22 領主の命令
ヴァッヘが祠から戻り、休む間もなく自警団の詰め所で必要な指示を出す。そして、今後の方針を話し合うため、村長宅に向かった。
そこにはここ数日で一氣に老け込んだ村長と、彼を支える妻のグリシーナが待っていた。
「村長……。」
「まあ、座りなさい。奥さんや、ヴァッヘにお茶を出してやってくれ。」
あいよ、という返事と共に席を立ち、グリシーナは台所に向かう。すぐに、お茶とお茶請けがヴァッヘの前に出てきた。
外から聞こえる主婦達の喧騒が遠い。
「……領主様からの命令じゃ。次に祠で封印に綻びが生じる事態が起きた時、即座に儀式を執り行うように。だそうじゃ。」
「……。」
ヴァッヘはすぐに返事を返すことができない。言葉が喉元から出かかっているものの、形を為さない。頭に浮かんでくるのは毎日を一生懸命生きている少年の姿。
村に来たばかりの頃、他の結界師に村を守る結界の維持の方法を習っているときのことや、同年代の子どもたちとあまり馴染めなかったが、祭りで皆と食べて踊っているうちに打ち解けていったこと。子どもらしくないことも、年相応なこともやってきた、ただちょっと『——』への適性が高かった少年。
そして、たった二日前に村に訪れた全く得体の知れない女性。研究者といいながら、自警団の者たちをいとも簡単にのし、飲みの場でも大食漢かつ酒豪。そんな女性にわかりやすい憧れを抱き想いを寄せているであろうこと。
お役目さえなければ、移動の自由さえあれば、もしかしたら彼はこの村を出ていったかもしれない。だがそれは許されない事であったし、彼自身も理解しているだろう。
もし全てを捨ててでも行くというのなら自分は止めなくてはならない。だが、止められるだろうか。あのいつもどこか張りつめていたものが消え失せ、心から笑うようになった少年を。
「村長、申し訳ありません。昼間、村長からの連絡の後、ライン君が祠に残りたいと言ってきたのですが、不自然になるくらい強く村に戻るように言ってしまいました。……聡いあの子のことです。察してしまったと思います。」
なぜ、あそこまで強く言ってしまったのだろうか。その前から意識して抑えようとしていたのがいけなかったのか。ただ、もうなにを思おうともあの場には戻れない。
「村長。もし、その時がきましたら、私が」
「いや、わしが伝える。わしの役目じゃ。こればっかりは誰かに譲るわけにはいかんのよ。ヴァッヘよ。村長というのはな、こういうときにいるものじゃ。断じてその責任から逃れるわけにはいかん。」
絶対に譲らない断固たる意志。長年、祠の管理を任され村を守り、国に貢献してきた男の矜持であった。そんな夫を支えるように横にいる妻、グリシーナは胸に抱えるものをどこに向けることもできず、視線を下に落とすばかりであった。
「やるせないねぇ。まだ成人にもなっていない子どもだよ。そんな子どもを生贄に捧げて生きながらえるあたしらに価値ってあるのかね。」
施設で一緒に育ち共にこの村に来たもの。子どもが生まれた矢先にお役目をまっとうしたもの。そして、いままさに人生で初めてであろう恋をしているもの。
村長が力なく握るコップの水面は微かに揺れていた。
「……わからんよ。だが続けなければならん。そうでなくてはこの村はもちろん、国が滅ぶ。それにいままで犠牲になったものたちも、その死が無意味なものになってしまう。」
村長は何人、見送って来たのだろうか。一世代に一人か二人くらいのペースというのは、犠牲者の数を、血塗られた年月で均しただけの話だ。だったら、ある時期に集中してもおかしくは無い。
それが例え歴史の本の中の出来事ではなく、現在であっても。
「奥さんや。しかして、儀式の準備は早くていつ頃整うだろうか。」
グリシーナは振られた問いに答えるべく、目をつぶり、作業を任せている女衆の状況を思い浮かべ、
「明日の朝には整うさね。」
「随分、早いの。」
領主の命が下ったのは、先ほどだというのに随分と手際がいいものだが、それにはもちろん理由がある。
「当り前さね。基本、いつ起きてもおかしくはないんだ。常日頃から準備しているのは当然。『いつもと違う』ことが起きた一昨日から『色々と』合わせている。」
『起きないに越したことはないんだがね』と、最後には吐き捨てるようにグリシーナはつぶやいた。
「すま……」
「すまないなんて言うんじゃないよ。あんたの妻になった時から覚悟してやってきてるんだ。なんだかんだ言ってもやることはやる。」
自身の謝罪を遮るように重ねられた妻の言葉。
「まあ、とにかく明日以降はすぐできるような状態を維持しておくよう指示しておくさね。あんたはあんたでやることやんな。」
「いつもありがとう。奥さんや。」
そこには長年連れ添ってきた夫婦の絆が確かに現れていた。
心からの納得はできないがやらざるをえない問題に対しての状況確認は出来た。すべきことも進んでいる。
そして、話題は自然と、目下最大の不確定要素に移ることになる。
「ルクル殿は、どう動くでしょうか。」
動かない、などとは考えない。彼女は必ず動く。ヴァッヘはそう確信していた。彼女の人となりはこの短い期間でもある程度は掴めている。興味のないことにはとことん無関心だが、興味の持つことに対してはあらゆる障害を排して自分の求めることを掴んでいくだろう。眼がそう語っているのだ。
初日の宴会での話から、ルクルの興味が、ラインと祠の繋がりや封印そのものではないかと目星がついているし、祠の異常が発生した時期と彼女が現れた時期、ほぼ同じタイミングだったことからも無関係ではあるまい。
そんな人物が自分に懐いてくる少年——しかも祠の封印の要——が思い煩い、自ら生贄に進んでいく様子をみて放っておくだろうか?ありえない。
ただ疑問なのは、なぜ個人で動き祠を調査しないのか、であった。
彼女の武力であればたとえ私たちがどんなことをしても、何事もなかったかのように祠に足を運んで自分の氣がすむまで色々とやっただろう。
それなのにもかかわらず、村の中いて外の森にでるわけでもない。
人柄と行動が一致していなかった。
「正直に言ってわからん。だが、わしらがどうこう出来ない以上、外に応援を求めるしかあるまい。」
そう、先の訓練で明らかになったが、自警団ではルクルを抑えることは出来ない。彼らが例え死ぬ氣で挑んでも、本当に無人の野を征くがごとく歩いていくのが目に浮かぶ。
では、どこに応援と求めるかというと、
「領主様に?」
「うむ。おぬしに聞いた自警団との訓練の様子や、わしらが考えているルクル殿の目的をお伝えしておる。……どうじゃ?騎士団であればルクル殿を何とかできると思うか?」
村長といえど、騎士団が村々を巡回するときに、村の代表として挨拶し、滞在する際の便宜を図る程度しか面識はない。
だが、ヴァッヘはそのときに騎士団に自警団の訓練をつけてもらっているはずだった。
「……こう言うのは失礼になるでしょうが、正直に言わせてもらえばそれでもなおルクル殿を何とか出来るとは思えません。」
言いにくそうに思う所を伝えるヴァッヘ。希望的観測を伝えても無意味だろう。いや、むしろ有害にしかならない。
「私達自警団は騎士団から色々と手ほどきをうけ、そのうえで日々の訓練に励んでおります。もちろん一対一では敵いませんが、騎士一人を全員で囲めば、『訓練であれば』勝てます。しかし、ルクル殿は勝てるような想像が出来ませんでした。これを逆に、ルクル殿に騎士団が多人数で勝負を挑んでも彼女ならどうとでもしてしまうような氣がしてなりません。」
「それほどか。」
ヴァッヘの冷静な見立てに言葉を失う村長であるが、思考を放棄するわけにはいかず、かといってすぐに妙案が思い浮かぶわけもなく、天を仰いだ。
そんな男二人のやり取りを見て、やれやれとグリシーナはため息を漏らす。
「だからその件については、こっちに引き込むしかないって言ってるだろう?それがいやなら、もしことを起こす時に、美味い飯でも誘って、たらふく食わせて動けないようにした方がまだましなんじゃないかい?なんだってこう力尽くで解決しようとするかね。」
「奥さん!」
引き込むことはまだしも、ご飯で釣る?真剣に対策を検討しているこの場にそぐわない、あまりにもあまりな意見に流石に妻に甘い村長でもやや語氣を荒げてしまった。
「あたしゃまじめだよ?引き込む事についちゃ、食堂でいったとおりさ。ライン君の嫁になってくれりゃ、ライン君が喜ぶし、外の優秀な血をこの村に引き込める。ルクルさん、『凄く』という言葉じゃ足りないくらい強いんだろ?それこそ騎士団よりも。だったらなおさら力以外の方法でなんとかするしかないだろう?」
力尽くではどうしようもない以上、正論ではある。あるのだが……。
渋面を浮かべる男二人に対してやれやれという風にため息一つ。
「まあ、なんぼ美味い飯で釣っても、興味を持ってくれなかったらどうしようもないからね。……その騎士団とやらはいつ頃この村に着くんだっけ?」
「……三日後じゃ。」
三日。村長から告げられた応援到着までの日数。普通なら喜ぶほど早い到着だろう。しかし、異変が起きてからここまでのあまりの展開の速さと比べると、氣が遠くなるほどの時間といえる。
はたして、そこまで封印に何も起こらないのだろうか、あの客人はなにも行動をおこさないのだろうか。
霧の中を進んでいくように、芯に響いてくる緊張感を伴った三日になるだろう。
「何もないことを祈ろうじゃないか。」
——どうか、あの子が一日でも長く健やかに過ごせますように。どうかいつもと同じ明日が訪れますように。
グリシーナは祈るしかなかった。
「《隠蔽・解除》」




