持つ者と持たざる者①
【イエソド第3層――密林】
そこには一面の緑があった。背の高い木々が密集して群れを成す。
頭上から射す光は、厚く重なった葉に遮られ、地面に届く頃には緑色に染まっていた。湿った空気が肌にまとわりつき、呼吸のたびに甘く腐った匂いが鼻を突く。
四方から虫の羽音と、遠くで響く獣の咆哮が重なり合い、静寂など一瞬たりとも訪れない。
足元には無数の根が這い回り、踏み込むたびに泥がじゅくりと音を立てる。
ここでは、森が生きている。そう思わせるほど、全てが近く、息づいている。
そんな鬱陶しい程の自然で染まった世界の中に、一つ不自然なものがある。それは第二層と繋がる金属製の扉だ。
そしてそのそばには二人の人間が座り込んでいた。
ソラとルキナだ。
何とかモンスターの群れから逃げ伸びた彼らは、逃げ込んだ先の第三層の扉付近で呼吸を整えていた。
セーフティスポットで満タンにしたはずの水筒はもはや空になり、走り続けた事による体温の上昇と第三層の高い気温も相まって、その額からは汗が止まらない。
特にソラは、荷物が入ったバッグを背負いながら走り続けていたので、その疲労は限界まで溜まっており、荒い呼吸が止む気配は無かった。
対してルキナはそれほど疲れてはいない様子で、息を整えて何か考え事をしていた。
「クソ…今回はツイてないな…」
息を切らしながらソラはそう言った。実際、彼にしてみればそうだろう。
グレーウルフや、ブラッドウィングレイヴンに襲われるのはまあ、普通だろう。今回通ったルート的に、トレントの群れに襲われるのも想定範囲内だ。
しかし、ゴブリンの群れに追われて、挙句の果てにクラッグクラブに挟み撃ちされるというのは想定外だ。
そして、特殊個体エルダートレントによる襲撃。これはもう想定外とかいうレベルでは済まない。もはや奇跡といっても過言ではないだろう。
以前一人で登っていた時はここまでのトラブルに見舞われる事は無かった。
もしかすると、ルキナにはそういったトラブルを引き付ける何かがあるのかもしれないとまで思い始めた。
ルキナが悪いとは思わない。しかし、今日一日で遭遇したトラブルを思えば、少しぐらい愚痴を吐いてもいいのではないかとも考えたが、それを口にはしなかった。
そんな恨みがましいソラの視線にも気づかず、ルキナは一人呟いた。
「やっぱり変」
「…変?何がだ?」
突然しゃべりだしたルキナに対して、ソラが問い返す。
「さっきの群れ。どうして突然追ってきたのか」
「どうしてって――」
「私たちはセーフティゾーンの中にいた。近くにモンスターはいないし、存在に気づかれることはなかったはず。そんな場所に向かって前触れもなくモンスターが群れで現れる事はあり得る?」
「…確かに殆どあり得ないな」
そう言われるとソラも、先程の襲撃が奇妙に感じ始める。
まず、基本的にセーフティゾーンにモンスターは近寄らない傾向がある。それが何故なのかは分からないところが多いが、経験上それは確かなことだ。だが、先程の事象はその傾向と相反している。
次に、どうして一直線にソラ達のいる方向に向かって突撃してきたのか。少なくとも、あのセーフティゾーンまでは一回もモンスターと接敵せず、気づかれていた様子はない。彼らがセーフティゾーンにいる事はモンスターは知らなかったはずだ。
最後に、唐突に群れによって襲われたこと。確かに、モンスターに気づかれて応援を呼ばれた結果、群れに襲撃されるという事はあり得るだろう。しかし、最初から群れ全体が襲いかかってくることなどあるのだろうか?
一つ一つならば偶然で片づけてもよいものが、3つも重なると何か原因があるように思えてくる。
考え出したソラにルキナが問いかける。
「セーフティゾーンまでモンスターが来る場合、どんな状況が考えられる?」
「…そうだな。例えば、セーフティゾーンまで逃げ込んだ冒険者を追って来るとか、あるいは――」
「あるいは?」
「モンスター自体も何かに追われて、思わず逃げ込んだとかか?」
その瞬間だった。
彼らの背後にあった金属製の扉がバタンと勢いよく開く音がした。
その音を聞いて、ソラとルキナが振り返ると――
「うわ――」
そこには一人の少女がいた。
燃えるような赤い長髪が頭の左右で風に揺られる。彼女の動きに合わせて、その身長に見合わない発育のいい胸部が揺れる。
着ている服は動きやすく、かつある程度の防御性能も兼ね備えたモンスター皮で作られた品だ。腰元につけたポーチは特に品の良い革細工であり、何か特別なモノのように思えた。
背中に担いだ剣からは、異様な圧力が漏れ出ていて、それが特別な物であると一目で理解できる。
そして何より特徴的なのは、その勝気そうな黒い釣り目――
「まだこんなところにいたの?最悪」
ソラのかつての幼馴染であるセナがそこにいた。
「お前…なんでここにいるんだ?」
ソラが思わず声を上げる。
それに対して、セナは鬱陶しそうに半目がちに言葉を返す。
「はぁ?別にいいでしょ?アタシがどこいたって」
――うぜぇ…。
彼女の不愛想な返答を聞き、ソラは彼女に話しかけた事を一瞬で後悔した。
そんな中、ソラはチョンチョンとルキナに指で突かれる。
ソラが振り向くと、
「あれ、誰?」
と、ルキナがセナを指さしながら言った。
「あー…昔の知り合い」
「ふーん…」
「なんだよ…」
ジトっとした目でルキナに見つめられ、ソラは少したじろいだ。
そんな二人の様子を見ていたセナはどこか不機嫌そうな顔をしていた。
「…んで、それ誰?」
そしてルキナの事を指さしながら、上から目線でソラに問いかける。
その彼女の態度に無性に腹が立ったソラは、
「関係ねぇだろ、俺が誰といたって」
と、先程の彼女の返答の意趣返しをする。
「あら、生意気」
するとセナは目元を不愉快そうに歪めながら、ルキナに目線を向けて問いかける。
「私はセナ。あんたは誰?」
「――」
ルキナは問われた直後、少しの間沈黙し――直後、突然ソラに抱きついた。
「おい――」
抱きつかれたソラは驚き、ルキナの顔を見る。
その瞬間、ルキナはソラの頬に軽く口づけをする。
された側のソラは、突然のキスに言葉を失って彼女の横顔を呆然と見つめた。
その光景を見ていたセナは突然の事に驚き、口をパクパクとまるで金魚のように開閉する。
そんな状況が面白かったのか、ルキナはセナを正面から見つめて、微かに微笑みながら言った。
「私はルキナ――ソラの新しいパートナー」
そして、
「嫉妬してる?ストーカーさん」
と、セナの事をここぞとばかりに挑発するのだった。
「は、嫉妬?」
数秒ほど絶句していたセナだったが、我に返って彼女の言葉を鼻で笑う。
「誰が誰に嫉妬してるっての?」
「あなたが、私に」
それに対して、ルキナもまた冷静に回答を返す。
それが気に食わなかったのか、セナは嫌そうな顔で言葉を返すが、
「なんでアタシがあんたに嫉妬しないといけないのよ、頭でもおかしいの?」
「ふふ」
「あ?」
ルキナはセナの事を見ながら微かに笑うのみで、その問いかけには答えなかった。
その余裕の表情を見て、セナは額に青筋を浮かべながらルキナに凄むが、少し顔が歪んだ程度であり、彼女の可憐さと相まってどこか滑稽な様相を呈していた。
そして、今度は逆にルキナがセナに話しかける。
「昨日からずっと、後ろついてきてた」
「は――?」
「多分、塔に入った時から。私はずっと誰かの視線を感じてた」
そう言われて、ソラは2つの事を思い出した。
1つ目はソラは第一層でルキナが視線を感じると言っていた事だ。あの時、彼女が感じていた視線はセナの物だったという事だろうか。
そして、もう一つ思い出したのは、エルダートレントから逃げ伸びた時の事だ。扉を開ける直前、エルダートレントの根によって顔面を貫かれそうになった瞬間、確かにその動きが止まっていた。
あれはルキナの力ではないし、何故だろうと気になっていたのだが、確かにセナの"停止"の能力であればできる事かもしれない。
つまり、彼女は付かず離れず、この1日ちょっとの間、ずっと彼らを着けていたという事だろうか。
そんな風にルキナに問われたセナは、額に一筋の汗を浮かべながら早口でまくし立てる。
「あんたバカでしょ。なんで私がそんな事をしないといけないのよ?というか証拠でもあんの?」
それに対してルキナは――
「『まだこんなところにいたの』」
「あん?」
そう一言呟いた。そして、それこそがルキナの持つ証拠だった。
「あなたがさっき言った言葉。『まだ』って言う言葉は、ここに私たちがいる事を知っている人からしか出てこない」
「…」
「あなたはまた後ろから尾けてくるつもりだった。だけど、扉の前でずっと休憩していると知らずに扉を開けてしまった。それで思わず『まだ』と言った」
先程は聞き流してしまったが、確かに『まだ』という言葉は偶然出会った人間からは出てこないだろう。
少なくとも、セナは彼らがこの扉に逃げ込んだということ自体は知っていたと考えるのが自然だ。
沈黙したセナに対して、ルキナは更に言葉を投げる。
「あと、第二層の群れ。恐らく、あなたが何かした」
「はぁ?」
その言葉に対して、ソラの頭に疑問符が浮かんだ。
「どういうことだ?」
「言葉通り。さっきソラが言ってた通り、あの群れはセーフティゾーンまで私たちを追いかけて来たわけじゃない」
――モンスター自体も何かに追われて、思わず逃げ込んだとかか?
先程、自身が言った言葉をソラは思い出した。
「モンスターの群れは私たちを襲おうとしたんじゃなくて、別の何かから逃げていたと考えるのが自然」
「つまり――こいつから逃げていた?」
「恐らく」
セナの事を指さしたソラに対して、ルキナが然りと頷いた。
だが、そのことにソラはいまいち納得が行かなかった。
セナがわざわざそんな真似をする理由が、ソラには思い当たらなかった。
――そう、ソラにとっては。
だが、ルキナにとっては違う。
彼女はセナが抱えた感情が透けて見えるかのように、彼女を言葉で弄ぶ。
「――水遊びが楽しく見えた?」
「ッ――」
「そうみたい」
「…」
息を呑んだセナを見て、ルキナは納得の言った顔で彼女の事を見る。ルキナの口角がわずかに上がった。冷たく、刃のような笑みだった。
対してセナは俯き、その表情は他人には見えない。だが、何か恐ろしい雰囲気を漂わせている事は確かで、それがルキナに向けられている事も明白だった。
渦中のソラはいまいち状況が掴めず、二人の間に張りつめた異様な空気を眺めるのみだ。
そして、数秒ほど気まずい沈黙が流れた後、セナが頭を上げる。
その表情を見たとき、ソラは嫌な予感がした。
その顔は能面のように無表情で――
「あんた、ムカつく」
そして、明らかな憤怒が籠っていた。
瞬間、セナが扉から駆け出す。
「おい――」
何かが起こる事を察知したソラが立ち上がり、セナとルキナの間に入り、彼女を静止しようとするが、
「あんたは邪魔」
「ッ」
セナが近づいて来た瞬間、身動きがとれなくなる。
恐らくはセナの界約。どういう能力なのか正確に把握はしていないが、対象の動きを"停止"させる効果があることを、ソラは理解していた。
何とか動こうとして両足に力を込めるが、踵を少し浮かせる事すらできない。その場で固まったソラの様は、まるで静止画のようであった。
――逃げろ!!
口すらも満足に動かせず、言葉を発する事もできないソラが心の中でそう叫ぶ。
だが、そんなソラに対してルキナは、
「大丈夫」
そう一言呟いた。
それと同時、セナは太ももに着けていたホルスターからナイフを取り出しながらルキナに肉薄する。
ルキナの顔目掛けて一切の躊躇いもなく振るわれるその刃を、ルキナもまた腰に下げていた短剣を抜いて、その背ではじき返す。
二人の少女の顔が近づき、お互いがお互いの顔をまじまじと見つめる。
「ふーん」
「…」
そしてお互いに後退。地面をけって後ろにステップし、距離をとる。
セナが距離をとったからだろうか、その瞬間、ソラの体もまた自由になり、支えを失った体は思わず膝をついてしまう。
「いつッ…」
唐突に地面と激突した膝から鈍い痛みが走る。更に全身の疲労感が急激にソラを襲い、立ち上がろうとする事もできない。
そんなソラとは反対に、目の前の少女二人はお互いに刃を構えて相対する。
そんな中、セナが口を開く。
「アタシの"力"は停止」
「…?」
唐突に喋りだしたセナにルキナは疑問符を浮かべる。
そんなルキナのことを意にも介さずにセナは話を続ける。
「対象は生き物でもそうじゃなくても何でもいい。目に映るならなんでも止められる。大体の範囲は…そこの無能にギリギリ届かないくらいかしらね」
そういってセナは、疲労で動けないソラを指さす。
ソラとセナの距離から見るに、能力の範囲は大体2~3m前後。ちょうどルキナの界約と同程度の範囲であろうと思われた。
彼女は説明を続けた。
「そしてアタシが近ければ近い程、停止の強度は強くなる。例えば、触れられるくらいの距離にいるなら心臓だって止められるわ」
「…いきなり何?」
「何って…説明よ説明」
そういってセナは悪戯な笑みを浮かべる。
その口の端に浮かぶのは嘲笑。
そしてその目に浮かぶのは――
「だってこれから死ぬのに、教えてあげないのはかわいそうでしょ?」
殺意。
セナの中ではルキナを殺すことが確定しているようで、その目に宿る烈火の如き殺意を隠そうともしていない。
殺すと決めたら殺す。スラム育ちのセナには、その論理しかなかった。
「――なるほど」
それに対してルキナは冷静だった。
嘲笑を浮かべるセナとは違い、ルキナの顔には何の表情もない。表情から感情が感じとれない様は、まるで人形を見ているかのようだった。
そしてルキナの赤い目は、炎ではなく鉄の光を帯びて、目の前の標的だけを映していた。
その目の奥にあるのは――
「やれるものならご勝手に」
同じく殺意。
セナとは違い、氷の如き、氷点下の殺意がルキナから溢れ出す。
直後、セナとルキナはお互いに刃を構える。
そして――
「ちょっと待て――」
動けないソラの静止の声を他所に、お互いがお互いに向かって駆けだした。




