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決死の走破

空気は湿り気を帯び、衣服にじっとりと貼りつく。

土と石で囲われた薄暗い通路を慎重に進むが、足元の石がかすかに転がり、コロンと乾いた音を立てた。その音すら嫌うかのように、より慎重に彼らは歩き出す。

壁伝いに疎らに掛けられた松明の仄かな明かりが揺れて、それに伴い地面に映された彼らの影もゆらりと揺れる。

彼らは言葉もないままに、不気味な闇の中を警戒ながら進んでいく。


彼らのひとまずの目的地は、階段までの中間付近にある広場――セーフティゾーンだ。


塔の中には色々な場所がある。危険なモンスターの生息地もあれば、貴重な宝石や装備が安置された宝物庫、傷を癒す特別な水で作られる湖等、特別な場所が無数に点在している。

その中で最も有名で、かつ人に使われる事が多いのがセーフティゾーンだ。


セーフティゾーンは端的に言ってしまえば、モンスターが立ち寄らない安全な場所だ。

そこに何故モンスターが立ち寄らないのかは不明だが、そこに逃げ込めば大抵のモンスターは冒険者を襲ってこなくなる。

もちろん例外はあるのだが、それでも冒険者たちのセーフティゾーンに対する信頼は篤く、彼らは基本的にその場所を活用して休憩時間や睡眠時間を確保している。


今回目指しているのも数あるセーフティゾーンのうちの一つである。特にそのセーフティゾーンは、その中に地下水の湧き場があり、減った水の確保もできるという特別便利な場所であった。


歩き始めて2時間弱、慎重に歩いている事もあってかモンスターとの接敵は0。遠くにゴブリンやスライムを見かける事はあるが、彼らの存在に気づいてはいないようで、今のところは襲われる事もなく何の問題もなく進めている。

歩きながらバッグの中から水筒を取り出し、その中の水を一口飲む。そして今度はそれをルキナに手渡すと、ルキナも同じように水を呑み込んだ。


そんな中でも警戒は欠かさない。周りの状況を把握して、危険がないか常にアンテナをはる。

そうしながら進んでいると、目の前に左右の二方向に分かれた道が現れた。その道を前にして一旦ソラは立ち止まり、バッグの中のメモを取り出して、現状の位置と照らし合わせて正しい道を判断する。


「右だ」

「了解」


そうお互い小さな声で言葉を交わすと、右の通路を歩き出す。メモによればここから数分も経たないうちに目的地までたどり着けるはずだ。

だが、緊張の糸をほぐすことはできない。こうしている中でもいつどんなモンスターが出てくるかも分からないのだから。


「もうすぐのはずだ」


ソラが小声で呟く。ルキナはその言葉に答えはしなかったが、確とうなずいた。

お互い気は抜けないものの、それでも、胸の奥に溜まっていた緊張はほんの少しだけほどけていった。


そうして更に歩くこと数分。通路が若干広がっていくように感じた。そして、湿った空気の中に、かすかに焚き火の匂いが混じった。

正面をよく見てみれば暗く深い闇の奥に淡く小さな光が零れているのが見えた。

――セーフティゾーンだ。


「あれだ」


言いながら、ソラは正面を指さし、ルキナもまたその光に気づいてお互い顔を見合わせる。

二人は足音が大きくならない程度に、歩みを早めた。

光に向かって歩いていくと、やがて通路はどんどん広くなり、道の先から零れる光も比例して大きくなる。

そして、更に歩いたその先で、光が闇を押しのけ、広間が姿を現した。


壁に掛けられた松明は適切な間隔で配置されており、今までの通路よりも明るく無人の広場を照らしている。

このセーフティエリアは人気の場所だ。そのためもしかしたら誰かいるかもしれないと思っていたが、今は彼らしかいないようだ。

誰かが立ち寄った後なのだろうか、広場の真ん中には焚き木の痕がある。ただしその火はもう消えていて、黒々とした燃えカスがくすぶっているのみだ。

その光景を前にして、漸くソラは一息吐いた。


「休憩だ」



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


先述の通り、この場所には水場という特別なものが存在する。

それは、広場の隅に位置しており、四方5mほど、深さもそれなりにあるものだ。地下からの水が湧き出たものであろうか、泉の水は冷え切り、その底までも見通せるほど済んでいる。

ソラはその水を手で掬い、そのまま乾いた口の中に入れる。2時間程歩きつめ、疲れた体によく冷えた地下水が染みわたる。

そして今度はバッグの中から水筒を取り出し、それを泉の中に沈めて、水筒の中に水を補給する。

水筒の中から空気が零れなくなった頃に引き上げ、コルクでしっかりと口を塞ぐ。


「ふぅ」


そしてその場に座り込み、漸く人心地ついた気分で横にいるルキナを見る。



するとそこには真っ裸のルキナがいた。

彼女の足元には先程まで着ていた服が綺麗に畳まれている。

松明の橙がその肌を縁取り、ソラは一秒、止まった。


「…え?」

「ほっ」


そして、一言掛け声を上げたかと思うと、少女は勢いよく泉に飛び込んだ。

バシャッと大きな音がなり、水飛沫が上がる。

その水飛沫をもろに受けたソラは、青筋を立てながら泉の中のルキナに問いかける。


「…何してる?」

「水浴び」

「見たら分かるわ」


泉の中のルキナは全裸で優雅に水面を泳ぐ。その様はまるで泉が自分のものかのようだった。

彼女が泳ぐために体を動かす度に、乳房や臀部、太もも等の女性らしさを感じる部分がソラの目の中に入ってくる。

それを努めて見ないようにしながら、


「恥とか無いの?」


と問いかけるものの、


「他に男はいないし問題ない」


と、極めて冷静な返答が返ってくる。

その状況を前にして少し頭痛を感じながら更に問い詰める。


「俺、男なんだが」

「ソラは別に良い」

「…」


それはソラならば見ても構わないという意味なのか、ソラのことなど男として見ていないという意味なのか。

そう思って、ソラが黙り込んでいると、


「ほら、見たければ見るといい。私の豊満なばでぃを」


とルキナは更に挑発してきた。

ルキナは見せつけるかのように泉の中でポージングをとり、その子供ような幼さと成熟した大人の色香が混ざりあったような奇跡の肢体をソラの前に晒す。

その体は水にぬれて益々男の欲情を煽るかのようだった。

こいつ襲ったろか、と一瞬ソラはキレかけるが、挑発に乗ることも癪に障る。そのため、挑発には挑発で返すことにした。


「わりいけど、ちんちくりんには興味ねえんだ」

「あ?」


ルキナの額に青筋が浮かぶ。そして次の瞬間、彼女は両手を構えて水鉄砲を形つくり、ソラの顔をめがけて水を飛ばした。

それを間一髪で避けながら、ソラは叫ぶ。


「うわっ!あぶねえな!」

「悔しかったら水の中に入ってくるといい」

「俺は良い!」

「ならば一方的に攻めるのみ」


こうして泉の中の少女とその外の青年の無意味な攻防は5分ほど続くのだった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「なんか疲れた…」

「自業自得だ」


ルキナとソラは焚き火の前で体を乾かしながら会話する。

身体的にはセーフティゾーン到着時点よりも疲れている気がするが、心の中にあった緊張感は完全にほどけきり、精神的にはリラックス出来ているだろう。

重要なのはメリハリ。常に警戒し続けるのではなく、時たま休憩を入れて神経を休める。そして休憩を終えれば再度感覚を研ぎ澄ませる。

そのスイッチのオンオフをうまく行う事が、冒険者に必要なスキルの一つである。


ここは階段までの道のりの半ばであり、ここから更に2~3時間ほど進む必要がある。その道中は先程と同様、細心の注意を払いながら進み続ける必要がある。

ここまではモンスターと出くわすこともなく安全に到達する事ができたが、これからもそうであるとは限らない。経験上、どこかで必ず接敵することになると考えていた。

そのことを思い、ソラは気合を入れなおして立ち上がる。その様子を見て、地面に置いていたローブに腕を通しながら立ち上がる。


「よし、行くぞ」

「了解」


ソラは地面においていたバッグを担ぎ、右手で斧を持ちながら、再び感覚を研ぎ澄ませる。

ソラは斧を握り直した。ルキナは前を向いたまま、まばたきの間隔が変わった。言葉はなくても、二人の間の空気が切り替わったのが分かる。

そんなルキナの様子を見ながら、ソラは一歩足を踏み出す。

その時、


「――」


ルキナが急に後ろを振り返った。正確には彼らが来た方向のセーフティゾーンへの入り口を見つめる。

その顔には警戒の色が強く滲んでいた。


「どうした?」


ソラがルキナに声を掛けると、


「何か、くる」


と、ルキナは短く返した。

彼女が見ている方向には闇が広がっている。その先には何も見えず、何が潜んでいるかも分からない。

ソラも同じ方向に向けて全力で集中する。相変わらず闇の先は見通せないが――音がした。

それは通路の奥から、低く響く地鳴りのような小さな音が微かに聞こえる。それは徐々に大きくなり、それに伴って微かに地面が揺れ始める。


「何だ…?」


地面に転がる小石がかすかに震え、焚き火の炎が細かく揺れる。

そして、通路の先の暗がりが揺れ始めて、ソラは音の正体に気づいた。――足音だ。

一つや二つではない。無数の何かが走るような音が重なっていて、地響きのように聞こえていたのだ。

そしてそれは間違いなくこちらに近づいてきている。

次第に、それは怒号のような咆哮を伴い、鼻を刺す血と獣臭が風に乗って漂った。


「ルキナ――」


ソラはルキナに顔もむけず、闇の中から迫りくる何かを最大限に警戒しながら話しかける。

そして、その瞬間、闇の中の影の輪郭が、通路の松明に照らされて姿を表す。

そこにいたのは――


「走れッ!!」


ソラの叫びと同時に、闇の向こうで無数の瞳がぎらりと光った。

無数の黒い影が通路の奥から溢れ出し、休息の場は一瞬にして戦場へと変わる。それを見て、ソラとルキナは反対側の通路へと駆けだす。

それはゴブリンだった。その量は目で見える範囲でも、10や20では効かないであろう大群。それがセーフティゾーンもお構いなしにこちらに向かって突撃してくる様は、もはや津波のようですらあった。


「クソが――」


こうして彼らはゴブリンの群れからの全力での逃避行を開始する事になったのである。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ゴブリンは亜人種と呼ばれる種類のモンスターの代表格である。

長い耳と鼻を持ち、緑色の肌をした人型をしており、その体は極めて不潔で、少し離れた場所からでもその饐えた体臭が感じられるほどだ。

彼らは体長は大きくても人間の子供程度のサイズにしかならない。

そしてその体格と同じ程度の膂力しか持たず、知能もそこまで高くはない。単体で見れば極めて貧弱な存在である。

しかし、そのゴブリンには他のモンスターと比べて極めて厄介な点が一点ある。

それは繁殖力だ。

彼らは繁殖のペースが凄まじく、成体になるまでの期間も極めて短い。

しかも彼らは、他の亜人種や果ては人間とも交配可能であり、その事も彼らの繁殖を促進している。もし女性の冒険者が彼らに捕まってしまった場合、その末路は死よりも悲惨なものとなるだろう。

そうして繁殖した彼らは、大きな一つのコミュニティを作り、その中で長を決めて、その長に全体が従うような社会システムを形成する。

そのコミュニティを冒険者達はトライブと呼ぶ。一つのトライブは大抵が数十から数百程のゴブリンの群れであり、その中身は殆どが戦闘要員で構成されている。


つまり何が言いたいかと言うと、ソラとルキナは少なくとも数十の群れに襲われているという事と、追いつかれた場合には地獄が待っているという事である。


「次の道は右だッ!!」

「了解」


湿った空気を切り裂くように、足音が洞窟の奥へ響く。

ソラとルキナの二人は薄暗い道を全力で駆け抜けていた。その背後からはゴブリンの群れが出す咆哮と足音が重なり合った轟音が迫ってくる。壁に反響したそれは、実際以上に数を多く、距離を近く感じさせた。

彼らは夜行性であり、暗闇の中を見通せる特殊な目を持っているため、この暗がりの中で正確にソラとルキナを追いかけてきている。

とはいえ彼らの体格は小さく、その歩幅も同様に小さいため、今のところは追いつかれる気配はない。

しかし油断はできない。何故ならば――


「GYAAAAAAAA!!」

「邪魔なんだよッ!!」


彼らが立てる足音につられて、他のモンスターたちも彼らの前に現れだす。

今回はケイブバット。正面の天井にぶら下がり、獲物を待ち構えていたそのモンスターは、全力で走り抜けようとしたソラめがけて飛び掛かってきた。

ソラはそんな大型の蝙蝠を右手に握った斧で真っ二つにしながら前進する。

このように、迫りくる背後の群れから逃げながら、適切なルートを選択し、立ちふさがるモンスターを瞬時に処理するという、高度な対応をソラとルキナは迫られていた。


「どうする、ソラ?」

「このまま階段まで行く!!それしかない!!」


左手に持った古びたメモ帳を必死で確認する。走りながら、かつ薄暗い中で読む事は困難を極めたが、壁に吊るされた松明の仄かな明かりをもとに現在地点と、そこからのルートを確認する。


「次は左!!」

「おっけー」


そんな状況の中、相変わらずルキナは気の抜けた返事を返すが、それに対して突っ込む余裕はソラにはない。正面の闇を見据えながら全力で走り続ける。

曲がり角を飛び込み、滑るように進む。勢いあまって通路で肩を壁にぶつけ、鈍い痛みが走る。それでも脚は止まらない。

止まれば死ぬのだ。とにかく前へ、前へと進まなければ命はない。


「クソッ――」


ソラの口から悪態が零れる。

セーフティゾーンに大群で攻めてくるモンスターなんて経験がないし、聞いたこともない。

確かに冒険者を追っていたモンスターがセーフティゾーンまで追いかけてくる事は度々あるが、それは大群ではなく大抵が1匹や2匹程度だ。


今回のように、突然何の予兆もなくセーフティゾーンまで踏み込んで来る事は異常である。

何故と考える事に意味は無いのかもしれないが、この状況を目の前にして、ソラはそう思わずにはいられなかった。


そんな中、ルキナは静かに何かを考え込んでいた。

その瞬間だった。正面の暗闇の中に小さな影が3つ見えた。人間にしては小さく、長い耳と鼻――ゴブリンだ。


――別のトライブか!!


一つのトライブに追われている中で、他のトライブのゴブリンにも襲われたらまずい。

つまり、応援を呼ばれる間もなく、一瞬でケリをつける必要がある。

そう考えたソラは短く声を出す。


「ルキナッ!!」

「了解」


その声に呼応し、考え事をしていたルキナも目の前のモンスターたちを冷涼な目線で確認する。

その瞬間、ルキナは素早い身のこなしでソラの横から抜け出して先行し、瞬く間にゴブリンたちに接敵する。


「GI?」


そのゴブリンたちが迫るルキナに気づいたときにはもう遅い。

腰に差していた短剣を素早く抜き出したルキナは、まずは正面の一匹の喉を掻き切る。その振りの速度は尋常ではなく、恐らくは短剣の質量を軽くしているのだろうと思われた。


そして今度は、喉を抑えながら崩れ落ちる一匹を呆然と見つめている二匹目の喉を一突き。喉を刺し貫かれたゴブリンは今まさに倒れている最中のもう一体の一匹目と同様の運命を辿ることになった。


濁った悲鳴が途切れる前に、刃を引き抜き、反転。背後にいる三匹目の腹部へ、低い姿勢のまま斜めに切り上げる。その三匹目は腹部から血しぶきを上げ、グロテスクな内臓をぶちまけながら命を落とした。

赤い血が地面に散り、湿った匂いが一気に広がる。

その間、数秒ほど。あまりにも見事なその手際は、もはや美しさすら感じる程であった。


その様にソラは劣等感を覚えそうになったが、そんな事を考えている暇ではないと思い直し、もう一度メモ帳を確認する。

セーフティゾーンから走り出して、およそ50分以上は経過しただろう。本来はこのスピードよりも遥かにゆっくりと慎重に進むはずだったのでどうなのかは分からないが、そろそろ階段に近づいていてもおかしくない。

そう考えて階段の位置を確認すると、ここからは大体徒歩で10分程、このペースで走り続ければあと5分以内で到着できる事が確認できた。


「もう少しだ!!」


3匹のゴブリンの死骸の横をすり抜けながら、先行するルキナに向けて叫ぶ。

目指すはこのまま通路を走り抜けた先にある第3層への階段。闇の先は見通せないが、確かにそこにあるはずの目的地を目指して、ソラとルキナは闇の中を駆ける。

その背後から迫るモンスターの大群と、一人の追跡者を引きつれて。



走る。走る。走る。

横一列に並んだ青年と少女が、湿った匂いが立ち込める通路をただひたすらに駆けていく。

肺の奥が灼けた。心臓だけが正直に動いていた。足は言うことを聞かず、それでも前に出た。

そうして曲がりくねった通路を抜けた瞬間、目の前に微かな光が飛び込んでくる。先程セーフティポイントを見つけた時と同様のそれは、正しく階段のある小部屋であった。


「走れッ!!」


逃げ出した時と同じ言葉をもう一度ソラが叫ぶ。

目的地を前にして、疲れ果てた脚に再び力が宿る。

だが、背後の怒号と鳴り響く足音も衰えてはいない。むしろ他のモンスターもいつの間にか合流したのだろうか、その音量は最初よりも大きくなっている気がする。

安堵するにはまだ早い。階段は確かにそこにある——だが、辿り着けるかどうかは、次の数十歩にかかっていた。


――走り抜けろ!!


自分に向かってソラはそう言い聞かせる。

かれこれ1時間弱は重いバッグや斧を持って走り続けているのだ。いくら彼が超人的な肉体を持っているといってもその体力には限界がある。

その限界を超えて、更に走り続けるように、己自身を叱咤して奮い立たせる。

そしてラストスパートとして、残る体力をふり絞って最後の直線を駆け抜けよう。

そう思った瞬間だった。


岩肌からずるりと巨大な甲殻を持つ生物が這い出してきた。

複眼が光を反射し、鎌のような腕が空を裂く。咆哮が洞窟全体を震わせ、階段への道をふさぐようにその巨体が立ちはだかった。


――クラッグクラブ。別名、岩鎧蟹。


体長3~4mほどの巨大な蟹のようなモンスター。特徴はその岩のように硬質で頑強な灰色の甲殻と、両腕に備わった大きな鋏だ。

その甲殻は並みの金属の武器を軽々とはじき返し、両腕の鋏は大きな岩すら断裁する程の強力な握力を持っている。


彼らは普段は洞窟の中で岩や壁に擬態して身を潜めている。そして傍を通ろうとした生き物の前に姿を表し、その大きな体で奇襲を仕掛けるのだ。

今回現れたのももちろん偶然ではなく、階段の近くの通路にずっと潜んでいたのだろう。

薄暗い洞窟の中で彼らの擬態を見破るのは非常に困難で、しかも彼らは生物がよく行き来するような通路を好んで縄張りとする習性がある。


例えば今回のような階段の前やセーフティゾーンの近くなど、目的地を前にして安堵した冒険者を狩るのだ。

その悪質な習性と強靭な身体を持つこのモンスターは、2層の中に生息する様々なモンスターの中でも厄介なものの内の一つだ。


前方には巨大なモンスター。後方には大群。

左右はなく、進むか退くかの二者択一。そんな絶望的な状況がソラとルキナに襲いかかる。

しかし。


――だからどうした!!


ソラはその状況を悲観してはいなかった。

確かにクラッグクラブは難敵であり、本来は遭遇したら逃げるのがベストであろう。

しかし、結局のところ、階段までの道のりに存在しているのはたった一匹のモンスターだ。後方から追ってくる群れに比べれば、なんら大したことはない。

それに、


――エルダートレントと比べたら雑魚だろ!!


第一層で直面した危機からすれば、なんら問題はない。エルダートレントを退けて生存した経験は、この状況においても確かな自信となってソラを支えていた。


「俺がやるッ!!」


ソラが叫びながら全力で疾走する。

第一層では、ソラはルキナの実力を見た。しかし、ここまで来てソラはまだ自分の実力を示す事ができていない。

だからこそ、この状況の打破は自分一人でやらなければならない。そうでなければ今回の冒険の意味がない。

先行するソラの背中を見ながらルキナは、


「任せる」


と一言だけ呟いた。


目の前には巨大な蟹。近づけば近づくほど、その巨体と岩のような質感の甲殻、そして人を簡単に粉砕できるほど巨大な鋏から受けるプレッシャーが強くなる。

しかし、このモンスターを妥当できれば階段はすぐそこだ。

必要なのは、時間をかけずに一瞬でこのモンスターを打倒すること。例えこのモンスターを倒せたとしても、後ろの群れに追いつかれては意味がない。

ソラは右手に持った斧を強く握り、そして右足で強く踏み込んだ。

それを見たクラッグクラブは、ソラを目掛けて鋏を振る。右と左、両側から挟み込むような形でその巨大な両腕でもって襲いかかる。


――かかった!!


その瞬間、ソラは踏み込んだ右足で地面を蹴り、大きく跳躍。

大蟹の両腕が空を切る。

ソラは上空を舞って、二つの鋏による必殺の攻撃を避けた。

するとソラの目の前にあるのは無防備な蟹の顔。

ソラは斧を両腕で握りしめ、頭の後ろまで振り上げる。

狙うは、目前で牙を剥く怪物の頭蓋。

その顔を睨みつけながら、両腕に力を込め――


「くたばれッ!!」


両手で掴んだ斧を跳躍の勢いのままに、全力でクラッグクラブの顔目掛けて振り下ろした。

空気を裂く風鳴りとともに、弧を描いて振り下ろされた一撃がその硬い甲殻に激突する。

金属同士がぶつかるような衝撃音が洞窟に響き、手首が折れそうなほどの反動が返ってくる。それでも歯を食いしばり、押し砕くように力を込め続けた。

そして――


ピシッと音が鳴った直後、蟹の顔面に亀裂が走り、石片のような破片が飛び散る。

ソラが振った斧はクラッグクラブの甲殻を粉砕しながら正中線にめり込み、巨体が地面に崩れ落ちる。

ズシン、と低い音が響いた。その重さで、わずかに地面が揺れた。

もはや障害はない。ただ階段に向けて走るのみ。


「行くぞッ!!」


ソラはルキナに向けて叫ぶ。

そして打倒の達成感も感じぬままに、倒れた巨体の上を踏み越えて、階段――その先にある次の層への扉を目指して走り抜ける。


「ないす」


ルキナからはそれだけだった。だが、不思議と足が軽くなった。




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