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王都キャビア。
上流階級専用社交倶楽部《白銀宮》。
ルミナス王国でも特に古い大貴族たちが集まる場所だった。
巨大なシャンデリア。
磨き上げられた大理石。
金縁の肖像画。
暖炉の火。
そして鼻につく香水の匂い。
そこでは今日も、王国の“高貴なる方々”が優雅に酒を飲んでいた。
「……で、その獣人ですが」
薄く笑ったのは伯爵トルタである。
痩せた男だった。
神経質そうな指。
油で固めた髪。
冷たい灰色の目。
「本当に王族直属遊撃兵になったそうですよ」
周囲がくすくす笑う。
「獣が?」
「面白い冗談ですな」
「陛下も老いた」
ワインが揺れる。
暖炉の火がぱちぱち鳴った。
そこにいたのは皆、“本物の貴族”だった。
数百年の血統。
土地。
農奴。
軍閥。
王家との婚姻。
彼らは生まれながらに上に立つ側であり、それを疑ったことなど一度もない。
だから気に入らなかった。
レイが。
あまりにも。
気に入らなかった。
「魔物を何十体倒したとかいう話もありますが」
侯爵ビスコッティが鼻で笑った。
太った男だった。
首が短い。
指輪だらけ。
脂っこい顔。
「どうせ誇張でしょう。下級兵士というものは、すぐ英雄譚を作りたがる」
「ええ」
子爵パンナコッタが頷く。
青白い男だった。
咳をしながら酒を飲んでいる。
「所詮、獣ですからな。野蛮な腕力しかない」
「そもそも」
女伯爵カンノーロが扇子を揺らした。
「臭そうですわ」
笑い声。
「確かに」
「獣臭がしそうだ」
「毛だらけなのでしょう?」
くすくす。
くすくす。
非常に嫌な笑い方だった。
彼らはこういう時、露骨に怒鳴ったりしない。
もっと陰湿だった。
遠回し。
嘲笑。
“品のある侮辱”。
それがルミナス王国上流階級だった。
「ですが困ったものですな」
トルタ伯爵がグラスを回す。
「最近は平民どもがあの獣人を崇拝している」
「英雄ごっこですか」
「実に下品だ」
「まあ平民など、強いものに尻尾を振る家畜ですから」
また笑い。
その場の誰一人として、“地方がどれだけ被害を受けていたか”など気にしていなかった。
彼らにとって地方とは。
税を運ぶ場所。
それだけだった。
人が死のうがどうでもいい。
むしろ魔物被害で土地が安くなれば買い叩ける。
その程度の認識である。
「しかし」
パンナコッタ子爵が目を細めた。
「王族直属というのは不愉快ですな」
「ええ」
「獣風情が王家に近づくとは」
「分を弁えるべきだ」
その時。
若い男爵マリトッツォが酒を飲みながら笑った。
「ですが、あの獣人……顔だけは良いそうですな」
「……ああ」
「女中たちが騒いでいました」
「気味が悪い」
カンノーロ女伯爵が露骨に顔をしかめる。
「最近、若い娘たちが“ふわふわで可愛い”などと言っているそうですわ」
「下品極まりない」
「獣を愛玩動物扱いとは」
「平民は本当に教養がない」
だが。
その場の何人かは知っていた。
王都でも。
若い女性たちの間で。
レイの人気が異常なことを。
強い。
顔が良い。
背が高い。
しかも妙に愛嬌がある。
そして何より。
“自由”だった。
貴族社会の男たちみたいに、陰湿な駆け引きもしない。
媚びない。
怯えない。
空気も読まない。
だから余計に気に入らない。
彼らが何十年もかけて守ってきた“格式”を、レイは天然で踏み潰していく。
しかも本人は無自覚。
それが最悪だった。
「聞きましたか?」
トルタ伯爵が笑った。
「先日、王宮で窓を破壊したそうですよ」
また笑い。
「獣らしい」
「躾もされていない」
「王家もよく飼っていられる」
そして。
最も嫌らしい笑みを浮かべながら、ビスコッティ侯爵が言った。
「まあ……」
酒を一口。
「どうせ長くはないでしょう」
「ほう?」
「獣は賢くない」
にやり。
「少し持ち上げれば、いずれ失敗する」
「なるほど」
「戦場で死ぬか」
「あるいは王家に疎まれるか」
「どちらにせよ」
パンナコッタ子爵が静かに笑った。
「我々の席に座れる存在ではない」
その空気は、腐っていた。
誰も地方の死者を悼まない。
誰も魔物被害を気にしない。
ただ。
“自分たちの世界に入ってくる存在”が不快だった。
それだけ。
その時だった。
廊下の向こうから。
「のだぁあああ!!」
全員が止まった。
「……何だ?」
どたどたどた。
近づく足音。
そして。
ばんっ!!
扉が開いた。
「のだっ♡」
銀髪の大男。
レイである。
しかも片手に串焼き。
もう片手に酒。
完全に酔っていた。
「ここ暖かいのだぁ!」
貴族たちが凍りつく。
「……な」
「何故ここに」
「のだぁ?」
レイはきょろきょろ見回した。
「酒場かと思ったのだぁ」
「違う!!」
トルタ伯爵が怒鳴った。
「ここは選ばれた高貴なる者の社交場だ!!」
「のだぁ?」
レイは首を傾げた。
「じゃあ何でみんなこんな暗い顔してるのだぁ?」
一瞬。
空気が止まった。
レイは本気で不思議そうだった。
「せっかくお金いっぱいあるのにぃ!」
どやぁ。
「もっとお肉食べて尻尾振ればいいのだぁ!」
静寂。
そして。
何人かの若い女中が吹き出した。
「っ……!」
「ふふっ……!」
貴族たちの顔色が変わる。
真っ赤だった。
怒りで。
だが。
レイは気づいていない。
「のだぁ?」
串焼きを食べながらきょとんとしている。
その無邪気さが、余計に彼らの神経を逆撫でした。
なぜなら。
彼らが命を懸けて守っている“格式”を。
この獣人は。
本気で理解していないからだった。




