持つ者と持たざる者②
先手をとったのは先程とは違い、ルキナだった。
体勢を低くとり、セナから見たときの表面積を小さくしながら、セナの胴を目掛けて短剣を突き出す。
能力を使って短剣の重量を軽くしているのだろう、その振りの速度はもはや目で追うことすら難しく、避ける事は困難だ。
しかし、その渾身の突きがセナの体に触れかけた瞬間――
『止まれ』
「…!!」
ルキナの動きがピタッと止まる。――セナの界約だ。
そして今度はセナのターンとなる。目の前で動きが停止したルキナは彼女にとって恰好の餌食。
右手に持ったナイフをルキナの首筋に向けて振り下ろせば、それで全ては終了だ。
だが、振り下ろそうとしたその時。
『墜ちて』
「!!」
今度はルキナの界約がセナに、正確にはその右手に持ったナイフにかかる。
恐らくは質量の増大。ナイフが重くなり片手で持てなくなったセナは、思わずそれを手から落としてしまう。
そして動揺したセナの集中が切れ、止められていたはずのルキナが動けるようになる。勢いを失った突きの体勢から、セナの顔を切らんと強引に刃を振り上げる。
しかし、セナも驚異の動体視力でそれを見切り、顔を軽くそらしてその攻撃をいなしつつ、右足でルキナの事を蹴りとばす。
だがルキナもその程度の反撃は読んでおり、振り上げを避けられた直後、すぐに腕を戻し、セナの前蹴りを両腕をクロスさせてガードしながら後退する。
そうしてお互いに再度距離をとる。
イエソドの冒険者の頂点に近いセナと、それと互角に相対しているルキナ。彼女たちの実力は近接戦闘に関して言うなら拮抗しているように見えた。
少女たちの口の端に微かに笑みが浮かぶ。それは嘲笑等ではなく、親近感に近い物であった。
「やるわね、あんた」
「そっちこそ」
お互い、思うところがあるのだろう。互いが互いに実力を認め合う。
だが両者共にほぼ無傷であり、闘志は、そして殺意はお互いまだ消えていない。
そして次の瞬間、セナが凶悪な笑みを浮かべて、
「じゃあ――第2ラウンドねっ!!」
今度は地面を強く蹴って、大きく跳躍した。
そして――空中に着地した。
「…!!」
「アタシはなんでも止められるって言ったでしょ!!」
驚愕するルキナに向けて、セナは獰猛に歯を向きながら叫ぶ。
それは彼女の界約の応用だった。空気を構成する分子の動きを止め、その場に固定する。気体を足場に変える技術——それを一歩ごとに足元へ生み出し続けることで、空中に道を作る。
もちろんそれには途轍もない集中力が必要で、彼女と同じ能力を持った人間がいたとしても同じ事ができるとは限らない。
能力自体のスペックの高さと、それを使いこなす当人の強さ、それらが相乗される事で彼女はイエソドのトップに上り詰めたのだ。
セナが空中を駆ける。踏み出すたびに虚空が固まり、足場が生まれ、また消える。それはまるで彼女専用のハイウェイ。
地上に縛られたルキナには、その動きを追う手段がなかった。
ルキナが身構えた次の瞬間——
「はァッ!!」
セナが空中を強く蹴り、斜め上から急降下。飛び蹴りの姿勢のまま、落下の勢いごとルキナへ墜ちてくる。
空中を蹴った事による勢いと落下の勢いも相まって、その威力は人体を破壊するには十分だろう。
しかし、急速に向かって来るセナの体を、ルキナは両腕を盾にして受け止める。
質量の減少も活用しているのだろう。セナの体の重量が軽くなり、セナの渾身の飛び蹴りは、両腕でも十分受け止めきれる程度の威力までおさまっている。
だが、もちろんセナもそんな程度の事は想定済み。むしろ受け止められる事こそが目的であった。
『止まれッ!!』
「ッ!!」
セナとルキナは今お互いの体に接触している。その状況こそがセナの待ち望んだものだ。
セナの口が凶悪な笑みで歪む。
セナの界約は対象との距離が近いほど出力が上がる。つまり今の状況でこそ、最大出力を発揮できる。
"停止"の界約がルキナの体を蝕み、ルキナの体の中でめぐる"動き"が止まり始める。
筋肉が最初に止まり、その結果、心拍、血流の動きが止まる。そして最後は細胞に至るまで、ルキナの体の動きという動きが停止していく。
――はずだった。
「――それで?」
「…!!」
今度はセナが息を呑んだ。
動きを止められていたはずのルキナが、左腕を強引に振るってセナを弾く。
そして右腕に持った短剣で、空中を舞うセナを切りつけようとするが、セナもまたナイフを振るってその一撃を防御する。
刃と刃がぶつかり、火花が散った。
セナはその勢いのままに空中で回転しながら受け身をとって着地する。
先程の距離はセナにとっての必殺の間合い。あそこまで近づいて体を止められなかったものなど今までなく、その顔には明らかに何故という言葉が浮かんでいた。
セナの額に一筋の汗が流れる。それは焦りか、あるいは理解できないものへの恐怖か。
そんなセナに対して、ルキナは語りかける。
「あなたは同格と戦った事がない?」
「何を…」
「界約を持っている者は他者の界約に対して抵抗する事ができる」
「…」
セナにとっては界約という言葉は聞いたことがないはずだ。だが、間違いなく己や目の前の彼女が持っている力のことだろうと推測できた。
セナは口を挟まず黙ってルキナの言葉を聞き続ける。
「もちろん、個々の界約にも出力強度がある。界約と界約がぶつかれば、お互いが抵抗しあって、より出力が強い方が勝つことになる」
「…それで?」
「あなたの界約は強力。その能力も、出力も、何をとってみても一級品。だから今までは力の押し付け合いで何とかなっていたのかもしれない――」
だけど、とルキナは言葉をつなげて言った。
「私はあなたと同格――能力をただ押し付けるだけでは私には通用しない」
ふんす、とルキナは小さく鼻を鳴らした。戦いの空気に似つかわしくない、わずかな自慢げさがそこにあった。
だがセナにとって見れば、油断はできない。
息を整えながら、ルキナの事をじっと観察する。
見た目は人形のような少女だ。だが中身は冒険者のトップである自身と同格の異能持ちで、彼女すら知らない知識も持っている。
もしこんな人間が以前からイエソドにいたのなら、セナはとっくに知っていたはずだ。
「あんた…何者?」
とセナが誰何するが――
「むしろ私が教えてほしい」
と、ルキナは何故か胸を張ってそう返した。
暫し、二人の少女の間に沈黙が流れる。
一陣の風が吹いて彼女たちの髪を揺らし、辺りの木々が揺れて、葉がザワザワと擦れあう。
そして、セナが口を開いた。
「あんた、そこの無能と塔を登るつもり?」
「…」
セナがルキナに問いかけるが、ルキナは何も返さない。
「あんたはいいかもしれないけど、そこの男は無理よ。能力のない人間が登れる程、塔は簡単じゃない」
その言葉は彼女の本心だ。意地悪を言っているわけでもなく、ただの事実として彼女の持論を話している。
そして、それは今の戦いを端から見ていただけだったソラには痛いほど突き刺さる言葉だった。
摩耗していたと思っていた悔しいという感情がこみ上げ、ソラは苦笑してしまう。
彼女たちの戦いを止める事もできない無能な男。それが自分自身であるという現実。
事実、今もセナの能力に当てられた故か、立ち上がる事すらできていない。こんな人間が何を為せるというのか。
持つ者と持たざる者の差。超えられない壁。
彼女たちの戦いは、それをソラに思い出させるには十分だった。
だが――
「ふふっ」
ルキナは不敵に笑った。
そこに浮かぶのは嘲笑。何も知らない愚かな者をあざ笑うかのような冷たい笑みがセナに向けられる。
セナはその笑みに、どこか不気味さ、そして苛立ちを感じた。まるで何かを見落としているかのような、そんな感覚に見舞われたのだ。
「何がおかしいの」
セナはルキナに問いかける。
それに対してルキナは笑いながら返す。
「無能――彼のどこが無能?」
「…何を言ってんの?特別な能力も持たない、ただの筋肉バカ。それがそいつよ」
「ふふふっ」
ルキナは笑う。笑う。笑う。まるでセナの言っている事が可笑しな冗談であるかのように笑い続ける。
そして、告げる。
「異能を持っていないから無能――なんて浅はか」
「はあ…?」
セナの言っている事は間違いではない。確かにソラは能力を持たない無能であり、そこに何ら疑う余地はない。
だというのにルキナは否と唱えるのだ。
「重要なのは祈りと願い。何を求めて、どうなりたいか。その質と強さが、この世界での武器となる」
「…気でも狂ってんの?」
セナの罵倒も意に介さず、滔々と語り続けるルキナの目は、この場ではないどこかを見ていた。
「ソラは鳥。この空を抱えて飛べる、そんな存在。きっとソラの翼はこの鳥かごを壊してくれる」
「だから何を――」
そして、
「残念だけど――あなたじゃ彼の鳥かごにはなれない」
最後の嘲笑をセナに向けた。
きっとその意味は余人には理解できないだろう。だが、それはセナにとって確かに致命的な一撃であった。
セナの額に青筋が浮かび、目が血走る。セナとは長年の付き合いであるソラが見たことないほどの怒り。その言葉は確かに彼女の逆鱗に触れたのだ。
「――殺す」
殺意を呟き、セナがまた空中を蹴ってルキナに急接近する。
そして疾走しながら、彼女は背中に担いだ剣を抜く。
その瞬間、ソラは自身の肌が粟立つのを感じた。
短くも長くもない微妙な長さのその剣は、特殊な見た目をしているわけでもなく、そこらにある剣と差があるようには見えない。しかし確かに異様な雰囲気を纏っていた。
そして、その剣から感じられる威圧感はどこかエルダートレントを彷彿とさせた。間違いなく特別な武器だろう。
あれに切られればまずい、とソラは直観した。あの剣には何かがある。
対してルキナは迎撃の構えを見せる。
体勢を低く構え、短剣を逆手に持つ。あとはセナが来るのを待つだけ。
彼女には特別な武器などない。あるのは自身の強力な異能と、それに対する経験のみ。
だが、彼女は自分が死ぬなどとは微塵も考えていないようだ。
抜かれた剣から放たれる威圧感も理解しているはずだが、それに臆することなく冷静に構えている。
そこは正しく二人だけの世界。少女たちの目にはお互いしか映っておらず、ソラのことなど蚊帳の外だ。
――ムカつく。
彼女たちの距離が近くなる。
剣を振るおうとするセナと、それを待ち構えるルキナ。
その勝敗がどちらに転ぶかは分からないが、このままでは少なくともどちらかは命を落とす。
――ムカつく。
昔馴染みのセナか、最近知り合ったルキナ。
何かと鬱陶しいセナか、一緒にいると居心地が良いルキナ。
その二人のどちらかがソラの目の前で、なのにソラの意思も介在しないことで死ぬ。
彼はその場に縛られたまま、ただ目の前で眺めるだけ。
そう、彼は縛られている。
――ムカつくんだよ!!
そう思った瞬間に、彼の体は動き始めた。
「死ねッ!!」
「そっちこそ」
少女たちが肉薄する。
セナは両手で握った剣をルキナ目掛けて振り下ろそうとする。
もちろん、セナもただ振り下ろすだけではない。接近しながらルキナの体の動きを界約でできる限り停止させ、カウンターをとれないようにする。
それに対してルキナは界約で剣を重くすることで、先程と同じ様に彼女の手から剣を落とし、その隙をついてカウンターを決め込む想定でいた。
そして、お互いの界約がほぼ同時に発動する。
セナは全力で界約をルキナにかける。もちろんルキナはその界約へ抵抗できるため、完全に動きが止まる事はない。しかし、わずかにかかった停止の呪縛が彼女の体の動きを鈍くする。
対してルキナは界約をセナの持つ剣にかける。効果はもちろん質量の増大。どれだけ両手でしっかりと握っていようが、その重さが100倍になれば落としてしまうだろう。
しかし――
「――!?」
ルキナは異様な手ごたえに驚愕する。剣によって彼女の界約が抵抗されたのだ。
――ダインスレイヴ・レッサー。セナの持つ魔剣の名称だ。
それはかつてイエソドの第6層に巣くっていた、とある特殊個体をセナが倒した時に獲得したもの。
この剣は、その岩を断ち切る切れ味や何を切っても刃こぼれしない頑丈さもさることながら、それ以外に特殊な能力が二つある。
一つはこの武器により創られた傷は癒えにくくなること。
この剣が断ち切ったモノはすべからく治らない、あるいは治るのに非常に時間がかかるようになる。
例えばこれによって体を切られたとしよう。そうすると、ポーション等の特殊な回復手段を使わない限り、その傷は絶対に治らない。自然回復を待つだけでは、どれだけ浅い傷でもいつかは出血によって死んでしまうのだ。
そしてもう一つは――界約への抵抗力。
正確に言えば、塔から得られる武具や防具には界約への抵抗力が備わっているため、この武器の特異な能力といえるのは前者のみだ。
しかし、その界約への抵抗力はこの場において最重要な要素となっていた。
この剣自体の抵抗力がルキナの界約をはじき返す。この抵抗力を突破するには全力で界約をかけるしかない。
第一層でエルダートレントに界約をかけた時は、ルキナは気絶する覚悟で全力で発動していた。
しかし、今回はそれはできない。
気絶すれば切り殺されるし、そもそも疲労により全力での界約発動が不可能だ。
動揺しつつも彼女は自身の限界まで界約を発動するが、そうして不完全にかかった界約は剣の重量を2倍程度にはしたものの、それ以上の効果は得られなかった。
まずい、とルキナが思った時にはもうすでに遅く、セナはルキナに向けて剣を振り降ろしていた。
とはいえ剣が重くなっているため、セナの振り下ろしは軸がぶれ、通常ならば避けることなど容易い。しかし、微弱ながら作用しているセナの界約がルキナの動きを阻害する。
体が思うように動かず、回避行動をとるには遅すぎる。短剣で受け止めようにも、果たして目の前の魔剣を受け止めきれるかどうか。
――死んだ。
ルキナがそう思ったその時。
「てめえらさっきから――」
低く響く声がした。
突如として大柄の影が彼女らの横合いから彼女たちの間に入り、
「がちゃがちゃ鬱陶しいんだよ!!」
その声とともに、ソラはセナが振り下ろしている剣の背を思い切り蹴りつけた。
「ッ――」
衝撃音とともに手首がしびれ、セナは思わず魔剣の柄から両手を離す。
魔剣は強烈に蹴られた勢いのままにくるくると回転しながら宙を舞う。そして、立ちすくむセナの左方に飛んでいって、サクッという音とともに湿った緑の大地に突き刺さった。
「ふー…」
「…」
「…」
ソラの顔には、怒り。何もできずに蹲っていた己に対するものと、己を無視して戦いを続けていた目の前の少女たちに向けたもの。その両方が相まった激憤が滲んでいた。
セナとルキナの顔には驚愕。突如としてついた戦いの決着に、彼女たちはしばらく呆然と立ちすくんだ。
そして、ソラは突如セナを方を向いた。
「おい」
「…何よ」
セナが不機嫌そうに言葉を返す。しかし、そこにはソラの表情を伺うような、どこか不安げな表情が浮かんでいた。
「後ろからついてきたとかどうとか、俺は分からないし、知ったこっちゃない。ただこいつは今は俺の連れだ。外様がいちいち関わってくんじゃねえよ」
「…」
冒険者の頂点が、底辺に怒られている。
いつものセナであれば、偉そうに何を言っているんだと返していただろうが、今のセナは何故かおとなしく、ソラの話を聞いていた。
そんな中、ルキナはソラの横で腕を組んでその言葉にうんうんと頷きながら「その通り」等と相槌を打っていたので、ソラは「お前は黙ってろ」と言いながら、ルキナの頭をぺシーンと叩いた。
そして3人の間にしばし沈黙が流れる。
セナとソラは目を合わせたまま、お互いの様子を伺って口を開かない。ルキナは黙ってろと言われたのでとりあえず黙っている。
時間だけが、三人の間を無言で通り過ぎていった。
最初に喋りだしたのはセナだった。
「興覚めね」
そういって溜息を吐く。
少し離れた地面に突き刺さった剣の元まで歩き出し、地面から引き抜いて背中の鞘にしまう。そして地面に落ちていたナイフも拾い上げ、太ももにつけたホルスターにしまった。
先程までの張りつめた空気とは違い、彼女の雰囲気はどこか弛緩していた。
そして、ソラに向き直っていつもの意地悪な笑みを浮かべた。
「今日のところはやめといてあげるわっ」
「さっさとどっかいけ」
それに対してソラはいつものようにぞんざいな返しで彼女をあしらった。そんなソラの態度に、何故かセナは満足げだった。
「それとあんた」
そして、ソラの後ろにいるルキナに向けて冷たい目を向ける。
そこには変わらず殺意が浮かんでおり、今にでも襲いかかりそうな程の圧力があった。
「次あったら殺すから」
「おととい来るがいい」
売り言葉に買い言葉とはよく言ったもので、セナから向けられた殺意に対し、ルキナもまた挑発で返す。
その瞬間、ソラから頭をスパーンと叩かれてルキナは蹲った。
「…」
セナはどこか不満げな、というよりも恨めし気な表情でそのソラとルキナのやり取りを見つめていた。
が、少ししてハッとなって頭を振る。そしてまた生意気な表情を浮かべて歩き始める。
顔だけをソラに向けて、
「それじゃあたしは先行くから着いてこないでよね」
「誰が行くか」
その言葉に対してソラはうんざりとしながら返答する。
「それじゃあね」
そう言ってセナは背を向けて歩き出す。
ここで起こった戦闘は何だったのかと思うほどあっさりとした別れに、ソラは若干面を食らった。そして、疲れも一切見せずに立ち去っていくセナの後姿を見つめる。
彼女は恐らく、更に上の層を目指して歩いていくのだろう。そこにはソラが経験したこともない未知の危険が待ち受けているはずだ。
第二層では一人で難敵であるクラッグクラブを倒したソラだったが、彼女の行く先には、それとは比べ物にならない何かがいるに違いない。
今回の遭遇がルキナの言う通り、彼女のストーキングによる必然だったのか、それとも偶然だったのか。
ソラにとってはよくわからなかったが、この遭遇により分かった、いや思い出した事がある。
一つは、セナが凄まじい冒険者であるということ。
「フン、他愛なし」
もう一つは、横で嘯いているちんちくりんの少女がそれに劣らず強大な力を持っているという事。
そして――
ソラはそんな彼女たちに比べると足元にも及ばない存在であるという、悲しい現実だった。




