16 セルニカ村
ルミナス王国東部辺境。
冬。
雪。
灰色の空。
そして、終わりかけた村があった。
村の名前はセルニカ。
地図には一応載っている。
だが王都の貴族たちからすれば、ほぼ存在しないのと同じ場所だった。
遠い。
寒い。
税が少ない。
つまり価値が薄い。
それだけである。
村の道は泥だらけだった。
春でもないのに泥が深い。
雪解け水と家畜の糞が混ざっているからだ。
木造家屋は歪み。
窓には布。
煙突からは黒煙。
空気は重い。
人々は皆、痩せていた。
そして静かだった。
無駄に喋る元気がないのである。
「……今年も駄目か」
老農夫が呟いた。
視線の先。
凍った畑。
去年は魔物被害。
一昨年は冷害。
その前は徴兵。
何も積み上がらない。
作っても奪われる。
育てても死ぬ。
そんな土地だった。
「父ちゃん」
小さな娘が聞いた。
「今日はパンある?」
老農夫は答えなかった。
答えられなかった。
家の中では、母親が鍋をかき混ぜていた。
ほぼ水だった。
そこに少量の芋と黒パンを入れている。
スープと呼ぶには薄すぎる。
だが、それでも今日の食事だった。
母親は黙っていた。
最近は怒鳴る気力もない。
夫婦喧嘩をする体力もない。
ただ静かに疲れていた。
その時。
遠くから鈴の音が聞こえた。
村人たちの顔色が変わる。
「……来たぞ」
「徴税官だ」
「またか……」
馬車だった。
立派な毛皮。
鉄輪。
王都製の高級ランタン。
泥だらけの村には不釣り合いなほど豪華。
そこから降りてきた男は、真っ白な手袋をしていた。
地方監督官バーチディダーマ。
中央貴族の縁者。
二十代後半。
痩せた男。
香水臭かった。
「ふむ」
男は露骨に顔をしかめた。
「臭いな」
村人たちは頭を下げた。
誰も反論しない。
反論すると税が増える。
あるいは徴兵される。
あるいは暴力。
地方民はそれを知っていた。
「今年分の追加徴収を行う」
静かな絶望が広がった。
「……追加?」
村長が震える声で聞く。
「先月納めましたが……」
「王都防衛費が増えた」
監督官は冷たく言った。
「北方街道整備費も必要だ」
嘘だった。
実際は貴族の遊興費に近い。
だが地方民には確認手段がない。
「しかし……」
村長は青ざめていた。
「もう麦が……」
「では家畜を出せ」
「それでは冬を越せません……」
「知ったことか」
監督官は本気でどうでもよさそうだった。
「王国の秩序維持には金がいる」
その後ろでは護衛兵たちがぼんやり立っていた。
彼らも地方出身だった。
だがもう感情を切り離している。
いちいち同情していたら仕事にならない。
村長の妻が泣き出した。
「お願いします……」
「子供が……」
「冬を越せません……」
監督官はため息を吐いた。
「……毎年同じことを言うな」
心底うんざりした顔だった。
「貧しいのは努力不足だ」
村人たちは俯いていた。
怒る気力もない。
実際、地方にはこういう空気があった。
諦め。
冷え。
沈黙。
王都は遠い。
貴族は暖かい。
だが地方はずっと寒い。
そして魔物が出る。
その時。
村の奥から怒鳴り声。
「やめろ!!」
若い男だった。
二十歳くらい。
痩せている。
だが目だけは怒っていた。
「これ以上取ったら本当に死ぬ!!」
空気が凍る。
監督官がゆっくり振り返った。
「……何だお前は」
「父親は徴兵で死んだ!!」
若者は震えていた。
「兄貴も魔物に殺された!!」
涙。
「何でまだ取るんだよ!!」
監督官はしばらく黙っていた。
そして。
静かに言った。
「不敬罪だ」
護衛兵が動く。
若者は殴り倒された。
雪へ顔から落ちる。
村人たちは誰も動かなかった。
動けなかった。
「連れて行け」
「待ってくれ!!」
母親が叫ぶ。
「息子だけは!!」
「黙れ」
蹴り飛ばされる。
雪へ転がる。
子供が泣く。
誰も助けられない。
それが地方だった。
強い者が取る。
弱い者は耐える。
王都では舞踏会が開かれている頃。
地方では今日も、人間が静かに削られていた。
夜。
村は暗かった。
灯油がない。
薪も少ない。
老人たちは黙って座っていた。
子供たちは痩せている。
そして誰も、未来の話をしない。
意味がないからだ。
その時。
酒臭い男がぼそりと言った。
「……最近、北の方じゃ化け物みたいな獣人が魔物を潰して回ってるらしいぞ」
静かな空気。
「白銀の英雄とか何とか」
「……英雄ねぇ」
誰かが乾いた笑いを漏らす。
「そんなの、ここには来ないだろ」
その通りだった。
セルニカ村は小さい。
貧しい。
税も少ない。
つまり後回しにされる。
地方民はそれを理解していた。
期待すると苦しい。
だから期待しない。
それがこの国の辺境の生き方だった。
外では雪が降っていた。
静かに。
冷たく。
どこまでも平等に。




