持つ者と持たざる者③
セナが通り過ぎてからしばらくの時間が経過した。
その間、ソラとルキナは疲労により扉の前から全く動けずにいた。
それもそのはず、そもそも第二層でモンスターの群れに襲われておよそ一時間程走りっぱなしだった上に、その後すぐに最上位の冒険者との戦闘があったのだ。
ソラはセナとの戦いでは殆ど何もしていなかった。しかし、彼にかけられたセナの界約は彼の体から体力を奪い去ったようで、一時は動けたものの、セナと分かれた直後から殆ど動けないほどに体に力が入らなくなった。
ルキナは戦いの最中こそ余裕そうな顔をしていたが、セナが見えなくなった途端、その場に大の字になって寝転んだ。その息も荒く、疲労困憊と言った様相だ。
お互いが動けるようになるまで時間がかかったのもやむなしだろう。
そうして、何とか動けるようになったソラはルキナに向けて言った。
「…今回はここまでだ」
「…」
ルキナは黙ってその言葉に頷いた。
先程までのルキナなら「えー」等と不平不満を言っていただろうが、今となってはそんなことを言っていられない。
彼らの体はもはや限界だ。これ以上の冒険は死に直結すると、ルキナも悟っていた。
だが、問題はここからだ。
そもそもどうやって塔から出るのか。今いる第三層から第一層まで戻るのは現実的ではない。そもそも彼らが抜けてきた道にはまだモンスターの群れやエルダートレントがいた。
帰り道もそれらに遭遇すればひとたまりもなく、彼らは命を落とすだろう。
塔からの脱出。それは正しく塔への侵入と同等の難易度だ。
――しかし、そこには抜け道がある。
「これから塔を抜ける。そのために"出口"まで行く」
「"出口"?」
「塔の各層には塔の外に出るための"出口"がある。それを見つけることが出来れば、第一層まで戻る必要もなく、この層から直接外に出られる」
それは"階段"やセーフティポイントと同様に、塔において重要なものの一つだ。
一回の冒険で塔を登り切れる人間等いない。何回も塔へ通いつめ、徐々に到達層を伸ばしていくのが冒険者の基本だ。
つまり、冒険者は自身の限界を見極めて、冒険の途中で切り上げるという事を考えないといけない。
現在のソラとルキナと同様、層を登れば登る程、帰り道は長く、険しいものとなる。
その時重要になるのが"出口"だ。
"出口"は文字通り塔からの出口を指す。
それは階段と同様に扉の形をしており、それをくぐれば、自身が塔へ侵入する際にくぐった門の目の前まで戻る事ができる。
出口は基本的に各層のどこかに点在しており、それを見つけることができれば容易に帰還する事ができるのだ。
ただし、その出口の位置を探すのにも手間がかかるので、基本的には冒険者は出口を探す手間も考慮して、ある程度余裕を残した状態で冒険を切り上げるのだ。
それに対して、ソラとルキナには殆ど余力はない。蓄積された疲労によって体が悲鳴を上げている。何とか動けるものの戦闘は殆どできないだろう。
しかし、ソラには手帳がある。
古びたその手帳には各層の大体の構造、出現するモンスター、階段の位置、そして出口の位置までもが記されていた。
この第三層の密林は、大量の樹木に覆われており、日の光は疎らに差すのみで太陽の姿は殆ど見えない。鬱蒼と生い茂る同じ形をした木々によって、方向感覚は簡単に失われてしまう。
普通の冒険者であれば、すぐに迷ってしまう密林の中を、しかしソラは木々の中を迷わずに黙々と進んでいた。
ソラは異能こそないが、それでも十年ほど一人で塔の中を冒険し、生計を立てているベテランだ。こういった際の進み方はもちろん心得ている。
樹冠に遮られても、木漏れ日の傾きや光の強さを観察すればおおよその方角が分かる。それを読み取って正しい方角に向かって突き進む事は可能だ。
扉の位置と出口の位置が分かればどう向かえば良いかも分かる。後はその方角に向かって進むだけだ。
重たい体に力を込めて、何とか前に進んでいく。
そんな中、ソラは口を開く。
「…今回の冒険でどう思った?」
「…」
ルキナは口を開かずに黙々とソラを後ろを追って歩く。
それに対して、ソラは言葉を続ける。
「正直言って、俺はセナのいう通りの無能だ。何の能力もない、ただ人よりちょっとだけ力が強くて、ちょっとだけ塔の知識があるだけ。実際お前らが戦ってるとき、俺は何もすることが出来なかった」
「…でも、最後は助けてくれた」
「それもギリギリだった」
ソラの後ろにいるルキナにはソラの表情は見えない。
だが、なんとなくそこには諦めのような何かが浮かんでいるように思えたし、それは事実だった。
「前は、塔を登ろうと思ってたんだ」
「…」
ソラは語りながら、その時の事を思い出す。
あれはある事件の後、セナと分かれて数年が経った頃だった。
ソラはその時、黙々と一人で塔を登ろうとして、第三層から第四層までの道のりを何度も挑戦していた。
その時にはセナはすでに頭角を表し始めていた。気づいたときには、スラム出身にも関わらず、新進気鋭の冒険者として名が知れ渡っていて、第三層も突破したという噂が流れていた。
彼にとって見れば、セナはまだ小さな子供だった。そんな彼女が第三層を突破した。
そんな話を聞いたとき、ソラは何か危機感のようなモノを感じていた。そして、その危機感に急き立てられるようにして、彼は冒険のスピードを早めた。
手帳に書かれた地図をもとに、最短ルートで塔を突破することにした。群がるモンスターも退けて第五層まで進んだ時には、自分が強いと錯覚したものだ。
当時を語るソラの表情には苦笑が浮かんでいた。
「それで、強引に第五層まで進んでみた」
「…」
「ボコボコにされて死ぬ前に何とか逃げた」
第五層には巨大なモンスターがいた。
彼の前に立ちはだかったそのモンスターに、ソラは為すすべもなく敗北した。
彼の装備では傷一つつける事すら叶わず、その攻撃はソラの体をいとも簡単に破壊した。骨も数本折れてしまい、這う這うの体で逃げ出したのだ。
ただそれ自体は問題ではなかった。
問題は――自身よりも後に塔を登りだしたセナが、五層に到達したこと。
そして、そのモンスターを潜り抜け、その先の層へと進んでいたという事実だ。
「その時に気づいたんだ。"塔を上る事はできない"ってな」
そうしてソラは塔を登る事を諦めた。
どれだけ頑張っていても、持たざる者には限界があるというを知ったのだ。
それからは分相応な生活を繰り返した。
一層付近でモンスターを狩り、生活に必要なだけの金を稼ぐだけの毎日。狩って稼いで、食って寝る。延々と繰り返されるそんな毎日。
それに嫌気が差していたのは事実で、だからこそルキナをあのドームで拾ったのだろう。
事実、ルキナは確かにソラの日常を変えてくれるかもしれない存在だった。ソラに『自由』を教え、一緒に塔を登ろうとしてくれた。
しかし、その彼女にソラはついていけるのだろうか。
「お前は強い。一緒にいても、俺はお前の足を引っ張るだけだ」
「…」
そんなソラの言葉を、ルキナは無言で聞き続けていた。
「お前が塔を登るなら、相方は俺じゃない方が良い。例えば――」
セナなんてどうだろう、という言葉を口にしようとしたとき、目の前が急に開けた。
密集していたはずの木々がなく、小さく開けたその広場の中心には一つの扉があった。
――出口だ。
「あれが出口――」
ルキナがその出口に向かって小走りで近づいていく。
ソラには走る体力も無く、ゆっくりと扉へ歩いていく事しかできない。その差すらもどこかソラにとって劣等感を生み出していた。
そうして出口の前までたどり着いたルキナは、ソラに向かって振り返る。
相変わらずの端正な顔。
人形のような冷たい美貌の中で――しかしその赤い両目が燃えるような意思を宿していた。
「どう思ったって聞かれたから、正直に伝える」
ソラは思わず身が強張った。自分から自身を否定しておきながら、その一方で、彼女からは否定されたくないという願いがどこかにあったのだろう。
そんな自分の浅ましさに辟易としつつも、ソラは彼女の言葉を待った。
ルキナは、ソラの顔を正面から見つめながら――
「私は、あなたが良い。あなたと一緒に登りたい」
「…」
そう言った。
その言葉にソラは返す言葉を失った。
「…なんで?」
そんな頭の中から溢れた疑問が言葉となって、ソラの口から漏れ出す。
彼女からすれば、ソラの存在など路傍の石にも等しいはずで、何故頑なに自分を求めるのか全く持って謎だった。
それこそ、例えばセナであればルキナについていく事ができるだろう。お互い拮抗した実力を持っているし、二人がそろえばイエソドの上位階層であるホド、あるいはネツァクに行くことだって夢ではないように思えた。
そんなソラの感情を透かしたかのようにルキナは言葉をつなげる。
「例えば、さっきの赤毛。あれじゃダメ。あの子は縛られている。塔を登るのは絶対に無理」
それは絶対の自信を伴った言葉だった。
セナの力は強大だ。その力を直に味わったはずなのに、ルキナは彼女を真っ向から否定した。
「だけどソラは違う」
ソラには彼女のことがさっぱり分からなかった。
この冒険で、ソラはあまりいい活躍をしたとは言えない。
「ソラはきっとどこまでも飛んでいける」
だというのに、ソラのことを強く肯定するのだ。
「大事なことは祈りと願い。その質と強さ」
それはさっき、セナと対峙していた時も話していた言葉だ。
祈りと願い――正直に言って、ソラにはあまりピンとくるモノではなかった。
何故彼女がそんなモノを気にしているのかもさっぱり分からず、ソラは困惑するしか無かった。
そうして考えている内に、気づけばソラは扉の前まで辿りついていた。するとその前に立っていたルキナが、疲れ果てたソラに向けて手を伸ばす。
まるで握手を求めているかのように、その手のひらをソラに向ける。そして、ソラは意味も分からず、その手のひらを掴んだ。
その瞬間、ルキナは扉を開けてソラの事をぐいっと引っ張った。
いくら体格差があるとはいえ、疲れ果てたソラの体は彼女の力に抵抗できず、倒れこむように扉の中へと誘われる。
「おいッ――」
と、ソラが驚いた顔をしながら声を上げる。
ルキナはソラの顔を正面から見た。一瞬だけ、その赤い目が仄かに揺らいで。そして――
「あなたなら、きっと"自由"になれる」




