4 邂逅
「はあ、はあ……、あ、あと少し……。」
早鐘のように鳴り響く心臓の音を無視し、ラインは森を駆け抜ける。後ろからは先刻の空から響いた甲高い悲鳴のような異音に興奮したのだろう、魔物の群れが迫っていた。
「あそこで…、フォレスト……、ウルフに……、みつかったのが、なぁ……。」
息も絶え絶えにラインは愚痴をこぼす。
身体が空気を欲して呼吸が荒くなる。
筋肉が休息を求めて、氣を抜こうものなら足が止まる。だが、足が止まるという事は魔物の群れに飲み込まれることと同義だ。
絶対に、それはできない。
この命は自分一人だけのものではないのだから。
決意を新たにして、村の結界内まであとわずかとなったところで、またも異常に氣がつく。
走っていく、もうすぐそこに、白い服をところどころ赤く染めた女の人が歩いていた。
少し時間はさかのぼる。
ラインは村の結界を抜けてから慎重に行動していた。
そもそもこの村に張ってある結界は、魔物の無意識に作用することで、自然に迂回・避けるようなタイプのもの。万一、周囲の魔物が暴走しても、ごく自然に村へのルートから外れて別の方向へいくことだろう。
無差別に暴走する魔物の群れをして、村の結界に影響がないのはその為だった。
その特性を活かし、村を出る際にラインは同じ結界を自分に張り、最短距離で祠への道を駆けて行く。
いつも、通っている道だ。迷うはずもない。だが、先の大氣を揺るがす音にパニックを起こしたのか、いたるところで魔物が暴れていた。
——いつもなら村の結界の影響か、魔物なんてほとんど出くわさないのに……。
見つかる危険を冒さぬよう、心の中で愚痴をこぼす。
結果的に、普段の倍以上の時間をかけ、祠にたどり着いた。
そして、祠の状態に愕然とする。
「え、なんで!結界にほころびが!さっきの音?いや、今はそれよりも結界の修復をしなきゃ!」
ラインは自身の魔力を祠の結界に注ぎ込む。
この祠は太古の昔、8つの谷、8つの山に及ぶ巨大な怪物を封印した結界の核であるとされている。その封印を代々担ってきたのが、この国の人間で、ラインは今代の護り手であった。
——村の結界を維持する魔力は残して……。
さきほどの大氣を揺るがす振動が、なぜこれほどまでに封印に影響を与えているか。ラインは困惑を押し殺しながら必死に封印の修復に意識を集中する。
こちらの封印は、村の結界とは異なり、中身を逃がさないようがっちりと固めるものだ。
それがほころび、ひび割れているなら、すぐに直さないとやがて後戻りが出来ないくらいのものになり、最終的には封印が破られるだろう。
そうなれば、村はもちろん、この国が亡ぶ。
いや、この国だけで済めば御の字だろう。
伝承の通りなら、大陸中の全ての国の危機だ。
——それだけは何としても避けないとっ!
決死の修復作業の甲斐あってか、結界のほころびが治まり、祠が纏う雰囲気も通常のものとなってきた。
「ふう。これで何とか一安心だ。でも、応急処置だから、村長に話してしっかりかけなおさないと。」
体力・気力・魔力をふり絞って、疲労困憊なラインは、少しだけ祠で休息をとる。ここには、簡易ながら村と同種の結界が張られており多少休む分には問題ない。
ただ、ラインは異変の後、急いでここに来たため、水や食料など長い時間を休憩に費やせるような準備はしていなかった。
乱れた息を整えて、ラインは立ち上がった。
「すぐに村長に報告しなきゃ。……魔力は、隠蔽の結界は張れないから、残りをいざというときのためにのこして、静かにいこう。」
祠から離れ、ラインは来た道を引き返す。
細心の注意を払って氣配を消し、進んでいく。
幸いにも道程の半分ほどまでは魔物に見つかることなく進むことが出来たが、そう、半分だけであった。
ガウガウッ!
——見つかったっ!
慎重に進むラインの背後からフォレストウルフの獰猛な声が響く。
——とっておいた魔力を身体能力強化へ!
ラインは剣を抜き、自分の喉笛を噛みちぎらんとするフォレストに一閃。その首を断つことに成功した。
フォレストウルフは通常、群れで行動する。ラインに襲い掛かってきたフォレストウルフも例にもれず複数であった。
ラインはなんとかなけなしの魔力で己を強化して残りのフォレストウルフも撃退。直近の危機は凌ぐことができた。
だが、その為に、消していた気配が露わになり、周囲の魔物に感づかれてしまった。
視界内にいるものから、氣配だけ感じられるものその大半がラインに向かってくる。
「……っ!」
こうなってしまったら気配を消しても無意味だ。
ラインは村への進路を定め、残りの魔力を体に流して全力で走り始めた。
そして、物語は冒頭に戻る。
ラインのもうすぐ目の前には場違いな女性。しかも服をところどころ赤く染めて怪我をしているのはあきらかだ。そんな人が後ろの魔物の群れから逃げれるだろうか。
——このままだと女の人が死んじゃう!
「逃げてっ!」
「およっ?」
その女性はラインの絶叫に近い声を受けてもとぼけた顔のままで歩みを止めない。
ラインは女の人に許可なく触れることに若干の後ろめたさを覚えながら、それでもその人の命には替えられないと思い、その手を取って一緒に駆けようとした。
「もうちょっとやさしくエスコートしてくれますかぁ。」
ラインがその女性の手を取った瞬間、不思議な事が起こった。
浮遊感を感じ、視界が逆転している。
——えっ?
一瞬の空白の後、ラインは進行方向にあった木に上下さかさまで背中から激突した。
「かはっ。」
息が詰まり大地に頭から落ちる。だが、混乱はしていられない。魔物の群れがもうすぐそこまで来ているのだから。
ラインは一拍の自失から無理やり立ち直り、女性の方を見るとワイルドボアが激突する寸前だった。
——だめっ!
ラインは女性が無残に吹き飛ばされ踏みにじられるのを幻視する。
だが、その幻を打ち砕いたのは、大地を揺るがす震脚と氣の抜けた声だった。
「えいやっ」
氣合いも氣負いも感じさせない掛け声。しかし、その声と同時に大地に踏み下ろした足はこの喧騒にあっても腹の底に来る重低音を響かせ、なによりも繰り出したこぶしは、ワイルドボアを粉砕した。
「……え?」
一瞬の空白。ラインは危機が迫っている状況も忘れ、目の前の光景に目を奪われた。
「ん~、数がおおいですねぇ。」
女性は、ワイルドボアを粉砕したのに、何事もなく、ただただ自然体で佇んでいた。
「じゃあ、こうしましょうかぁ。二重奏ですかねぇ。《雷撃》。びりびり~、どっか~ん。」
襲い来る魔物の群れに向かい、女性は一言、力宿る言葉:《言霊》の魔術を口にした。そして手をかざすとそこには何重もの魔法陣が展開され、氣の抜けた声と共に極太の雷撃がほとばしる。
目を焼く閃光と、鼓膜を殴る轟音。
ラインは何とか目だけを閉じた。轟音が収まった後、何度か落ち着くための深呼吸を繰り返してそっと目を開ける。
そこは、日当たりのよい空き地が広がっていた。
「これで静かになりましたねぇ。」
相変わらず微塵も緊張感を感じさせない声が響く。魔物の群れを全滅させた女性はくるっと向きを替えてラインの方に歩いてきた。
ラインは腰を抜かしたまま動くことが出来ない。女性から目を離すことも、出来ない。
「言葉が通じないのは不便ですからねぇ。ちょっと失礼しますよぅ。」
女性はラインの頭へと手を伸ばす。
だが、そうであってもラインは動けなかった。
とても、とても、楽しそうに笑う、まるで久しぶりに使うおもちゃを手にした子どもの様な笑顔に心を奪われていたからだった。




