8 エスコートのお願いとお色直し
「……それからですねぇ、研究所内で変なことがあると、いわれもなにもないのに真っ先に疑われるようになりましてぇ。困ったものですぅ。」
やれやれというジェスチャーとともにため息をこぼすルクル。プラティーがいたら、「普段の行いです!」と、正面からド正論で殴ってくるだろう。だが、悲しいかな。常識人枠兼苦労人枠の彼女はここにはいない。
いつの間にか、外はうっすらと暗くなり始めている。
聞き手の少年がずっと目を輝かせているものだから、ついつい話し手も興がのってしまった形だ。
ルクルは最後にカップに残ったお茶を飲み干してから、そろそろ行きますかぁ、と立ち上がる。
ラインも、そうですね、と名残惜しそうにするもひょこっと立ち上がり、二人のカップを手早く洗う。
身支度を整えると、ラインは顔を真っ赤にしてルクルの前に立ち、何かを言いたそうに手を出そうとしたりひっこめたりする。
ルクルからするとあまりに微笑ましい仕草だった。彼女はスッと手を出して純情な葛藤に苦しんでいる少年に笑顔を向けた。
「外はもう薄暗いですねぇ。私はこの村に来たばかりですしぃ、道が分かりません。エスコートお願いしますねぇ。」
「は、はいぃ!」
声も上ずらせて、ラインは差し出された手を取った。その瞬間、ラインは自分が投げ飛ばされるのを幻視する。しっとりとした女性らしい薄衣を纏ったような手、しかし、それだけではない。芯には底知れない暴力を秘めていた。
真っ赤な顔も、胸の高鳴りもそのままに、さらに想いを強くして、ラインはその手を優しくそれでいて力強く握る。
「ルクルさん、ご案内します。」
食堂に向かう道中、もう暗くなりかけていたとはいえ、人通りはゼロではなかった。
シスター服のルクルを目にする村人は、男女問わず振り返る。特に男は視界に入れた途端に固まりぽかんと口を開けていた。パートナーがいれば小突かれるまでがセットである。
ラインは顔を真っ赤にしたままではあるが、手を放すことなく堂々と歩いていく。
やがて、目的の食堂にたどり着いた。
「こんばんはー。」「こんばんはですぅ。」
仕事の終わりで、そして噂の美人さんが来るというのが広まっていたのか、食堂は賑やかな喧騒に包まれていた。そこに少年らしい元気な声と、間延びしたのほほんとした声が響く。
「お、噂をすればだな。おーい、ライン。噂の美人さ、ん、は……。」
ラインたちが入ってきたのを目ざとく見つけたおっちゃんが彼らに声をかけるが、その声は尻すぼみになっていった。そんな最初のおっちゃんの様子に、周りの男たちがなんだなんだとその視線を追い、原因にたどり着くと同じように声を失っていく。
彼らの目には純白の聖女が映っていた。
笑みを絶やさない柔らかい雰囲気を纏いつつも、芯の通った姿勢からくる凛々しさは見るものを圧倒する。思わず跪いてしまいそうな神聖な佇まいは、村の食堂にはあまりにも場違いであった。
中身を知らないというのは幸せである。
賑やかだったはずの食堂が静かになり注目の的になる事態に、意を決してここに来たはずのラインもちょっと戸惑い足が止まった。
そんな状況で、ただニコニコ?としているルクルを除外して、一番先に我に返ったのはやはりママさんだった。
「ライン君!ルクルさん!よく来たね!」
村長の奥さんは、旦那、ヴァッヘと奥のテーブルで一緒に待っていたらしく、二人の方に歩いてくる。
「あっちに場所を確保しているから。ライン君は向こうで男どもと一緒にちょいと待っていて。」
「はい!」
「よし!」
元気の良い返事に奥さんはにこやかに答えると、その視線をルクルに動かす。
「ルクルさん、あなた、そんな綺麗な服じゃ汚れた時大変さね。ちょいとついてきな。こうなると思って準備してあるから。」
「それじゃあ、お願いしますねぇ。」
ルクルはそう言われると、ごく自然に手をほどき、するっと前に出る。ラインは握っていた手を名残惜しそうにみていると、不意にくるっとルクルが振り返った。
「ライン君、また後でですねぇ。」
それじゃあ、と手を軽く振りつつ、ルクルはいつの間にか奥さんの周りに集まっていたママさん達と共に奥に消えていった。
見た目聖女がいなくなると、食堂には徐々に喧騒が戻ってくる。
「おい、あれ……。」「えらい別嬪さんだな……。」「お酌してもらいてぇ……。」
知らないとは幸せなものである。
ラインはふと我に返ると、村長たちが待っているテーブルに向かった。
道中、「どこであんな別嬪さんひっかけたんだ!」「あんな美人初めてみたぜ。紹介してくれ!」などと、バシバシ背中をたたかれながらからかわれるが、嫉妬もやっかみもそれほどない、みんな笑って暖かい雰囲気であった。
「村長、ヴァッヘさん、こんばんは。ただいま着きました。」
「ライン。ご苦労。」
「ライン君、お疲れさま。……あのシスター服の女の人がさっきの彼女かい?本当に同じ人?」
ラインは村長の正面の席に座って、頬をかきつつヴァッヘの問いに恥ずかし氣に答える。
「同じ、人です……。ぼくも最初見た時は周りの皆さんと同じ様な感じになりました。」
ははは……と、頬を紅潮させ、はにかみながら口を開くさまは、これまで村から、いや、国から重要な役割を与えられ、その肩に重荷を背負っていた少年からは見られなかった、年相応の恋する少年のものであった。
この様子を大人の二人は孫や子供のようなラインの成長を微笑ましく思うように感じるも、一方で危うさも感じていた。食堂に来るときに手を引いてきた事といい、さっきの別れ際といい距離が妙に近くはないか。
「ライン君、さっきまで君の家でルクル殿と何を話していたんだい?」
そう聞かれるや否や、ラインは目を輝かせて先ほどまでお茶を飲みながら話していた事を語った。
ルクルが今まで起こしてきた騒動の数々。ルクルほどの人が壁にぶつかり乗り越えてきたエピソード。
それはもう本当に楽しそうに二人に話すライン。誰が見てもルクルに憧れか、それ以上の感情を持っている少年そのものだった。
その姿に一種の危機感を覚え、村の平穏を護るものとして村長はラインに問う。
「ラインよ。おまえさんがルクル殿を好ましく思っていることはよくわかった。だが、こう言ってはなんだがそなたの家で、ルクル殿に怪しい様子は無かったか?」
「怪しい、ですか。」
「そうだ。落ち着いて今日の出来事を振り返ってみるがいい。」
甲高い悲鳴のような音が大氣を震わせ、村の周囲の魔物が異常な行動をとり、祠の封印に綻びが生じた。封印を補修しに向かい、その帰りに魔物に襲われていた結界師の元に、タイミングよく、魔物の群れを苦もなく撃退できるほどの人物が現れ、その結界師に恩を売り、村に恩人として訪れることになった。
いくらなんでもできすぎではないだろうか。
「偶然というのはな。二つも三つも重なると、必然というものになるのだ。」
「で、でも、ルクルさんは……。」
「ライン君、君は直接危ない所を助けられた。ルクル殿は命の恩人だ。疑いを向ける村長の言葉を受け入れたくないのも分かる。俺も君の立場だったら、『何言ってんだこのクソ爺』と内心思っているよ。」
見事な橋渡しであるが、なにか余計な一言がついていた。
「……ヴァッヘ。」
「おっと、失礼村長。ライン君、ただこれは覚えておいてほしいんだけど、ルクル殿は確実に何か目的を持ってここに来ている。君と一緒にいたのは偶然で、君に向けている笑顔も本物かもしれない。好きな気持ちを持ってしまうのは自然なことだ。あんな美人さんだしね。でも、全部を信用していいわけじゃない。それだけは氣にとめておいてほしい。」
「……。」
「ラインよ。もしおまえさんがこの先、成人をむかえ妻を娶れるときに、まだルクル殿が隣にいる、もしくは来てもらう事になったとしよう。夫婦になるんじゃ、隠し事はできん。特にお役目についてはな。全部を打ち明ける必要がある。あの様子を見るに完全な部外者、この村の因習も知らん。そんな状態で話を聞かされ、ルクル殿はどう受け止める?」
「ぼ、ぼくは……。」
目を輝かしていた先ほどまでの様子とは打って変わって、見ないようにしていた事実を正面から向き合わされて打ちひしがれるライン。
「悪いことは言わん。深入りはせんほうがいい。」
テーブルに気まずい沈黙が流れる。
年長者二人は、ちょっと言い過ぎたかとアイコンタクトをとるも、言う必要があったことは事実だ。
少年が、大切なことを飲み込むまで黙って見守る。
そんな中、ほどなくして奥からのんびりとした声が響いてきた。
「これがこの村でぇ、お祭りのときに着る服ですかぁ。」
カラン、コロン……
食堂の喧騒の中、波紋が広がるように涼やかな音が染みわたっていく。そして、沈黙もまた広がっていく。
その中心に立っていたのは、深く澄んだ藍色に染め上げられ、この土地で咲く紫色の花の刺繍を施された前合わせの薄衣を纏ったルクルであった。腰の位置で幅広の布が締められているので、本来ならすらっとした直線が現れるはずなのだが、彼女の女性らしい豊かなプロポーションが凄まじい破壊力でもって強調されている。
カラン……
一歩踏み出すと、聞こえないはずのさらりという衣擦れの音が頭の中に直接響いてくるようだった。
ルクルは自分が注目されていることを悟ると、隣に立っていた給仕の女性に目を向ける。
「そのお酒、いただいてもいいですかぁ?」
「は、はい。どうぞ。」
ルクルはニコォっと笑い、女性から両手を使ってお酒の入ったカップを受け取ることでおしとやかさを演出。
次の瞬間、ルクルは片足を少し前に出してやや腰を落とした。そうすると、深いスリットから染み一つない白磁のような太ももが覗く。そして、片手を腰に当て、勢いよくカップの中身をあおった。
——おお……
グビッ、グビッと豪快に喉の鳴る音が周囲を満たしていく。
やがて、ルクルは真上を向いた。
「ん~~~、ぷはああ~~~。おいしいですねぇ!」
豪快な飲みっぷり。そしてくるっと顔を男共の方に向けた。
「みなさ~ん!飲んでますかぁ!」
「「「おお~~~!!!」」」
沈黙からの雄たけび。一斉に場が盛り上がり、あちこちで今の飲みっぷりを讃える声が上がる。
「これ、ありがとうございましたぁ。」
ルクルはそう言って、給仕の女性にカップを返す。
そんな酒豪っぷりに目を奪われていたライン達三人。
「ルクル殿は飲める口なのだな。……辛気臭い話は今はここで終わりにしよう。どんなに怪しく思えても、そなたの恩人には変わらないし、それはこの村の恩人ともいえる。」
「そうですね。お酒も料理も楽しくいただきましょう。……ライン君。もし、ルクル殿をお嫁さんにしたいなら色々と覚悟が必要だよ……。」
周囲の喧騒と、是非こっちに来てくれという誘いを軽やかにいなし、ルクルが向かってくる。
「はは、ははは……。」
ラインは、照れて真っ赤になりつつも、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。




