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12/25

12 朝は色々と忙しい

——あったかいなぁ……、やわらかいなぁ……。


窓から差し込む穏やかな日差し。早朝、チュンチュンと小鳥の鳴き声が聞こえてくる。


まどろみの中、ラインは自分がなにか暖かく柔らかい存在に包まれているように感じていた。


先ほどまで見ていた夢は何だっただろうか。だんだんと意識が浮上してくるにしたがってそれらが文字通り儚く霧散していく。


心地よいまどろみを惜しみながらも、ラインはゆっくりと目を開けた。


——ん?


焦点が合わないし、目の前にあるのは肌色である。まだ夢の中なのか、目をつぶり頭を振ると柔らかい感触だ。最近の夢はなぜか触れたものの感触も楽しめるらしい。ラインは、そのあまりの気持ち良さに、このまま夢の中にいようかなぁ、という誘惑に負けそうになる。しかし、今日は封印の補修があるし、早く終わったらルクルさんに昨日の話の続きをお願いしようという密かな決意を思い出し、意を決して瞼を開けた。


やはり目の前には肌色。しかも、鼻腔をくすぐるのは、昨日すっかり心奪われたあの人が纏っていた匂いだ。おかしい。何かが猛烈におかしい。


ふと、思い立って、ラインは視線を上に上げてみた。


女神の寝顔がそこにはあった。


「!!!!!!!!」


声にならない絶叫を上げて、ラインは飛び起き、思い切り後ずさった。


頭が壁にぶつかるゴツン!といういい音がして、さらに声にならないうめき声が上がる。


何のことはない。柔らかい存在に包まれている様に感じたのは、実際に柔らかいものに包まれていたからだ。視界がぼやけていたのも当然だ。抱きしめられていてあまりにも近かったからだ。


ラインが恥ずかしさと痛みから、頭を抱えてうずくまっていると、その元凶がもそりと起き上がった。


「ふぁ~。ライン君、おはようございますぅ。よく眠れましたかぁ?」


ルクルは寝ぼけ眼で目をこすり、うーん、と手を上に伸ばして伸びをしている。昨夜着替えた、ママさんたちに渡された寝間着用の前合わせの薄手の寝装束は、一晩たって襟元がゆるくはだけ、深い谷間をのぞかせている。さらに、布地自体が薄いので、ルクルが誇る女性らしい柔らかなラインと筋肉のバランスのとれた黄金比ともいえる身体が隠しきれずに浮き出ていた。とどめとばかりに、艶めかしい太ももは、そもそも隠れる氣がないとばかりにその姿を朝日の元にさらしていた。そんな無防備且つ、年頃の少年には刺激が強すぎる恰好にもかかわらず、どこまでいってもマイペースを貫いているルクル。一方、ラインはまだ目の前のことを処理しきれていない。そう、寝起きの無防備に見えるルクルの姿に視線が釘付けになってしまって、そこで思考がフリーズしていたのだ。


ラインに朝の挨拶をしても反応がないことを見て取ると、ルクルは視線をそちらの方に向け、ニタァと笑みを深めた。そして、スッとその手を彼の頬に伸ばす。


ヒタッ


触れた瞬間、ラインは、なんとも心地良い感触が頬から全身に広がったように感じた。回復魔法でもなんでもない、ただ好きになってしまった人の手が自分の頬に触れた、その感触で頭が一杯になってしまう。そうして、またしても脳がキャパオーバーしそうになると同時に、またしても声にならない絶叫を上げてルクルの手が触れている頬の反対側へ全力で飛びのいた。


案の定、今度はベッド転げ落ちて床に頭をぶつけ、ゴツンといい音がした。


「朝から元気ですねぇ。」


純情な少年を弄ぶ悪いお姉さんは、彼の気も知らず、いやおそらくは知った上でからかって遊んでいた。


「誰のせいですか!誰の!」


ぶつけた頭を押さえながらガバッと起き上がり、とうとうラインがルクルにくってかかる。だが、悲しいかな。小型犬が大型の肉食獣に挑みかかっているようにしか見えない。


「なんで!ルクルさんがぼくの部屋にいるんですか!?昨日、ちゃんと客間にご案内しましたよね?」


もっともな疑問である。


「ライン君はぁ、人肌の温もりは気持ち良くありませんでしたかぁ。」


質問を質問で返す、狡い大人の見本である。


「あ、いえ、う。」


とっさに言葉が出てこない。人生経験が圧倒的に足りていない子犬は、起き抜けのあの感触、五感が満たされていた感覚を再び思い出し、瞬時に顔を赤くした。


「いやぁ、私としてはぁ、もし、ライン君が起きた時に、私がいたらぁ、どんな愉快な反応をしてくれるのかぁ、興味がありましてぇ。考えれば考えるほど楽しみで楽しみでその誘惑に抗えなかったのですぅ。」


シーツを目元に引き寄せオヨヨヨ、と如何にもわざとらしい泣き真似をするルクル。


「だ、だからって、夫婦でも恋人でもない、お、女の人が男のベッドの中に入るのはどうなんですか!?」


少年の精一杯の抵抗。本当に、本当に真っ当な正論パンチ。ど真ん中ストレートである。ただ、そんな言葉で止まるようならプラティーをはじめ、向こう側の人達は苦労なんかしていない。ルクルは精一杯『怒っています!』を表現しているラインにてくてくと近づき、ポンポンと彼の頭を撫でる。


「大人になってからもう一度言ってくださいねぇ。」


そう、儚い抵抗はここまでだった。お前の事、男としてみてねぇから!と言外に言われ、ラインはガクッとうなだれる。


その様子を見てようやく満足したのか、ルクルはうんうんと、したり顔。


「さてさてぇ、悪ふざけはここまでにして。」


どの口が言っているのか。


「身支度を整えてぇ、村長さんのお家に向かいますかぁ。今日は大切な用事があるんですよねぇ?」


「は、はい!」


そうだった、とラインは気を取り直して立ち上がる。


「頑張ったらご褒美に今夜も抱きしめておやすみしてあげましょうかぁ。」


それではぁ、私も身支度してきますねぇ、と去り際に追い打ちをかましてルクルは客間に戻っていった。


後には、再びフリーズしているラインが残されていった。




二人は、身支度を整え軽い朝食を済ませたのちに村長宅へ向かった。


「ルクルさん、なんでまたその恰好なんですか?周りの視線がとても痛いのですが……。」


「そんなの氣にしなければいいんですよぉ。」


そう、ルクルは昨日に引き続きシスター服。その美しさ、凛々しさ、立ち振る舞いが否が応でも視線を集める。いくらラインが子どもとはいえ、若干の嫉妬交じりの視線を向けられていた。


一々男衆の手が止まりかけるので割と妨害行為になっているのだが、そんなことはルクルには関係ないらしく無人の野をゆくがごとく歩を進めている。


やがて、村長宅にたどり着く。


「こんにちはー!村長さん、ラインです。来ました!」


ラインが玄関で元気よく挨拶をすると、すぐに向こう側から足音が聞こえ、扉が開いた。


「おはよう、ライン君。ルクルさんもおはよう。もうすぐ全員揃うからちょっとあがって待っていておくれ。」


出迎えたグリシーナが中に入るように促し、二人はそのまま応接室らしき部屋に向かう。そこには村長やヴァッヘと始めとした自警団のメンバーが集まっていた。


「おはようございます。皆さん。」


「ライン君。ルクル殿。おはよう。もうすぐ今回同行する結界師の面々が装備を整えて到着する予定じゃ。そうしたら最終的な打ち合わせをして出発しよう。」


村長が昨日あれだけ飲んだのに一切二日酔いを感じさせない声で告げる。


「ルクル殿、あの後、うちの家内に二日酔いの薬を渡してくれたそうじゃな。そのおかげでこの通りじゃ。今日の作業にも支障は無いわい。」


「いえいえぇ。昨日は私もぉ、楽しませていただいたのでそのお礼ですよぉ。」


そう言って、ラインとルクルは席につく。ほどなくして、同行する結界師達が入ってきた。グリシーナがそのタイミングを見計らってお茶を人数分配って回るが、その時に村長はチラリとグリシーナへと視線を送る。長年連れ添った仲、相手の言いたいことも大抵分かるのだろう。彼女はおもむろにルクルにところに来て肩に手を置いた。


「ルクルさん、こう言っちゃなんだが、ちょっと向こうで着替えてくれないかね。言いにくいんだが、さっきから男共がお前さんに目がいっちまってね。これから真剣な話だってのに、情けないったらありゃしない。まあ、これから色々と村を周るんだろう?実は、他のみんなと一緒に考えて動きやすい服を用意しているんだ。」


「そうなんですかぁ。ありがとうございますぅ。さすがにちょっと動きにくいんですよねぇ。」


「すまないねぇ。」


ルクルは立ち上がり、部屋を出ていく前に、ラインの肩をそっと触り、


「私がいない間の事、後で教えてくださいねぇ。」


「は、はい!もちろんです!」


少年らしい元氣の良さでラインは返事をする。その微笑ましさにルクルはニコっと笑って、グリシーナと一緒に部屋を出ていく。


ラインとルクルを除く全員がある種の緊張感を持っていたが、ルクルという劇薬に等しい部外者がいなくなったことでホッとした空気が流れた。これでグリシーナが時間を稼いでる内に話を進められると。


……ラインの元氣のよい返事にまぎれて紡がれた言葉にはだれも気が付けなかったが。


扉が閉まり、足音が遠ざかったのを確認すると、村長が口を開いた。


「女性の着替えには時間がかかるという……、わしらだけで今日の流れを確認しておこう。」


村長はグリシーナを使い、しれっとルクルを排除したことなどおくびにも出さず告げる。ラインを除くこの場の大人たち全員にとっては周知の事実であった。もちろん、ラインはこの場にいて後ほど伝えることを約束しているのだが、それ相応の言い方というものがある。重要なのは向こうに着いてから。ここでは無難な一般論で事足りるし、状況を整え、重要な事であるという事をしっかりと言い含めれば、この聡い少年ならば、言えないということを彼女に伝えたうえで黙ってくれるだろう。


「して、ラインよ。昨日祠に着いた時、どのような状況だったか。そしてどのような対応をしたのか。この場でもう一度おぬしの口から説明してもらいたい。」


「はい。ぼくが祠に着いた時、封印には綻びが出来ていました。幸いにもそれほど大きなものではなかったので、その場で応急処置をして、なんとか綻びを元に戻すことが出来ました。でも、その場での応急処置だったので、これから皆さんと一緒にしっかり張り直したいと思います。」


「ありがとう、ライン。それを踏まえて、結界師としては先任であるルド、リア。そなたらの考えを聞きたい。」


村長はこの場に集まった者たちと現状の認識を統一するため、ラインからの報告を挟み、長年この村の結界および封印の管理に携わってきた者たちの意見を聞く。


「はい、僕はライン君の処置について疑うわけではありませんが、やはり他の人間が確認する必要があると考えます。それで問題が無かったとしても、昨日の様な事が発生した場合の備えとして、結界を補強する必要はありますね。」


「私もルドの意見に同意するわ。あと、補強後一週間くらいは誰かが現地にいて事態が急変しないか監視体制の強化も提案します。」


ふむ、と村長は頷き、監視体制の強化という話題が出たため、ヴァッヘへと、「その場合は人員・道具など何が必要か。」と尋ねた。


「結界内で周囲の魔物の心配は無いとはいえ、心身ともに負担はかかります。一日交代でやるとしても、夜で二交代は必要です。一組4名で最低3組で回したいですね。そして野営道具一式と通信用の魔道具、念のため常時二日分の食料があれば大丈夫かと思います。自警団に負担はかかりますが、一週間であればなんとか持ちます。」


皆の意見を聞き、村長はしばし目をつぶり黙考する。


「わかった。では、ヴァッヘよ、これから出発する前に自警団員に先ほど述べた必要なものを準備しておくよう指示しておくのじゃ。そして、今ここにいる者たちで祠の封印の補強後、祠に合流してわしらと監視を交代しよう。ルド、リアよ。その自警団の組の中に結界師も一名入れるのじゃ。万が一、事態が急変し、その場で結界の強化が必要になった時、結界師の力が必要じゃ。他の者たちが到着するまで持ちこたえさせなければならん。そして……。」


矢継ぎ早に指示をだす村長。それは明確で的確である。伊達にこの地で封印の責任者をまかされてきたわけではない。その村長が最後に言葉を濁し、その視線をラインに向ける。どこか申し訳なく、後ろめたく、やるせなさそうに、目を伏せる。


村長が次の言葉を繋げる前に、ラインは自分に言葉が向けられていることを悟り、どこか陰りのある笑顔を村長に向けた。


「大丈夫です。村長。いざとなったらぼく、やりますから。」


「……すまんの。」


そう、村長は絞りだすのがやっとだった。周囲の大人たちも、だれかは目を伏せ、誰かは必死に表情を変えまいとし、だれかは唇を噛み締めていた。誰一人として、平然としている者はいなかった。


重苦しい空気が場を支配する中、突如、バコンッと景気の良い音を響かせて扉が開き、


「おまたせしましたぁ~。変身完了ですぅ。」


元気溌剌な娘っ子、いや、ルクルが乱入してきた。


なぜ、元気溌剌と見誤ったのか。それは変身という言葉にふさわしい変貌を遂げていたからだ。


まずぱっと見が、よく女性の猟師が着るようなオーソドックスな革製の軽鎧であった。その実用的な見た目が村娘との誤解を発生させたのだ。ここまでは良かった。しかし、そのあとはいけなかった。


動きやすさを重視した丈夫な革製の胸当てが、ルクルの持つ破壊力抜群の胸部装甲を抑えきれずに窮屈そうに軋んでいる。さらには下半身は、ルクルの武術の達人たる動きを阻害しないようショートパンツが選ばれていたのだが……。繰り返すが、ルクルは武術を人並み以上に嗜んでいる。十二分に筋肉が付いているのだ。そんな女性がショートパンツを履いたものだから、そのムチっとした太ももが強調されるのと同時に、白磁の様な素肌が眩しいほどに露わになっていた。


男性陣にとっては目の毒極まりない。実際、リア以外の男衆の目は先ほどまでの後ろめたさからくる伏し目がちな状態から、これでもか!と目を見開いて自身の癖たる部分を穴が開くほどに見ていた。


「どうしましたぁ?」


コホンと一つ、村長の咳払い。


「ルクル殿、動きやすい服装で何よりだ。先ほどまでの話し合いで概要は決定した。」


村長は、これからの事を要点を押さえながらかいつまんで話す。そして、


「ルクル殿には申し訳ないが、祠には部外者は連れていけないことになっておる。理由としては、こういう所ではお決まりな事じゃ。術式等の秘密を外部に漏らしたくないからじゃよ。帰ってきてからラインから概要を聞くといい。ラインよ、おぬしがルクル殿を慕っているのは分かっておる。命を助けられているのじゃから当然じゃ。しかし、だからといって話してはいけないこともある。」


「は、はい。」


やや、緊張感を孕んだラインの返事。


「ルクル殿、この子は責任感が強く素直でいい子じゃ。ルクル殿から強く聞かれたら答えてしまうかもしれん。だから、強く聞かないでやってほしい。」


「わかりましたぁ。部外者には秘密だというのは、よくあることですからぁ、大丈夫ですよぉ。むしろ、こうやって話してくださってありがとうございますぅ。」


ルクルはラインの後ろに立ち、ポンポンと頭を撫でる。


「それでは私はぁ、ライン君が帰ってくるまで村の散策やライン君のお家で荷物の整理とかすることにしますよぉ。ライン君もお勤めをはたしてお話を聞かせてくださいねぇ。」


「はい、大丈夫です!」


さきほどの村長からの声掛けとは別の緊張を孕んだ返事。その様子を周りの大人たちは暖かく見守っているが、昨夜、封印の術式の醜悪さ——生贄となる者の魂までも分解してエネルギーに捧げ、存在そのものが消滅する——は魂の実在を知っているルクルにとって、彼らの態度は——たとえそのことを知らなくても——酷く滑稽で欺瞞に満ちた偽善に感じられた。


——今までどれほどの存在を消してきたんでしょうねぇ。自分たちのためにやるのに、そこから目をそらすために安っぽい「親心」なり「情」なり持ち出してぇ。ふむぅ。どうしましょうかぁ。


ルクルがその笑顔の裏でそんなことを考えていることなどつゆ知らず、村長は和やかになった空気で話が一段落したことを感じて、パンパンと手を打ち次の行動を促す。


「さて、話はこの辺しよう。皆の者、行動を開始しよう。」



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