16 通信の回復
村の食堂は、昨日のどんちゃん騒ぎとは打って変わって、それなりに落ち着いた雰囲気に終始していた。村の客人たるルクルと、その案内役を任されているラインも夕食を済ませ、先ほど自宅に戻っていったところだ。まあ、ルクルに至っては、自警団員から『姉御』と呼ばれるようになっていたり、昨日と同じ様に色氣が漂ってくるような村の祭りの伝統衣装を纏っており、目の毒ではあったが、概ね問題は無かった。
後片付けも終わり、ほとんど客も引けた食堂の一角。村長とその妻グリシーナ、そして町の治安を預かる自警団団長のヴァッヘの三人がテーブルを囲っていた。
「して、ヴァッヘよ。ルクル殿の『武』はいかほどであったか。ラインからはワイルドボアを一撃で倒したとしか聞いておらぬからな。おぬしから見て何かあった場合、われらで対処できそうか。」
村長の質問に対し、ヴァッヘは力なく首を振りはっきりと答える。
「無理ですね。技量に大人と子供以上の差があります。それだけではありません。後半は自警団全員と一対多で魔力による身体強化有りで模擬戦を行いましたが、有効打を与えることは出来ませんでした。さらに、この模擬戦が始まる前、ルクル殿は魔力による身体強化を行った自警団員の一撃を、その身に纏った魔力膜で防ぎ、微動だにしていません。」
そこで、ヴァッヘは一息おく。情けないとばかりに目を伏せ、
「しかも彼女の本職は研究者。そのような人物が魔法より体術が優れているとは考えにくい。……もしルクル殿がその氣になって事を起こした場合、我々は止める術を持ちません。」
「そうか……。」
視線をテーブルに落とす二人。その背には悲壮感すら漂っていた。たった二日。そう、日常に綻びが出来てまだたったの二日である。その短い間で彼らが対処できるキャパを超えかける出来事が起こっていた。
昨日、天から悲鳴のような音がこの地一帯に響いて、それを切っ掛けにしたのか祠の封印に綻びが生じ、それを追うように正体不明な規格外の女性が村を訪れた。
幸いにも、なんとか封印の綻びは修復でき、件の女性は行動の予測がつかないながらも話は通じるくらいの良識は持ち合わせている。
だが、危うい状況だという事は変わりない。どちらかでも今以上の動きがあればいとも簡単に日常は崩壊するだろう。
村を治める者、村の治安を守る者、両者の肩に重責がのしかかっていた。
そんな二人を尻目に、「辛気臭いねぇ」とため息をつきながらグリシーナは手元のカップをあおっていた。
「そんな下を見たって状況は良くならないさね。」
「奥さん、簡単に言ってくれるな……。」
「なに、事実じゃないかい。」
旦那の弱気な反論を、グリシーナはぴしゃりと跳ね除ける。
「だったら対応策を考えてくれてもいいだろう。」
「あたしの方針は昨日から変わってないさね。排除できない。取り押さえることもできない。その行動をコントロールすることもできない。ならこちら側に引き込むしかないじゃないか。」
きっぱりとグリシーナは告げる。だが、まだ二日しか彼女が来て経過していない。いや、グリシーナがルクルに粉をかけたのは昨日。それも着替えを手伝った短い時間での判断である。ほぼ直感といってもいいだろう。
「グリシーナさんがルクル殿と接していたのは、2回の着替えを手伝ったときでしたよね。それから昨日の宴会でのスカウト……。即断といってもいい。なにがあなたにそうさせたんです?」
そうヴァッヘに問いかけられるとグリシーナは視線を上にあげ思い起こすように言葉を紡ぐ。
「女の勘。……といってもあんたらは納得しないだろうね。言葉にすると割と簡単なんだけど、纏っている雰囲気がね。尋常じゃない。」
「それはわしらもよくわかっている。」
村長の、『自分たちもわかっている』という反論に対して、「違う違う」とグリシーナは首を振る。
「おそらくだが、あんたらとあたしの感じているものは微妙に違っている。あんたらは現実的な脅威に対して、ということじゃないかい?」
村長とヴァッヘ、二人はその言葉に特に異議はないようでお互いに視線を交わして頷く。
「あたしが感じたのは彼女自身の在り方、というものかもしれないねえ。」
着替えを手伝った時のことを思い出すように言葉を選んでいくグリシーナ。
「なんかね。人間味が薄い。あたし達のこともただの観察対象というのかね。人間として見ているのかどうかすら怪しくてね。」
表面上はあのとぼけた口調で分かりづらくはあるが、あの眼の一枚下は無機質な、なにも感じることができないナニカだった。そんなもので自分の心の内をそこまでさらわれるのは薄ら寒かった。
あの瞳でみられた時、思わず総毛立っちまったよ、と苦笑交じりに告げる。
「……それならばなおのこと、どうして取り込もうと思うのか。」
「……この村、いつからこんなこと続けているんだろうねぇ。」
村の指導者足る者たちにとって『こんなこと』とは言うまでもないだろう。
「一世代で一人。ないしは二人。封印に喰わせて。」
「グリシーナさん、喰わせるというのは……。」
「『喰わせる』以外に最適な表現があるかね。引退した結界師からは『生贄になった者の存在そのものが封印に取り込まれていくようだった』って聞いたね。一方で体は外傷もなく綺麗なもんだったと……。あたしらを人間たらしめる体以外の全部がそっくりそのまま封印に使われる。不気味ったらありゃしないね。」
どこか罪悪感をともなっているかのようなグリシーナの発言を聞いていた二人は驚きを隠せない。一歩間違えればこれは村の存在意義の否定、ひいては国からの命令に背く意志有りとも取られかねない内容だからだ。
「奥さん、それ以上は。」
「わかっている。話がそれたね。ルクルさんを取り込む理由、だったかい。」
そこでまたグリシーナはカップを手に一息つく。
「毒を以て毒を制す。みたいなもんさ。タイミング的に、彼女と祠の封印が無関係なんてありえないだろ?もしかしたら、くそったれな因習をぶっ壊してくれるかと思ってね。それと、ラインだ。」
さきほどまでの険しい表情から打って変わってグリシーナは孫を思うような穏やかな表情を浮かべた。
「たった二日だ。それだけであの子が心から楽しそうに笑うようになった。まじめで年に似合わない責任感を持っちまったあの子が、よくわからないお姉さんに懐いて笑ってる。いや、昨日の宴会の時には、ああだったから、もう一目惚れみたいなもんだろう。……あたしらはあんな子を生贄に捧げるのか、自分たちのために。」
村長が口を開きかけるが、言葉が出てこない。分かっているのだ。国を、この地を守るためとはいえ、若い命を捧げるという仕組みは、それ自体が歪で間違っているのだと。
「とはいえ、お勤めを蔑ろにしたらこの村はもちろん国が滅びてしまう。あたしらがやめるわけにはいかない。だから部外者がなんとかしてくれるかも、なんてね。」
他力本願も甚だしいねぇ、と言いながらグリシーナはカップに残っていた物を飲み干す。
「奥さんの願いはわかった。取り込みの働きかけもやっていこう。村の女たちと協力してやってくれ。隙をみてラインに入れ知恵してもかまわん。」
「村長!」
「ただ、現実的な対処も疎かにするわけにはいかん。明日、事の次第を書き記した手紙を町に送り領主に判断を仰ごう。」
「それが妥当なところだろうね。」
今後の方針が決まり話は一段落する。やるせなさと諦観、未知への不安と期待が折り重なりこの日の夜は過ぎていった。
一方でお腹を満たし、のんびりと食堂からの帰途についているルクルとライン。
「ご飯、おいしかったですね。」
「はいぃ。お腹もいっぱいですしぃ、家に帰ってまったりしましょうかねぇ。」
「そうですね。ところでルクルさん、いつの間に別のやつを用意したんですか。」
そう、ルクルは昨日の食堂では藍色の薄衣を纏っていたが、今日は桜色のものに袖を通していた。
昨日は魅惑的な色氣で男衆を惑わしていたが、今日はおしとやかな色氣で奥手そうな男共の心臓を撃ち抜いていた。
「昨日ですねぇ。藍色のやつと一緒にグリシーナさんに用意してもらいましたぁ。どうですぅ?綺麗ですかぁ?」
もちろん、心臓を撃ち抜かれている男の中にラインはいた。はっきり言ってずっと直視できていない。いたいけな少年は、一番破壊力のある状態——お風呂上りのしっとりとした髪を後頭部で結い、うなじを出してリビングに来たとき——を一目見た時点で色々とやられていた。
「も、もちろんです。すごく綺麗です。」
「そうですかぁ。ありがとうございますぅ。」
真っ赤な顔をして視線をそらすラインをニコニコ顔で見やるルクル。傍からみると仲の良い姉弟のようにみえると同時に、姉のせいで色々とこじらせないか心配されるだろう。
そんな仲の良さそうに見える二人は雑談を交わしながら夜道を歩いていく。
そして、程なくすると家にたどり着いた。
ラインが鍵を開けて中に入っていくのを見届け、ルクルは誰にも聞かれないよう細く細く《言霊》を紡ぐ。
——《隠蔽》。対象を目の前の家屋に、《隠蔽》《沈黙》《幻影》《意識外》
それは、昨日紡いだものと同じもの。中で何が起こっても外部に知られないように。
やることをやり、ルクルもラインに続いて家に入る。すると、台所でお湯を沸かし始めようとするラインがいた。
「ルクルさん、白湯、飲みますか。」
「ありがとうございますぅ。いただきますねぇ。」
火が水を沸かす静かな音が流れるなかで、二人は席につく。ラインはようやく慣れてきたのか、顔を赤くしながらもルクルの正面に座って、おもむろに首にかけているお守りを取り出した。
「ルクルさん、このお守り。改めてありがとうございます。」
「着け心地はどうですぅ?」
「とても助かっています。これを付ける前はずっと魔力を取られている感覚があったんですけど、これをつけるようになってからは全然感じてません。本当にとても効率よくぼくの魔力が結界に使われている感じがします。」
ラインは頭を下げ、感謝の意を伝える。ルクルはその様子を見て嬉しそうに目を細めラインの頭を優しく撫でた。
「まあ、このお家にお邪魔しているちょっとしたお礼でもありますからねぇ。こんなにも早く起動ができるようになったのは、頑張った証拠ですよぉ。」
撫でられて氣持ちよく、褒められて嬉しく、少年らしい素直さでラインは成すがままになっている。
「ありがとうございます。これから裏面に挑戦するつもりです。」
そこそこな火力だったのだろう。いい感じにお湯が沸く音が響いてきた。
ラインは名残惜しいのだろう撫でてくれる手から身を離す。そして、台所に向かい、カップを二つ取り、そこに白湯を注いで自分とルクルの前に並べた。
二人してそっと一口。体に暖かさが染み入るように広がる。
さて、やる氣も十分。夜も遅くなってきたが、これからお守りに向き合うため、「自分の部屋にいきますね」、とラインは立ち上がろうとする。だが、意外なことにルクルはそれに待ったをかけた。
「そうですねぇ。今日はもうおやすみしたらどうですぅ?」
「え?なんでですか?」
そんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。ラインは驚きと戸惑いが入り混じった声をあげた。
「今日は色んなことがありましたよねぇ。ライン君自身が思うより疲れてますよぉ。それに、夜に根を詰めてもいい考えが浮かぶとは限りません。なんでそうなるか詳しいことは省きますがぁ、寝て起きたらぁ、頭がスッキリして問題のヒントがひらめいたりすることはありません?」
「そういえば……。」
「夜更かしにいいことはありませんよぉ。……まあやりたい氣持ちもわからないではないですからぁ。ちょっとしたおまじないを教えてあげましょう。」
まだちょっと納得いかない顔をしていたラインに向けてルクルはそう提案する。
「寝る前にぃ、お守りをもって『これはどうやって解決したんだろう』と言ってみてください。」
『おまじない』、そう聞いてラインはすごく期待したのだが、ルクルの口から出てきた言葉は、何も変哲もないただの疑問形の一文であった。疑問とがっかり感が分かりやすく顔に出ていたのだろう。だが、ルクルにとっては想定の範囲内というか『まあこういう顔しますよねぇ』という予想通りの表情であった。
ルクルは再びラインの頭に手を伸ばし、今度はぐわしっと鷲掴みにする。
「これまた詳しいことは省きますがぁ、ここに詰まっているものにですねぇ、疑問を投げかけると、ずっと答えを探そうとするんですよぉ。それこそ、起きている時も、寝ている時も、健やかなるときも、病める時も、馬車馬の如く働いてくれますぅ。」
「あのぅ、言葉だけ聞くと、とってもひどいことさせているような氣がするんですが。」
「細かいことはきにしな~い。まあ、そのうち、キュピーンと閃いたりするかもなのでぇ。とりあえず、夜はしっかり寝るんですよぉ。わかりましたかぁ?」
まだ、ちょっと納得いかないラインだが、夜更かしが身体に悪いというのはその通りだと思うので、朝一番に起きて取り組もうと決意する。
「わかりました。さっきのおまじないを言っておやすみします。そして早起きしてやることにします。」
ルクルはその返事に満足したように手を離し立ち上がった。
「よろしぃ。じゃあ、もう寝ますかぁ。」
はい、とラインも立ち上がり、二人並んで歩き出す。
ルクルから仄かに感じる甘い香り。さきほどまではテーブルが間に挟まっていたのでそれほどでもなかったが、今は二人は触れてしまいそうなほど近い。ラインにとってここ数時間で慣れたといえるだろうか?とんでもない。並んで歩き、至近距離にいても直視しないからこそより強くその存在を感じるようになってしまった。
部屋の入り口はすぐ近くなのだが、ラインはずっと遠くでもいいと思ってしまう。このままこの人の隣で歩いていたい。心から湧き出る想い。自分はこんなにも誰かを想えるのか、——でも、と。
——ぼくは将来、いつかはわからないけどいなくなる。もし、誰かと一緒になったとしてもその人を悲しませるくらいなら……。
実際の時間はほんの少し。ただちょっと歩いただけ。
ルクルが客間の扉に手をかける。ラインはその背に手を伸ばしそうになってしまった。
「あっ。」
想いが少し漏れ出てしまう。静かな家の中。ルクルが聞き逃すはずもなく、ふと振り返ると自分へ手を伸ばしかけている少年。ニタァと口角を吊り上げると、ラインの方へ手を差し出した。
「添い寝してあげましょうかぁ。」
「だ、大丈夫です!」
ラインは顔をさらに赤くすると、一瞬で反対側にある自分の部屋に脱兎のごとく逃げ込んだ。
バタンと思い切り扉が閉まる音の後の廊下に静寂が降りる。
ルクルは楽しそうに微笑むと改めて客間に入り、ベットに腰を下ろした。
「さてさてぇ。今日のところは大人しくおやすみするとしますかぁ。」
そうつぶやき、横になった時、身に覚えがある感覚が全身を駆け巡り、ルクルの意識は一気に覚醒まで上がっていった。
——次元震
あの祠か、いや、この感覚はルクルにとって慣れ親しんだもの。決してあの悪趣味なものが起こしたものではない。
割と早かったですねぇ、と内心つぶやいていると、意識に直接響く声が聞こえてきた。
『こんのぉ、ルクル主任!どうしてくれるんですか!』
あちらとの回線が繋がったようだった。




