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界約

「ん…」


ルキナが目を覚ますと、そこは広場だった。

ただし野外ではなく、屋内、というか洞窟である。

ルキナは布団代わりに敷かれたローブの上で、重たい上体をゆっくりと起こし周りを見渡す。先程までいた森林から気づけば薄暗い洞窟の中だ。彼女にとっては見慣れない光景だろう。

周りを冷たい石壁が覆い、その壁伝いに疎らに松明が灯されている。濡れた土と石の匂いが立ち込めていて、肌に纏わりつくようなじめじめとした空気に肌寒さを覚える。


「起きたか」


後ろからの声に振り向けば、そこにはソラがいた。

ソラは地面に座り込み、食事の準備をしている。


「…ここは?」

「2層だ。お前のおかげで何とか階段を抜けれた」


ルキナは地面に敷かれたローブを手に取り、それに腕を通す。そして立ち上がってソラの傍まで生き、彼の目の前に座って話を続ける。


「…森の上が洞窟?」

「塔の中はそんなもんだ」


だが、そんな事は塔では当たり前だ。

塔の中には様々な異世界が広がっている。

例えば、1層のような荒野や森といった地上の地形もあれば、燃え盛る火の海、四方を水で囲まれた孤島なんてものもある。

それらの異世界が層構造を成しているので、それぞれ第何層と名称を振っているのに過ぎない。1層、2層というナンバリングは上下を示しているのではなく、層の深度を示している。

1層は森林だったが、そこから登った先の2層が洞窟というのもそういうことで、要するに、塔の中では層ごとに全く異なる世界・環境が広がっているということだ。


「…ふーん」


それを理解したのか、ただ興味を失っただけなのかはよくわからないが、ルキナはソラの作業を眺め始める。その視線も気にせず、ソラは食事の準備を続ける。

まずは第一層の帰らずの森で採取しておいた薪を使い火をおこす。焚き火から零れる火花がパチパチと心地よい音を奏で、その炎がソラの横顔を照らしている。

本日の飯は謎の肉の塩漬けと定番の粥もどきだ。拠点から持ってきた折り畳み式の焚き火台の上に、年季が入り、焦げで黒く染まった飯盒を置く。その中には粥の材料となる穀物と水を入れる。準備はそれだけ。後は待つのみ。

ソラとルキナは言葉もなく、ゆらゆらと揺れながら仄暗い洞窟を照らす焚き火の炎をぼんやりと見つめていた。

やがて飯盒から蒸気が上がり始めると、焚き火台の上から飯盒をどかし、その蓋を開ける。

そしてバッグの中から2枚の皿を取り出し、飯盒の中の粥をよそう。最後に袋の中に入れていた塩漬けの干し肉を取り出し皿に添えれば完成だ。

ソラは皿とスプーンをルキナの前に置いた。

「とりあえず食えよ」

「…ん」

小さな声で返すルキナはもそもそとした動きでスプーンを手に取り粥を食べ始める。

その様子を見て、ソラもまた目の前に盛られた粥と添えられた肉に手をつける。粥の味は相変わらずで、嫌になる程の穀物臭とべちゃべちゃの舌触りは一口で飽きが来る。

塩漬けの干し肉は塩辛く、そのひとかけでも口の中を塩味で満たす。その口のまま粥をかきこんで、皮の水筒に入った水を飲む。

「…しょっぱい」

ルキナが干し肉を小さく噛みちぎりながら渋い顔をする。そんな顔をしつつもなんだかんだガツガツと食い進めるルキナを見て、やっぱこいつ食い意地はってんなと思った。

そうして二人とも完食し、皿の上に何も無くなって人心地ついた頃、ソラがルキナに向けて話し出す。

「結局、お前のその"力"は何なんだ?」

「力?」

ルキナが首を傾げて、ソラに向かって聞き返す。


「あの時、クソトレントになんかしただろ」



この世界では、特殊な能力を持った人物がいる。

例えば、近くの生物を衰弱させる。例えば、炎という事象を自在に操る。例えば、見たものの動きを止める――。

そのように、通常の物理現象では説明できない特別な何かを起こせる人間。何故そんなことができるのかは当人たちにもわかっていないが、そういった人間が稀にいるのだ。

大体数千人に一人といったところであろうか。上層ではどんな割合かはわからないが、少なくともイエソドではその程度の割合でそんな人間が生まれてくる。


それの実例は彼の幼馴染であるセナ。彼女もまた特殊な能力を持っていて、それ故にイエソドの筆頭冒険者の地位にまで上り詰めた。

彼女の"力"を正確に知っているわけではないが、ソラは何回か使われた経験があるため、それにより何が起きるかは覚えている。

おそらくは"停止"。彼女は何かの動きを停止させる事ができるという特殊な"能力"を持っている。

そのような特殊な能力こそが、最も重要な冒険者の資質である――と、ソラは思っていたし、一般的にもそう認知されていた。


実際、エルダートレントの一撃は確かに彼らを粉砕する威力をもっていたはずだった。そしてソラはそれに対抗できるはずもない。しかし、彼女が斧に触れた直後、彼は逆にエルダートレントを粉砕する事に成功したのだ。

どう考えてもソラの地力ではない。明らかに何かの力が働いているに違いないが、ソラには何が起こったのか一切分からなかった。

他にも、ブラッドウィングレイヴンが急に落ちてきた事や、トレント達の一部がまるで転ぶかのように地面に倒れていったことなど、彼女が何かしたと思える事象がいくつかあるが、そのどれも原因がわからない。

そしてここから先に進んでいくなら、その能力を知っておきたいとソラは考えていた。


流石にエルダートレント程のモンスターは出てこないだろうが、一層と比べて二層はモンスターが強い。ソラがやっているような純粋な力でのごり押しが通らない可能性がある。

ソラ一人の場合なら逃げればいいだけだが、今回はルキナという連れがいる。一人ならば逃げる事ができても、二人だと勝手もまた変わってくる。

パーティとして重要なのはお互いの連携だ。ソラができること、ルキナができることを正確に把握し、それぞれの役割を決めて連携する。

そういったチームとしての動きがこれからは必要になるのだ。そのための認識合わせをこの場でする必要があるとソラは考えていた。

しばらく黙っていたルキナは、小さく、口を開いた。


界約カース

「…カース?」


聞きなれない言葉が耳に入り、思わずソラは聞き返す。

ルキナの目元がかすかに固まった。

「ああいう力の総称。それが界約」

「……」

カース、と口の中で小さく呟く。それは彼にとって初めて聞く言葉であった。

界約カースは世界に掛ける枷。自分以外の何かを縛るための"力"」

「なるほど…?」


ソラはその言葉の意味があまり理解できず、怪訝な表情を浮かべていた。しかし、そんなソラの様子も気にせず、ルキナは続けて話す。


「私の界約カースはおそらく"質量"」

「しつりょう…?」

「私は近くにある物体の質量の大きさを変更できる」

「???」


ソラの頭の上に疑問符がいくつも浮かぶ。

その様子を見て、ルキナは溜息を吐く。


「アホでもわかるように教える」

「お願いします」


そういうとルキナは腰に下げた短剣を手に持って、それをソラに手渡す。

キョトンとした顔でソラはそれを受け取る。

「これが普通の状態」

そういうとルキナはその短剣に手を伸ばした。

そして、


『墜ちて』

「うぉっ……!」


そうルキナが呟いた瞬間、ソラは右手に持たされた短剣を落としてしまった。そして手から零れ落ちた短剣はそのまま地面に刺さり、切っ先から柄まで深く地面にもぐりこんだ。

だが、そんな事あり得るだろうか。ただの短剣が勢いもなく、ただ上から落ちただけで地面に刃が完全に埋もれるまで突き刺さるというのは異常に思える。

「何だ今の…」

そして手から落ちた短剣を見やりながらソラは呟く。ソラが何故、短剣を落としてしまったのか。それは非常に単純な話だ。

重さ。ただただ彼では持てない程に重かったから思わず手を離してしまったのだ。


「こういうこと。要は重さが変わる」

「なるほどな…」


なんとなく、ソラはその意味を理解する。例えばブラッドウィングレイヴンが落ちた時、あれはおそらく質量が増していたのだろう。

自重を支えきれなくなった大鴉は空を飛ぼうとしても飛べなくなり、そのまま落下してきたと考えられる。

ルキナは短剣を床から引き抜き、またソラに手渡す。ソラはそれを手に取ると、今度はさっきと別の感触に驚く。

手渡された短剣は、紙のように軽くなっていた。


「そして重くもできるし、軽くもできる」

「これは…」


エルダートレントと相対した時、あの時もこの短剣と同じ事が起こった。斧とエルダートレントが衝突する瞬間に、エルダートレントが極限まで軽くなった事で、ソラは打ち返す事ができたのだ。

それは間違いなく、途轍もなく強大な力だ。

強大な敵と戦うときも、相手を軽くすれば攻撃も簡単に受け流せる。逆に相手を重くする事で、身動きをとれなくする事も可能だろう。

後は手に持っている装備品を軽くすることで、どんな重装備をしていても身軽に動く事ができるし、逆に装備を重くする事が出来れば、武器を振り下ろすときに威力の増大が見込める。

攻防共に隙の無い、まさに最上の能力といえるだろう。

そうソラが考えている事を見越したのか、さらにルキナは言葉を紡ぐ。


「ただし、欠点が3つある」

「欠点?」


ソラが聞き返すと、ルキナは右手の人差し指をピンとたてながら語りだす。


「まず、これを使うとすごく疲れる。重いものとか大きいもの、あとは強い生き物とかに使うと倒れる」

「さっき倒れたのもそれか」

「そう。すごく疲れた」


次に中指を立てて説明を続ける。


「そして距離が近くないとだめ」

「距離?」

「私の力はちょっと離れるとすぐ効果が無くなる」


そういってルキナは短剣をポイっと手放す。地面に柔らかく投げられた短剣は2~3m程先の地面に刃先が少し埋まった形で突き刺さった。

それを見たルキナはフンっと鼻息を上げながらその短剣を睨みつけ、両手を前に突き出して力を込めるような仕草をする。

しかし、先程とは打って変わって、地面に突き刺さった短剣には一切の変化がなく、ソラには質量が変化しているようには思えなかった。

数秒後、ルキナは溜息を吐いて体から力を抜く。


「あれぐらい遠いともう無理」

「…なるほど」


この能力は極めて強力だ。それにも関わらず彼女があまり使おうとしなかったのは、この2つの欠点が原因だろう。

疲れる、というのはルキナの主観であるためソラには分からない部分であるが、多用すれば気絶するというのであればあまり気軽には使えないだろう。

そして距離に関して言えばより難しい。この能力の使用時には対象の近くにいる必要があるという事は、接近に伴うリスクが発生する可能性があるという事だ。

例えばオークに対して能力を発動するとしよう。そうなると敵の懐に飛び込んだうえで使うことになる。オークは極めて身体能力が高く、人間程度なら簡単に粉砕できる膂力を持っている。

そんな奴らに接近するということは、その膂力をもろに受ける可能性があるという事だ。能力を適切に発動できれば問題ないだろうが、少しでもタイミングを外してしまえばいとも簡単に捻り潰されてしまうだろう。

今思えば、エルダートレントに能力を使った時は奴が体を振り下ろすことで最も接近してきた瞬間であった。あれももしかするとかなり紙一重だったのかもしれない。

まとめると、彼女の能力は極めて有能な反面、大きなリスクも抱えているということだ。


だが、それは塔を登る上で大きな"武器"となる。

イエソドの頂点に近いセナと比べるとどうかは分からないが、少なくとも無能であるソラと比べると、冒険者としての格は天と地ほどの差があるだろう。

そのことを痛感し、ソラは心の中の靄がより一層暗くなった気がした。

そんな気分を払拭するかのように、ソラは重ねて質問する。


「それで3つ目は?」

「??」

「いや欠点は3つあるって言っただろ?」

「…やっぱり特にない」

「…」


ソラは徐々にルキナが適当な人間である事を理解し始めた。



食事も終え一息着いた所で、ソラは今後の方針を話し始める。


「前も言ったが、今回はあくまでお試しだ。本気で塔を登りに来たわけじゃない。3層までが多分限界だ」

「えー」

「えーじゃない。装備も準備も全然たりないんだよ。お前はどうか知らんが、俺はそこまでしか無理だ」


塔では層が深くなればなるほど、取り巻く環境や現れるモンスターの危険度が増していく傾向にある。

この第2層は、入り組んだ迷路のような構造の洞窟が大半を占めており、そこに生息するのはゴブリンといった小人型のモンスターや、ケイヴバットという大きな蝙蝠型のモンスター、そして粘体生物であるスライム。

大体はこの3種類で、他にいくつか強力なモンスターが息を潜めて獲物を狙っているような場所だ。

前述の3種類は正直言って、単体では非常に弱い。第1層に現れたトレントやシルバーウルフといったモンスターの方が単体で見ればよっぽど強力な存在だ。

しかし第2層の問題は、この入り組んだ閉鎖的な空間という環境と、上記のモンスター達がそれぞれで大きな群れを構成しているという点にある。

群れの一匹にでも見つかったが最後、次から次へと襲いかかられ、単純な物量差で圧殺されてしまう。そして、この洞窟では逃げ切るのも難しく、いつか追い詰められて彼らの腹の中に納められる。

この層を抜けて上の層に行くためには、適切なルートを選び、群れとなるべく接敵しないように慎重に進んでいく必要があるが、それには時間がかかってしまう。そしてここに生息する生物は食用に適さず、食料の現地調達も難しい。

今回は2日分の食料しか準備しておらず、今の時点で1/3を消費している。おそらくこの層で更に消費するはずなので、第3層に侵入した頃にはもうほとんど食料は残っていないだろう。それでは第3層以降を進むことはできない。


それに今回の目的はお互いの実力と限界を知る事だった。

そういう意味で言えばエルダートレントと相対した時に、お互いの実力は把握できたはずであり、もうすでに目的は達成したと捉えることもできる。


「…残念」

「今回は試しだったんだからしょうがねえだろ。それに――」


もし準備が足りてたとしても、俺は足手まといになるだけだ。という言葉がソラの口から出かける。

実際の所、彼女の能力であればソラが進んだ事のある第5層までは簡単に到達できるだろうとソラは考えていた。

そして、その第5層でソラは己の限界を知った。どれだけ準備をしても、どれだけ努力をしても乗り越えられない壁があるという、冷たい現実を理解した。

しかし、ルキナは違う。適当な準備で、軽々と2層まで到着している。

もちろんソラが大きなサポートとなっているのは確かだが、それでも初めての塔でここまでスムーズに進める事は殆どないだろう。

もしかしたら彼女に自身のメモ帳を渡せば、それだけでこのまま塔を登り詰める事ができるのではないかと一瞬ソラの中で考えがよぎる。


「ソラ?」

「…いや、何でもない」


何かを言いかけたソラを気にするようにルキナが声をかけて来たので、ソラは胸中の思いに一旦蓋をして話を続ける。


「この層の階段は、ここからだとそれなりに遠い場所にある。そこまでなるべくモンスターとかち合わないように進んでいく必要がある」

「どれくらい遠い?」

「順調だと5、6時間…ってところか」

「なるほど」


実際のところ、5,6時間というのはかなり早い方である。本来第2層に入ったばかりの者であれば、階段を見つけるのに2,3日どころか一週間はかかると見込んで良いだろう。

この層は入り組んでいるし、先述のようなモンスターの性質もあり、より慎重な攻略を心がける必要があるからだ。

だが、彼らには先人の遺したメモがあるし、この層を経験した事があるソラが先導するため、そのスピードで層を突破できるはず。

そう、ソラは考えていた。



この後の顛末を話すと、彼らはそれを遥かに凌ぐ4時間という驚異的なスピードで、この層を文字通り"走破"することになる。


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