。
「獣人族のことなのだぁ」
珍しく真面目な声だった。
ミハイルは隣へ座った。
しばらく沈黙。
雪が降る。
白い。
静かだった。
「レイ様って」
ミハイルがぽつりと言う。
「獣人族のこと、好きですよね」
「当然なのだぁ!」
即答だった。
レイは胸を張る。
「獣人族は最高なのだぁ!」
どやぁ。
「強いのだぁ!」
「まあそれは本当にそうですね」
「毛並み良いのだぁ!」
「はい」
「あと尻尾便利なのだぁ!」
「はい」
レイは満足そうに頷いた。
だが。
数秒後。
「……むむっ」
少しだけ顔が曇った。
「でもぉ」
「のだぁ?」
「獣人族って……」
ミハイルは少し言いづらそうにした。
「その……」
「アホ?」
レイが真顔で言った。
「のだぁ!?」
ミハイルは慌てた。
「いや、俺はそんな!」
「違うのだぁ!」
レイは即否定した。
かなり真剣だった。
「獣人族はアホじゃないのだぁ!」
雪の中。
レイの声だけが響く。
「獣人族には誇りがあるのだぁ!」
ミハイルは黙った。
レイは続ける。
「いっぱい食べるのは生きるためなのだぁ!」
「はい」
「酒いっぱい飲むのも楽しいからなのだぁ!」
「はい」
「崖から落ちるのも……」
レイは少し考えた。
「……たまたまなのだぁ!」
「それはアホでは」
「違うのだぁ!!」
本気だった。
レイにとって。
獣人族は滅んだ一族だ。
最後の一人。
だからこそ。
馬鹿にされるのは嫌だった。
「人間族はいつも獣人族を笑うのだぁ……」
レイはぼそりと言った。
「獣くさいとかぁ……野蛮とかぁ……」
尻尾が少しだけ揺れる。
「でも獣人族は強かったのだぁ」
静かな声だった。
「みんないっぱい笑ってたのだぁ」
ミハイルは何も言えなかった。
レイがこんな風に話すのは珍しい。
「のだぁ……」
レイは雪を見ていた。
「吾輩のパパは熊型魔物を殴ってたのだぁ」
「……すごいですね」
「ママはもっと強かったのだぁ!」
少し嬉しそうに笑う。
「怒ると家壊れるのだぁ!」
「怖いな……」
「でも優しかったのだぁ」
レイは少しだけ遠くを見る。
「いっぱい抱っこしてくれたのだぁ」
静かな夜だった。
兵士は黙って聞いていた。
「……獣人族って」
ミハイルがぽつりと聞く。
「どんな伝説があるんです?」
「のだっ♡」
レイの耳がぴくっと動いた。
「いっぱいあるのだぁ!」
急に元気になる。
「例えばぁ!」
どやぁ。
「“初代族長、蜂蜜酒を飲み過ぎて山を殴り倒す”なのだぁ!」
ミハイルは固まった。
「…………」
「…………」
「それ伝説なんですか?」
「すごいのだぁ!」
レイは本気だった。
「あと“巨大魚を丸呑みしようとして川に流された英雄”なのだぁ!」
「…………」
「“求愛ダンス中に崖から落ちた戦士”も有名なのだぁ!」
ミハイルは頭を抱えた。
全部アホだった。
救いようがない。
だが。
レイだけは真剣だった。
「獣人族は勇敢なのだぁ!」
胸を張る。
「誰も細かいこと気にしないのだぁ!」
それは知ってる。
「いっぱい食べてぇ!」
「はい」
「いっぱい笑ってぇ!」
「はい」
「いっぱい戦うのだぁ!」
レイは誇らしそうだった。
そして。
少しだけ寂しそうだった。
「……みんないなくなっちゃったけどぉ」
雪が降る。
白い。
静か。
レイは空を見上げた。
「吾輩は覚えてるのだぁ」
ぽつり。
「だから獣人族はアホじゃないのだぁ」
その言葉だけは。
子供みたいな意地ではなかった。
本気だった。
レイは馬鹿だ。
どうしようもなく馬鹿だ。
だが。
最後まで、自分の一族を笑わない。
それだけは絶対に譲らない。
「のだぁ……」
レイは鼻をすすった。
「でも“毒キノコ早食い大会”はちょっと駄目だった気もするのだぁ……」
「大会だったんですか」
「いっぱい死んだのだぁ」
「アホですよそれは」
「違うのだぁ!!」
レイは本気で怒った。
そして数秒後。
「……でもちょっとアホだったかもしれないのだぁ」
小さく呟いた。
ミハイルは吹き出した。
「ふふっ……」
「笑うななのだぁ!」
「いや無理ですよ……!」
レイは不満そうに尻尾を膨らませた。
だが。
その顔は少しだけ安心したみたいだった。
雪は静かに降り続いていた。




